第646回('09) 武豊線など名古屋近郊のJR線を乗り鉄 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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前回の続き…

2009年6月6日~7日、1泊2日の日程で東海地方を乗り鉄しました。

今回は初日後半の模様です。
飯田線の中部天竜駅構内にある『佐久間レールパーク』を見学した後は、『青空フリーパス』を使って武豊線など名古屋近郊のJR線を乗り鉄しました。
今回の日程 2009年6月6日(土) 【後半】  

豊橋1325(東海道本線・2325F新快速)1433岐阜1443(高山本線・1721C)1518美濃太田1537(太多線・3638C)1604多治見1618(中央本線・4716Mセントラルライナー16号)1646名古屋1653(東海道本線→武豊線・4546D区間快速)1743武豊1747(徒歩・武豊線貨物支線の廃線跡)1800武豊港駅跡1805(徒歩・廃線跡)1817武豊1827(武豊線→東海道本線・4553D区間快速)1916名古屋

【宿泊】
豊橋駅からは『青空フリーパス』の元を取るために(豊橋~中部天竜の往復で殆ど元は取れているのですが…)JRを乗り鉄します。まず乗車したのは東海道本線の下り新快速で、私の好きな全席転換可能な313系5000番台6連でした。この座席配置のおかげで窓側席争奪戦は鎮静化したようで、私は難なく窓側席をゲットできました。『青春18きっぷ』期間ではないためか豊橋発車時点での乗車率はさほど高くなく、むしろ豊橋~名古屋の直通利用は名鉄の方がシェアが高いのではないかと思いました。また、豊橋駅では浜松方面からの列車が到着すると、名鉄ホームへ向かう乗客が意外と多く感じます。名鉄に対しては豊橋駅での1面1線使用、そして平井信号場~豊橋で名鉄のダイヤや最高速度に制限をかけて競争を有利に持ち込んでいるように見えますが、反面、JR~名鉄の乗り継ぎはとても便利で、駅の共同使用が却って仇になっている部分もあるかもしれませんね…。尚、新幹線で休日昼間に豊橋~名古屋を移動する人は少なく感じました。



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新快速は豊橋を発車し、三河地方のローカル風景の中を走ります。三河大塚辺りでは三河湾やラグーナ蒲郡を見ることができました。そして蒲郡からは内陸へと入り、岡崎、安城、刈谷、大府では乗車が多くほぼ満席となりました。その後は名古屋市内へと入り、金山と名古屋では多くの乗降がありました。名古屋からも混雑した状態で走り続け、尾張一宮を経て木曽川を渡ると愛知県から岐阜県へと入り、豊橋から1時間8分で岐阜に到着しました。私はここで下車しました。

岐阜駅では高山本線に乗り換えました。3番線には高山行きの1721Cが入線していました。車両は東海色のキハ48形2連で、岐阜方に連結されていたキハ48 5803は2004年の台風23号により不通区間に閉じ込められた車両で、2007年2月に現場から運び出されて名古屋工場で復旧整備され、9月の高山本線復旧時より営業運転に復帰した車両で、車内にはこの事を記したプレートが掲示されていました。また、車内はそこそこの乗車率でしたが、私はボックスシートの窓側席に座ることができました。



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列車は岐阜を発車し、名鉄各務原線と並走しながら平野部を走ります。そして鵜沼を過ぎると『北アルプス』が通っていた名鉄~JRの連絡線と合流して山間部へと入り、木曽川の峡谷「日本ライン」を見ながら走ります。そして以前はセメント貨車がよく見られた坂祝を過ぎると盆地内へと入り、岐阜を発車して35分で美濃太田に到着しました。私をはじめ多くの乗客が下車しましたが、入れ替わりに乗車した人も多かったです。因みに、美濃太田駅があるのは美濃太田市でははく美濃加茂市です。

美濃太田駅では一旦駅の外へ出て橋上駅舎を撮影し、改札内へと戻りました。フリーきっぷですと気軽に途中下車できるのがいいですね。
美濃太田からは太多線の多治見行3638Cに乗車しました。車両は私のあまり好きでない車両・キハ11形2両編成で、そこそこの乗車率だったので私は最後方で後方展望することにしました。



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3638Cは定刻に美濃太田を発車し、高山本線と分かれると美濃太田車両区を見ながら走ります。ここは旧形車両が留置されていることで有名ですが、それらの車両は銀色のシートで覆われていました。雨風から守るためでしょう。ここから『リニア・鉄道館』へ移設された車両もあるはずです。



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その後は木曽川を渡り、名鉄広見線が寄り添うと可児駅に着きましたが、太多線が非電化ということもあり、名鉄駅よりローカルな雰囲気でした。可児を発車後は田園地帯を丘陵地を走りますが、新興住宅地も点在しています。かつて『ホームライナー太多』が走っていたように、名古屋のベッドタウンとして開発されています。そして、途中には「姫」駅があり、駅名標を撮影しました。入場券は売れそうですが、姫駅は無人駅なのでご注意を! 尚、我が地元・兵庫県にある姫路駅はあまり人気がなさそうで、車の姫路ナンバーは人気が悪過ぎます…。



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姫を発車後は段々と沿線に住宅が増えてきて、最後は中央本線と合流すると美濃太田から27分で終点の多治見駅に到着しました。

多治見駅でも一旦駅の外に出ました。駅前はビルが多く賑やかな感じでしたが、駅は橋上駅舎への改築工事中で、駅舎は仮設でした。



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そして改札内へと戻り、ホームで『セントラルライナー』の乗車整理券(310円)を買いました。この手頃な(?)価格は名鉄特急と比べてしまいますが、使用されている313系8000番台は転換クロスシート主体(車端部は373系のセミコンパートメントと同様)で、名鉄で言えば7000系などのパノラマカー白帯車と同じようなグレードですね…。
私は名古屋行きの『セントラルライナー16号』(313系8000番台3連)に乗車しましたが、指定された座席は通路側だったので、私は着席せずに先頭の乗務員室後ろにかぶりついて前面展望をすることにしました。尚、乗車率は全ての窓側席と一部の通路側席が埋まる程度でした。



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列車は16時18分に多治見を発車し、まずは長大トンネル区間で山間部を一気に越えて愛知県へと入り、高蔵寺に着きました。この区間には旧線が発生していますが、廃線跡の一部は特定の時期に開放されて歩くことができます。高蔵寺を発車後はノンストップで春日井市内を縦断し、名古屋市へと入って大曽根に着きました。ここから先は各駅に停車し、駅ごとに乗客が減っていきます。そして金山からは東海道本線・名鉄線と並走し、最後は東海道新幹線とも並走して16時46分に終点の名古屋に到着しました。

名古屋駅では武豊線直通の区間快速に乗り換えました。キハ75系2連×2で、私は空いている転換クロスシート窓側席に座りました。発車直前には窓側席が埋まりました。



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区間快速は名古屋を発車し、金山に停車した後は共和までノンストップで走ります。そして共和、大府と停車すると武豊線へと入り、各駅に停車しますが、この時点ではほぼ全ての座席が埋まる程度の乗車率でした。
武豊線は全線単線の非電化路線ですが、現在は2015年春の電化開業へ向けて工事が進行しています。車窓風景は一気にローカル然としてきて、私は車窓風景を眺めながら移動時間を楽しみました。列車は半田市へ入ると住宅地を走るようになり、半田に到着しましたが、乗降客は少なかったです。半田では名鉄の方が乗降客が多いですが、武豊線の電化によってJRがどう巻き返すのか楽しみです。
半田を発車後は臨海部の工業地帯に沿って走り、専用線や貨物線も散見されます。そして武豊町へと入ると列車は終点の武豊に到着しました。名古屋から50分の道のりでした。



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武豊駅では改札を出て、駅の終端方へ延びる貨物支線の廃線跡を歩きました。概ね道路に転用されていたので楽に辿れました。そして13分後に武豊港駅跡に到着しました。駅跡には「回転ポッポ台」として、全国的にも珍しい直角二線式転車台が保存されていて、しばし見入りました。



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その後は貨物支線跡を再び歩き武豊駅に戻りました。そして窓口で入場券を2枚、会社に競馬好き、とりわけ武豊(たけゆたか)騎手のファンがいて、お土産に買いました。そして改札内へと入り、名古屋行きの区間快速(キハ75系2連×2)に乗り名古屋へと戻りました。武豊ではガラガラでしたが、半田から先は乗車率が上がりました。



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名古屋駅にて下車後は、地下鉄東山線のコンコースへ。土日休日に名古屋市営地下鉄が600円で乗り放題の『ドニチエコきっぷ』の特設販売をしていたので、駅員に「明日使いたいんですが…」と聞くと、「自動改札機に入れた時点で日付が入力されるので前日買いでも大丈夫です」と言われ、翌日に名古屋市営地下鉄を乗り鉄するために買いました。まぁ、夜に1日乗車券を特設で売るということは、前売前提なのでしょうが…。
そして駅西側(太閤通口)へと回り、エスカ地下街にある「きしめん亭」で、きしめん付きみそかつ定食を食べました。武豊港へ徒歩で往復して腹が減っていたので、名古屋めしで空腹が満たされました。



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食後はコンビニへ寄ってから駅西口側のビジネスホテルへ。このホテルではセルフサービスでソフトクリームが食べ放題だったので私は遠慮なく食べましたw そして部屋へ入るとすぐに入浴しました。入浴後はテレビを観ていましたが、いつの間にか眠っていました…。

(つづく)


今回の新規踏破路線はありません



今回新たに徒歩で訪問した廃線跡

路線名区間備考
日本国有鉄道:武豊線貨物支線武豊~武豊港(1.0km)昭和40年(1965年)廃止
(参考:Wikipedia)