第621回('09) 神戸電鉄粟生線と北条鉄道北条線を乗り鉄 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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前回の続き…

2009年2月7日、この日は主に大阪市内南部の路線と、神戸電鉄粟生線・北条鉄道北条線を乗り鉄しました。

午後は兵庫県内の神戸電鉄粟生線北条鉄道北条線を乗り鉄しました。
今回の日程 2009年2月7日(土) 【後半】

新開地1215(神戸高速鉄道南北線→神戸電鉄有馬線)1228鈴蘭台1244(神戸電鉄粟生線)1335粟生1410(北条鉄道北条線・625レ)1432北条町1442(北条線・626レ)1504粟生1507(加古川線・1342S)1533加古川

【帰宅】
地下駅である新開地駅構内の「高速そば」で昼食を済ませた後は、実質的に神戸電鉄有馬線の延伸線である神戸高速鉄道南北線のホームへ。粟生線直通の普通・小野行きに乗車しました。1000系列の4連でした。車内へ入ると、ガラガラでした…。私は最後部の2扉車の一番後ろの席に座り、後方展望を楽しむことにしました。



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小野行きは定刻に新開地を発車し、すぐに湊川に着きました。湊川を発車後は地上へ出て、ひたすら上り勾配で市街地を進みます。そして鵯越を過ぎると山間部へと入り、休止扱いの菊水山駅を通過しました。さらに山間部を走り、鈴蘭台車両基地が見えてくると鈴蘭台に到着しました。余談ですが、鈴蘭台は私の出生地ですw このまま小野まで行っても良かったのですが、鈴蘭台で後続の粟生行きに乗り換えることにしたので一旦鈴蘭台で下車しました。粟生行きが来るまでの15分間は、ホームで入線してくる電車を観察していました。

そして後続の粟生行きに乗りました。今回も1000系列4両編成でした。私が神鉄に乗る時は1000系列に遭遇する確率が高いですw 今回も最後部に陣取りましたが、3扉車だったので座席がありませんでした。乗客は少なかったです。この頃には粟生線の乗客減が深刻になっていましたが、実際に乗って現状を体感しました。



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粟生行きは定刻に鈴蘭台を発車し、粟生線へと入っていきます。西鈴蘭台を過ぎると山間部へと入ります。単線になったり複線になったりしましたが、単線区間ではもう少し工事を進めれば複線にできそうな箇所もありました。しかし、粟生線の現状を考えるとこれ以上の複線化は難しいでしょうね…。電車は神戸市西区内を走り、私が乳児の頃に住んでいた栄や押部谷に停車して、緑が丘からは神戸市を出て三木市内を走るようになりました。緑が丘~志染は大きなニュータウンが広がっていて、粟生線の利用客も多そうに思いますが、実際はニュータウン内から三宮へ直通する神姫バスやマイカーに旅客を奪われて、所要時間や運賃の面で劣る粟生線は相当苦戦しています…。

志染を過ぎると美嚢川沿いの平地へと下ります。三木を過ぎて大村を発車後は連続上り勾配で丘陵地へと進み、小野市へと入りました。車窓風景はローカルムード満点でいい感じですが、沿線人口が少ない事の裏返しでもあり、利用客も少なく深刻な状況です。そして市街地に入ると小野に到着しましたが、元々の乗客が20人もいなかったことから、下車客も10人少々と少なかったです。
小野を発車すると田園地帯を走り、葉多を過ぎると加古川を渡って最後は加古川線に寄り添い、鈴蘭台から51分で終点の粟生に到着しました。下車客は5人ほどでした…。これでは加古川線より乗客が少なく、北条鉄道ともいい勝負かもしれません。但し、私の乗った電車は加古川線・北条鉄道の列車と接続を取らない便だったのですが…。



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粟生駅では一旦駅舎の外に出ました。駅舎は旧来のものを使用し続けていましたが、この後に改築されました。駅舎を撮影した後は改札内へと戻り、北条鉄道線の列車が発着する3番線へ向かい、後方ドアが来る乗車位置で列車が到着するのを待ちました。私の後ろには高校生2人組が並んでいました。しばらく待っていると北条町からの粟生行き列車が入線しました。北条鉄道は一人乗務なので下車時の運賃支払いに1分ほど要していました。私は、北条町発列車の運賃支払いが終わると運転士が一旦ドアを閉めて進行方向転換の操作をしてから乗車開始、になると思っていましたが、待ち続けてもドアが閉まりません。北条鉄道の少なくとも粟生駅では折り返し時すぐに列車に乗っていいことを、この時知りました。高校生はなかなか乗車しない私に業を煮やしてか、前方ドアへ向かいました。ようやく事情を知った私も慌てて列車に乗りました。
車両はフラワ2000形の単行で、乗客は私と高校生2人組、そして後から乗ってきた3人、合わせて6人でした。私は座席に座らずに前面展望することにしました。そして運転士にフリーきっぷを購入したい旨を伝えると、北条町駅で買ってほしい、とのことでした。



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列車は粟生を発車し、大きく左へカーブして加古川線と分かれます。その後は森の中を走り、加西市へと入っていきます。網引、田原と停車し、今度は古い駅舎が現存する法華口、播磨下里、長(おさ)と停車していきます。また、長閑な感じの車窓風景が続きます。



イメージ 7長駅にて。

列車は長を発車すると播磨横田に停車して、最後は市街地へと入り終点の北条町に到着しました。北条鉄道は2001年3月に踏破しているのですが、2001年11月に北条町駅が移転してからは初の乗車となりました。



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下車後は(私が逃げないように?)運転士に連れられて窓口へ。『ゆったり旅街道・北条編』という、たいそうな名の付いた普通のフリーきっぷ(1000円)を購入しました。粟生~北条町の片道運賃は410円なのですが、リーマン・ショックの苦しい時期にもかかわらず応援の意味も込めて1000円のフリーきっぷを記念に買うことにしたのです。すると、係員が使用期間が過ぎた過去の記念きっぷまで私にくれました。私はこのサービスぶりに驚き、とても嬉しかったです。いまでも貰った記念きっぷは大切に保管しているのですが、執筆時に探したものの見つかりません…orz



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きっぷの購入後は駅前を軽く散策して駅構内へ。北条町到着時に気付いていたのですが、元・三木鉄道の車両が側線に留置されていました。三木鉄道から譲渡された車両で、塗色は三木鉄道時代のままでした。この車両が来た結果、開業時からのレールバス・フラワ1985形が全廃となりました。そして全3両のうち2両が紀州鉄道へ譲渡され、キテツ1、キテツ2として今も活躍しています。



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そして私は折り返し列車に乗りましたが、今度も前面展望を楽しんで粟生駅まで戻りました。下車時には運転士からJRの乗車駅証明書を貰ったような記憶がありますが、定かではありません…。



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粟生駅では3分の接続で加古川線の加古川行き電車に乗り継ぎました。西脇出身の画家・横尾忠則デザインのラッピングが施された103系3550番台2連で、乗客が多かったので私は最後部で後方展望を楽しんで終点の加古川駅まで移動しました。



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加古川駅下車後は買物をしてから帰宅しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません



(参考:Wikipedia)