第620回('09) 阪堺電気軌道上町線などを乗り鉄 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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2009年2月7日、この日は主に大阪市内南部の路線と、神戸電鉄粟生線・北条鉄道北条線を乗り鉄しました。

午前中は主に大阪市内南部の阪堺電気軌道上町線などを乗り鉄しました。
今回の日程 2009年2月7日(土) 【前半】

加古川636(JR神戸線・3202M新快速)728大阪733(大阪環状線外回り)755天王寺/天王寺駅前818(阪堺電気軌道上町線)834住吉公園/住吉大社841(南海本線)848天下茶屋850(徒歩・南海天王寺支線の廃線跡)930天王寺駅跡/大阪阿部野橋951(近鉄南大阪線)953河堀口(徒歩)美章園1008(阪和線)1011天王寺1021(大阪環状線内回り)1043大阪1105(JR神戸線・751T快速)1138神戸1140(徒歩・メトロこうべ)1155新開地

【後半へ続く】
この日は5時に起床し、朝食後に自宅を出発しました。そして加古川駅では『 ICOCA 』で入場し、JR神戸線の上り新快速(223系8連+4連)に乗車して大阪駅まで移動しました。はじめは通路側の席に座りましたが、三ノ宮で窓側席の客が下車したので窓側席に移動しました。

大阪駅では大阪環状線外回りに乗り換えました。今回は201系ではなく103系8連でした。私はドア脇で車窓風景を眺めながらの移動となり、半周して天王寺駅で下車しました。天王寺基準で京橋方の先頭車両は低運転台車でした。



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天王寺駅で下車後は駅南側にある阪堺電気軌道上町線の天王寺駅前電停へ。歩道橋からホームへ移動しましたが、現在は歩道橋からホームへ下りられなくなっています。また、大阪阿部野橋駅の場所には近鉄百貨店がありますが、当時は「あべのハルカス」の影も形もありませんでした。さらに、電停西側には現在「あべのキューズタウン」がありますが、当時は建物すらありませんでした…。阿倍野界隈はこの数年で激変しましたね。



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私は8時18分発の住吉公園行き、上町線全線を走破する系統の電車に乗車しました。車両は戦前に製造されたモ161形電車の単行でした。私はいの一番に乗り込み、前面展望することにしました。あびこ道方面へ直通しない電車だからか乗客は少なかったです。



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電車は天王寺駅前を発車し、併用軌道を南へ進みます。上町線は数年ぶりに乗車したので新鮮な気分でした。そして松虫の手前から専用軌道区間になり、今度は狭い併用軌道区間へ変わると高級住宅地と言われている帝塚山地区を走ります。途中での乗降は少なかったです。



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帝塚山四丁目を過ぎると専用軌道区間になり、築堤を上がって南海高野線をオーバーパスしました。そして築堤を下ると住吉に着きました。我孫子道や浜寺方面へ向かう電車はここで分岐して阪堺線へと入っていきますが、こちらはそのまま上町線を走り続けます。住吉を発車するとすぐに阪堺線と平面交差して、その後は左へカーブして、あっという間に終点の住吉公園電停に到着しました。天王寺駅前から16分の道のりでした。住吉公園電停はひっそりとした感じがしましたが、乗降客が少ないようで、現在では住吉公園発着の電車が相当減っているようです…。このまま行けば住吉~住吉公園が廃止されるかも…と思ってしまいます。



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阪堺上町線の乗り鉄を終えた後は、住吉公園電停に隣接する南海本線の住吉大社駅へ。ここから普通・難波行きに乗りましたが、車両が元・高野線の2000系4連でした…。2000系は17m級の車体長のズームカーで、しかも2扉車です。車内は混雑していて、私は何とかドア脇を確保できましたが、2000系は南海本線の普通列車には適さないと思いました。加太線でもムリがありそうで、活躍できそうなのは多奈川線や汐見橋線くらいでしょうか? 私は終点まで乗らずに、天下茶屋(てんがちゃや)で下車しました。



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天下茶屋駅では改札を出て駅の外へ。今回は久しぶりに南海天王寺支線の廃線跡を辿ることにしました。まずは南海本線・高野線の高架橋に沿って歩き、支線が右へカーブすると私も高架橋から離れていきました。天王寺支線の廃線跡は立入できない箇所が多く、迂回しつつ柵の外から写真撮影しました。



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廃線跡用地は駐車場や児童公園、公共施設に転用されていましたが、地域性を考慮して児童公園も柵に囲まれていて、しかも門に鍵が掛けられていて中へは入れませんでした…。そして歩き続けると、前回の訪問時に初めて見た、あいりん地区にある萩之茶屋南公園(通称・三角公園)に差し掛かりましたが、ここでは炊き出しが行われていました。さすがにカメラを取り出す勇気はありませんでした…。
その後も廃線跡を迂回しながら天王寺を目指しました。途中には宿泊料金の安い簡易宿泊所が多く見られました。そして阪堺電気軌道阪堺線を潜ってスーパー玉出の辺りに出ました。ここには阪堺線の今池電停があり、かつては南海平野線が分岐していました。また、飛田新地がこの南東側にあります。

私はその後もディープな場所を迂回しながら天王寺支線の廃線跡を辿りました。そしてようやく廃線跡が大阪環状線の南側を通る道路と交差する地点へと差し掛かり、ディープな市街地を脱出(?)しました。その後は環状線内唯一の踏切(現在は閉鎖)から廃線跡を撮影して、最後は南側の道路を歩いて(上り坂でしたが…)、天王寺駅前に着きました。



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その後は近鉄の大阪阿部野橋駅へ移動しました。「あべのハルカス」を建設する関係で、既に線路は数十メートル後退していました。そして近鉄南大阪線を1区間だけ乗って(藤井寺ゆき普通。6071F3連+6604F2連。車内はガラガラ)、難読駅名の河堀口(こぼれぐち)で下車しました。駅の手前で高架の阪和線をオーバーパスしているため、ホームはかなり高い位置にありました。



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下車後は徒歩で阪和線の美章園駅に移動しました。今回は阪和線上り列車に乗って天王寺駅手前の入り組んだ配線、そして天王寺駅阪和ホームを撮影する予定でした。また、河堀口駅の高さも体験したかったのですw 
天王寺行き列車は3分遅れでやって来ました。103系4連で混雑していましたが、私は計画通りにドア脇のポジションを押さえることができました。



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列車が発車すると私は車窓風景に釘付けとなり、大和路線・大阪環状線への連絡線が分岐する地点から私は撮影を始めました。そして列車はすぐに終点の天王寺に到着し、今度は天王寺駅阪和ホームの様子を撮影しました。



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阪和ホームを後にして、今度は大阪環状線内回りに乗って大阪駅まで移動しました。車両は221系6連+2連で、始発駅から乗ったこともあり、座って移動しました。鶴橋や京橋で乗客が一気に増えました。



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大阪駅では一旦改札を出て、取り壊される阪急百貨店のビルを撮影したり、ヨドバシカメラで買い物をしたりしました。



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そして改札内へと戻り、JR神戸線の下り快速(223系8連)に乗って神戸駅まで移動しました。大阪駅からでも窓側席に座れました。さほど混雑してませんでした。

神戸駅で下車後は地下街の「デュオこうべ」を通って高速神戸駅へ。ここから電車には乗らずに、神戸高速線の上層部にある商店街「メトロこうべ」を歩いて新開地駅まで移動しました。


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1駅間でも1kmもありませんので十分歩いて行ける距離です。また、「メトロこうべ」の中間部分は地下道のような感じですが、卓球場やゲームセンター、古本屋があり、昭和の雰囲気を色濃く残しています。そして新開地駅に到着し、地上へ出て神鉄ビルを写してから地下へと戻り、『 ICOCA 』で入場しました。丁度お昼時だったので、私は「高速そば」で、かけうどん・おにぎりを食べました。



イメージ 162008年撮影。

午後も乗り鉄を続けました。

(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません



(参考:Wikipedia)