第582回('08) 東京へ。日暮里から上野まで京成本線の旧駅遺構を辿りながら街歩き | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

2008年10月12日~13日、1泊2日の日程で東京・静岡方面を乗り鉄旅行しました。
主な目的は、1年前の2007年に開館した鉄道博物館へ行くためです。
しかし、前日の夜に急な思いつきで決定した旅行のため、チグハグな行程になってしまいました…。



イメージ 1

今回は初日前半の行程です。まずは神戸空港から飛行機で羽田空港へ。
そして、浅草に寄ってから上野へ移動し、京成本線の電車に乗って廃止された地下駅を確認しつつ日暮里駅へ。
今度は徒歩で地上から旧駅遺構を探しながら京成上野駅へ戻りました。
今回の日程 2008年10月12日(日) 【前半】  

加古川520(JR神戸線・704K快速)604三ノ宮/三宮610(ポートライナー)628神戸空港705(飛行機・JAL150便)805羽田空港816(京急空港線→本線→都営浅草線・急行)900浅草1102(東京メトロ銀座線)1107上野/京成上野1113(京成本線)1117日暮里1120(徒歩・寛永寺坂と博物館動物園の両駅跡を探訪)1237京成上野/上野

【後半へ続く】
今回の乗り鉄旅行は3連休初日である前日の夜に思い付きました。東京へは新幹線ではなく久しぶりに神戸空港から飛行機で行こうと思い、ネットで空席検索したら、1日前でも大丈夫でした。しかも、1日前でも割引運賃が適用されていたのには驚きましたが、正規運賃が高過ぎるということでしょうか? また、ホテルも急遽予約しましたが、OKでした。

この日は4時に起床し、朝食後に自宅を出発。加古川駅で『 ICOCA 』をタッチして入場し、5時20分発のJR神戸線上り一番列車(223系12連)に乗車しました。私は窓側席に着席して移動し、三ノ宮駅で下車しました。

三宮駅からはポートライナー(神戸新交通ポートアイランド線)に乗車して、終点の神戸空港駅まで乗り通しました。2000型6連でしたが、先頭の座席は先客に取られてしまい、私はドア後ろの座席に甘んじましたw 乗客はキャリーバッグを持った人が多かったです。



イメージ 2

神戸空港駅にて下車後は、駅全容を撮影してから空港ターミナルビルへ移動し、搭乗手続きと保安検査を済ませて、ロビーで搭乗を待ちました。そして飛行機(JAL150便。機材ボーイング767-300?)への搭乗が始まり、私は指定された席に座りました。右側の席で、視界を遮るように翼がやや前方にありました…。機内はほぼ満席でした。



イメージ 3

羽田行きの飛行機は7時05分頃に動き出し、数分後に離陸しました。離陸の瞬間はいつも緊張します。その後は航空写真のような景色を見ながらの移動となりましたが、かなり上空へ進むと翼と雲が邪魔で満足に眺められませんでした…。そして約1時間後に東京国際空港(羽田空港)に着陸し、飛行機を降りました。

その後は、京急の羽田空港駅(現在の羽田空港国内線ターミナル駅)へ向かい。京急~都営浅草線直通の急行(都営5300形8連)に乗車しましたが、車内はガラガラだったので私は着席して移動しました。そして浅草駅で下車しました。



イメージ 4

浅草では「WINS浅草」で馬券を買って非鉄な時間を過ごしました。そして浅草駅へと戻り、東京メトロ銀座線(01系6連)のやや混雑した電車に乗って上野駅まで移動しました。

上野駅で下車後は京成上野駅へ移動し、京成の普通・うすい行きに乗車しました。3000形4連で、車内は超ガラガラでした。私は着席して、地下駅として存在していた博物館動物園駅と寛永寺坂駅の遺構を走行中の車内で確認して日暮里駅まで移動しました。博物館動物園駅跡のホームはそのまま残っていました。一方、寛永寺坂駅跡はホームこそありませんでしたが、スペースが広かったことから駅跡の位置は特定できました。



イメージ 5

また、日暮里駅は成田空港線(成田スカイアクセス)関連の工事で多層化工事が進行中でした。また、日暮里駅ではガムテープを使った独特の書体の案内板が見られました。この書体は「修悦体」と呼ばれています。



イメージ 6

日暮里駅を下車後は駅の西側へ出て、まずは寛永寺坂駅跡を目指しました。路上ではボランティアの方(?)が谷中地区の観光案内地図を配布していたので私も貰いました。そしてこの地図も見ながら歩き、途中で谷中霊園に入りましたが、霊園内で少し道に迷ってしまいました…。しばらくして霊園から出て少し歩くと京成本線が地下から地上へ顔を出すポイントへ差し掛かり、写真撮影をしました。



イメージ 1

その後は極力地下線に沿って歩くと寛永寺坂駅跡に着きました。駅跡は現在も京成電鉄が所有していて、駅舎は当時からのものと思われますが、「台東倉庫」に貸し出しているそうです。



イメージ 7

その後は地下線の京成本線をできるだけトレースしながら地上の道路を辿り、10分ほどで今度は博物館動物園駅跡に着きました。地下へ続く出入口跡(駅舎?)は当時も残っていました。壁面には「博物館動物園駅跡」と書かれたレリーフも掲げられていました。



イメージ 8

その後は上野動物園旧正門側の地上口も撮影して、上野公園内を歩いて京成上野駅へ戻りました。



イメージ 9

途中、西郷隆盛像を見物しようと思いましたが、この時は像がどこにあるのか見つけられませんでした…。

そして私は京成上野駅からヨドバシカメラへ寄って、JRの上野駅へと移動しました。そして大宮にある鉄道博物館へ向かいました。

(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません


(参考:Wikipedia)