第565回('08) 東京メトロ副都心線&横浜市営地下鉄グリーンライン&東急目黒線延伸部 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

前回の続き…

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2008年7月19日~22日、3連休+有給1日で4連休を取り、3泊4日の日程で関東甲信越方面を乗り鉄しました。
2日目の7月20日からは『青春18きっぷ』を使用しました。

今回は3日目、7月21日(海の日)前半の行程です。
この日は前月の2008年6月に開業したばかりの東京メトロ副都心線、同じく6月に武蔵小杉~日吉が(路線系統として)延伸された東急目黒線、そして3月開業の横浜市営地下鉄グリーンラインの計3路線をいっぺんに乗りつぶしました。
今回の日程 2008年7月21日(月・祝) 【前半】 

御徒町721(京浜東北線・607C)731新橋736(東京メトロ銀座線)748渋谷823(東京メトロ副都心線・急行)848和光市902(副都心線)915小竹向原919(副都心線・急行)934渋谷950(東急東横線・急行)1008日吉1025(横浜市営地下鉄グリーンライン)1046中山1104(グリーンライン)1124日吉1131(東急目黒線)1155目黒

【後半へ続く】
この日は6時に起床し、朝食を食べてから7時過ぎにホテルをチェックアウトしました。そして御徒町駅へ向かい、『青春18きっぷ』のスタンプが押されて改札内へと入り、7時21分発の京浜東北線電車(209系10連)に乗り新橋駅まで移動しました。車内はそこそこ混雑していたのでドア脇で新幹線や秋葉原【アキバ】などの車窓風景を眺めていました。



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新橋駅では改札を出て、東京メトロ銀座線(01系6連)に乗り換えました。空いていたので最後部車両で座って移動し、12分の乗車で終点の渋谷に到着しました。渋谷駅は高架駅で、到着前は必死に車窓風景を眺めましたw



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渋谷駅で下車後は一旦ハチ公口へ回り、忠犬ハチ公像や、広場に静態保存されている『青ガエル』こと東急5000系(初代)のデハ5001号を撮影しました。



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そして東急田園都市線・東京メトロ半蔵門線の駅へと続く地下道へ入り、RPGゲームのダンジョンのような通路を通って、お目当ての東京メトロ副都心線・渋谷駅に着きました。
駅は島式ホーム2面4線の構造ですが、中央2線はレールが敷かれた状態ながら一部が通路になっていて使用できない状態でした。従って副都心線列車は両端の線路・ホームを使用していました。中央2線は5年後の東急東横線との相互直通運転開始時に晴れて使用されることになりました。また、駅名標を見ると東急仕様でした。前年の2007年12月に東京メトロから東急の管理に移管された田園都市線と同じく東急の管理駅であることが一目で分かりました。



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さて、これから副都心線の乗りつぶしを始めることにします。まずは和光市駅へ行くために東武直通の急行・川越市行きに乗車しました。車両は東武9000系10連でした。メトロの10000系を期待していたのですが…仕方ありません。私は最後部車両に乗車し、車内はガラガラだったので着席して車窓風景(殆ど地下区間ですが…)を眺めることにしました。
急行は8時23分に渋谷を発車し、当然ながら電車は地下を走ります。新宿三丁目、池袋の順に停車し(当時の土休日は明治神宮前を通過)、この年の2月に最後の乗車をした旧・有楽町線新線区間へと入ります。要町と千川は新線時代と同じく通過しましたが、副都心線にも各駅停車用にホームが出来ていました。そして小竹向原を発車後は有楽町線との重複区間をノンストップで走りますが、元々、小竹向原~和光市は13号線(現在の副都心線)として計画されていた区間ですが、結局は有楽町線として1983年~1987年に開業しました。
地下鉄成増(旧・営団成増)を通過すると地上へ出て東武東上線と並走し、最後は東上線の上下線の間へ入って、8時48分に和光市に到着しました。25分の乗車時間でした。また、車内は終始空いていました…。私の乗車した急行は種別を『普通』に変更して川越市へ向けて去っていきました。



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和光市駅では一度改札を出て駅前の様子をうかがってから改札内へと戻りました。今度は副都心線の各駅停車に乗車しました。車両は7000系でしたが、8連に短縮されていた編成でした。



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8連だからか車内はやや混雑していたので私はドア脇へ。そして私はこの列車で渋谷まで行こうと思いましたが、渋谷には後続の急行に先着するとのアナウンスがあったので、小竹向原で急行に乗り換えました。しかし、今回も東武9000系10連でした…。この急行も少々混雑していたので私はまたもドア脇へ。途中の東新宿で先程乗車した各停を追い越したはずですが、各停の停車しているホームとは壁で仕切られていて見ることができませんでした…。東急田園都市線の桜新町駅と同じような感じですが、上下線で二層構造になっていることも桜新町駅と同じです。そして和光市から32分で渋谷駅へ戻り、副都心線の上下線乗りつぶしが完了しました。改札を出た後はダンジョン地下通路を通って東口側の地上へ出ました。当時はまだ「渋谷ヒカリエ」はオープン4年前でした。

次は、こちらも2008年開業の新線である横浜市営地下鉄グリーンラインの乗りつぶしをするために、東急東横線に乗り換えて日吉駅まで移動することにしました。まずは2013年に廃止となった渋谷駅の高架ホームへと上がり、駅構内を撮影してから元町・中華街行きの急行に乗車しました。車両は9000系8連で、この車両は2013年3月15日(東京メトロ副都心線との相互直通運転開始日の前日)をもって東横線から撤退しています。



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車内はそこそこ混雑していたので、私は乗務員室の後で前面展望をしました。田園調布からは目黒線と並走するようになり、武蔵小杉を過ぎると東横線は高架を、目黒線は地平を走るようになりました。その後は元住吉の手前で目黒線も高架になり、再び並走して目的地の日吉に到着しました。18分の乗車時間でした。

日吉駅では改札を出て、西口側から地下へ入り横浜市営地下鉄グリーンライン(横浜市高速鉄道4号線)に乗り換えました。大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線などと同様のリニア式ミニ地下鉄で、車両(10000形4連)は小さかったです。しかし、車内はガラガラだったので私は着席して車窓風景を眺めることにしました。



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列車は10時25分に日吉を発車しました。住宅地の地下を走っているはずですが、地下なので車窓風景を望むべくもありません…。しかし、センター北~センター南では地上(高架区間)を走り、グリーンラインの開業と同時にブルーラインの愛称が使用開始となった3号線と並走しました。そしてセンター南を発車すると再び地下区間になり、ブルーラインと分かれました。その後も2ヶ所ほど地上に出る区間がありましたが、撮影できずじまいでした…orz そして21分の乗車で終点の中山に到着しました。

中山駅では地上へ出て軽く駅前を散策してから地下へ戻り、再びグリーンラインに乗って座って日吉へ戻りました。今度は川和町の車両基地など地上区間の車窓風景を撮影することができました。また、日吉へ向かうにつれて乗車率が上がってきました。しかし混雑しだしたのはセンター北から先のオール地下区間だったので、私は終点の日吉まで席に座り続けました。

これでグリーンラインの乗りつぶしも完了したのですが、もう1線区残っていました。先程、東横線に乗っていた時、田園調布~日吉で並走していた目黒線が未乗で残っていました。路線系統としての目黒線・武蔵小杉~日吉の延伸区間(正式には東横線の複々線区間)は2008年6月22日に開業したばかりで、当然ながら未乗でした。今回は日吉から目黒線電車に乗り、目黒まで移動することにしました。乗車したのは都営地下鉄三田線直通の西高島平行き各停で、5080系6連でした。車内はガラガラだったので私は着席して車窓風景を眺めることにしました。

列車は日吉を発車し、東横線の上下線に挟まれた複線を走ります。元住吉を過ぎると高架から地上へ下り、元住吉検車区からの引込線と合流してから再び高架へ上がると武蔵小杉に着きました。武蔵小杉からは乗車済の区間なので、初踏破時を思い出しながら引き続き車窓風景を眺めながらの道中となりました。なお、列車は武蔵小杉から乗客が増えてきて、田園調布発車時点では大半の座席が埋まりました。そして24分の乗車で列車は地下鉄との境界駅である目黒に到着し、私は下車しました。



イメージ 102011年撮影。

目黒駅では改札を出て、駅前にある「松屋」で昼食を済ませました。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
東京メトロ:副都心線渋谷~池袋8.9km池袋~和光市は有楽町線として踏破済
横浜市営地下鉄:グリーンライン日吉~中山13.0km踏破達成!
東京急行電鉄:目黒線日吉→武蔵小杉2.8km参考記録
(参考:Wikipedia)