第544回('08) 山陽電鉄などの地上線跡(東須磨~高速長田)を訪問 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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2008年4月5日、この日も『スルッとKANSAI 3dayチケット』を使用して、日帰りの日程で神戸・大阪方面の私鉄路線を中心に乗り鉄・廃線跡探訪をしました。

今回は前半の模様です。
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の日までは、神戸高速鉄道東西線の高速長田~西代(一部)と山陽電気鉄道本線の西代~東須磨は市街地を地上線で走っていました。震災前より地下化工事は施工されていましたが、震災後は地上線ではなく地下線での復旧となり、地上線は廃線となりました。
今回はその地上線跡を探訪しました。
今回の日程 2008年4月5日(土) 【前半】

別府1028(山陽電気鉄道本線)1035東二見1040(直通特急【黄】)1101山陽須磨1102(普通車)1107東須磨1111(徒歩・山陽電鉄本線&神戸高速鉄道東西線の廃線跡)1155高速長田1159(神戸高速東西線→阪神本線)1242梅田1(徒歩)北新地1253(JR東西線→学研都市線・4508B)1306放出

【後半へ続く】
この日は乗り鉄日にしては珍しく8時頃に起床し、朝食後に自宅を出発。今回も『スルッとKANSAI 3dayチケット』利用なので別府駅からスタートです。
最初に乗った上り普通車は3000系3連で、そこそこの乗車率でしたので私はドア脇へ。そして東二見で後続の直通特急【黄】に乗り換えました。車両は山電では最新の5030系6連で、片側のシートが1人掛けになっているタイプでした。この列車も座席がほぼ埋まっていたので、ここでもドア脇から車窓風景を眺めました。そして山陽明石駅では予想通りの大量下車があり、すかさず1人掛けの空いた席に座りました。その後も車窓風景を眺めながら快適な移動時間を過ごしましたが、今回の最初の目的地は東須磨なので名残を惜しみつつ(?)山陽須磨で直通特急を下車しましたw
山陽須磨では待避していた普通車に乗り換えました。車両は3000系3連でアルミカーでした。車内はガラガラだったのでロングシートの座席に座って車窓風景を眺めることに。電車は須磨寺、月見山と停車していきますが、乗客は少しずつ増えただけでした。そして阪神高速道路3号神戸線をアンダーパスして左手に東須磨車庫を見ながら走ると東須磨に到着。私は下車しました。



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東須磨駅からは、徒歩で1995年に地下線に切り替えられた山陽電鉄本線と神戸高速鉄道東西線(現在の阪神電気鉄道神戸高速線)の地上線跡を辿ります。まずは東須磨駅の簡易的な橋上駅舎から地上に下りて、線路沿いに歩きます。そして、山電本線が地下へ入る場所で撮影をしました。



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その後は再開発で面影を失った地上線跡に沿って歩きますが、遺構はまず見当たりませんでした。板宿駅は駅北側のアーケード商店街は健在でしたが、地上駅跡周辺は線路跡が幅員の広い道路になり、かなりスッキリした印象になっていました。
板宿駅からは右へカーブしていましたが、ここは片側2車線の道路になっていました。但し、東行きの車線が一段高い所を通っていました。地上線があった頃から段差があったのか、道路を建設する際に段差を設けたのか定かではありませんが…。



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その後は地上線跡最大の遺構とも言える、県道21号線の陸橋を潜りました。今となっては不自然な場所にある陸橋ですが、渋滞緩和には一役買っていると思います。



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その陸橋を潜ると、県道21号線の南側にあった西代駅の地上駅跡に着きました。まずは西側を見ると、西代車庫の跡地に山陽電鉄の本社や商業施設「ソレイユ西代」が建設されました。
西代駅を過ぎると地上線は地下へと入っていきましたが、その位置を私では特定できませんでした…。また、この付近の県道21号の地下は現在、阪神電鉄神戸高速線の他に阪神高速31号神戸山手線も通っていて、どういう風に地下で絡んでいるのか気になりました…。



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そして、西代駅の東方からは以前からの地下区間になりますが、神戸高速鉄道が開業する前は山電が県道の路面を走っていました。ここからは地上の旧線跡を探訪することにしましたが、如何せん路面を走っていた区間なので遺構は見られませんでした。私は沿線の雰囲気を予想しながら県道の歩道を歩き、新湊川を渡ると山電時代の長田駅跡を通過した後に高速長田駅(に到着しました。



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山電の旧線は電鉄兵庫駅まで延びていたのでまだまだ歩かなければならないのですが、時間の関係で今回はここで断念しました。そして高速長田駅からは再び電車に乗りました。最初に来たのは須磨浦公園発阪神梅田行きの阪神特急で、8000系リニューアル車の6連でした。私は中間車両に乗りましたが、転換クロスシートは既に埋まっていました。しかし、新開地で席が空いたので私はそこに座り、終点の梅田駅まで車窓風景を眺めながら移動時間を過ごしました。

梅田駅を下車後は地下街「ディアモール大阪」を南へ歩いてJR東西線の北新地駅へ移動しました。そして、北新地駅から普通・松井山手行き(321系7連)に乗って学研都市線(片町線)の放出駅まで移動しました。私は疲れていたのでロングシートに腰掛けましたが、乗車率は低かったです。



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放出駅にて。難読駅名の王様ですw


この日はまだまだ乗り鉄を続けました。

(つづく)


今回の新規踏破路線は有りません



今回新たに徒歩で訪問した廃線跡

路線名区間備考
山陽電気鉄道:本線東須磨→長田(2.6km)1968年地下線へ切替
(参考:Wikipedia)