第540回('08) 水間鉄道を乗り鉄して帰宅 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…
2008年3月15日、『スルッとKANSAI 3dayチケット』を使用して、日帰りの日程で大阪府南部・泉州地域の私鉄路線を中心に乗り鉄しました。

今回は後半の模様です。
『スルッとKANSAI 3dayチケット』では乗れない水間鉄道に乗車しました。そして、帰りは南海本線の特急『サザン』の指定席車両にも乗車しました。
今回の日程 2008年3月15日(土) 【後半】

羽衣1040(南海本線・区間急行)1057貝塚1105(水間鉄道水間線)1119水間1140(水間線)1155貝塚1200(南海本線)1208泉佐野1228(南海本線・特急『サザン24号』)1257難波/なんば1318(大阪市営地下鉄御堂筋線)1326梅田1400(阪神本線→神戸高速→山陽電鉄本線・直通特急【赤】)1507東二見1508(山陽電鉄本線)1514別府

【帰宅】
南海高師浜線を乗り鉄した後は、再び南海本線に乗って南へ移動しました。まずは羽衣駅から10時40分発の区間急行に乗りました。4両編成で、私の乗った後2両は7000系2連でしたが、なぜか前2両が7000系だったのか7100系だったのか忘れてしまいました…orz 空いていたので私はロングシートに座って車窓風景を眺めました。そして17分後の10時57分に次の目的地である貝塚に到着し、私は下車しました。

貝塚駅からは、こちらも1999年以来9年ぶりとなる水間鉄道を乗り鉄します。この9年の間に水間鉄道は倒産してしまいましたが、「実演手打ちうどん」のグルメ杵屋傘下となり新生会社として再出発しました。とはいえ、鉄道関係の施設は1999年とほぼ変わりなく、貝塚駅と水間駅(現・水間観音駅)では旧式の自動改札機が現役でした。水間鉄道は『スルッとKANSAI 3dayチケット』が使えないので、自動券売機で水間までの乗車券を買ってから自動改札機を通りました。



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そして、既に入線していた水間行き電車に乗車しました。車両は元東急7000系2連で、水間鉄道でも当初は7000系を名乗っていましたが、グルメ杵屋の子会社になってからリニューアル改造を受け、全車両が1000形へと形式変更されました。車内へ入ると、そこそこの数の乗客がいたので、私は最後方のドア脇で車窓風景を眺めることにしました。



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電車は11時05分に貝塚を発車し、まずは市街地を走ります。そして阪和線をアンダーパスしますが、連絡駅は設けられていません。その後は次第に郊外へと進み、停車駅ごとに乗客が減少していきました。また、正面には山並みが接近してきました。そして最後は静態保存されている501形電車を見て、14分の乗車で11時19分に終点の水間に到着しました。



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水間駅では改札外に出て、1999年に国の登録有形文化財に登録された大正15年の開業時からの駅舎を撮影しました。ちなみに水間駅は翌2009年に水間観音駅へと駅名が改称されています。



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1999年の訪問時には水間寺(水間観音)を参拝したのですが、今回はそのまま引き返すことにしました。少しだけ休憩して、11時40分発の貝塚行き電車に乗りました。今回も1000形2連で、空いていたので着席しましたが、今度は貝塚へ近付くにつれて乗客が増えてきました。そして11時55分に貝塚に到着し、水間鉄道の乗り鉄を終えました。

そして貝塚駅からは、またまた南海本線に乗って、さらに南へ移動します。乗車した普通車は、今回も7000系列の2連×2でした。私の乗った前2両は7100系でしたが、今度は後2両の形式を記録していませんでした…orz 空いていたので私はロングシートに腰掛けて車窓風景を見ることにしました。普通車は12時ジャストに貝塚を発車し、二色浜、鶴原、井原里と各駅に停車して、12時08分に泉佐野に到着しました。私はここで下車して、駅の外へ出ました。泉佐野駅は2005年に高架化されましたが、駅前広場や高架下などは一部整備工事中でした。



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この後は関空方面へ行こうとしましたが、急に疲れてきたので今回は関空行きを断念し、まだ早いですが帰宅の途につくことにしました。本当にしんどかったので、特急『サザン』の指定席車両に乗って難波まで戻る事とし、ホーム上にある指定席券売機で窓側席を指定して指定席券(500円)を購入しました。指定席券はレシートのような紙切れだったと記憶しています。その後しばらく待っていると、難波行きの特急『サザン24号』が到着しました。前4両が7000系の自由席車、後4両が10000系の指定席車で、私は指定された最後部車両・1号車の右側窓側席に座りました。他の号車はガラガラでしたが、1号車だけは窓側席がほぼ埋まるほどの乗車率でした。現在でこそ、乗車率はそこそこ分散していますが、当時の南海や近鉄の特急の乗車率は車両によって極端に偏っていたような気がします。



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『サザン24号』は12時28分に泉佐野を発車し、岸和田、堺と停車していきます。岸和田でも2~3人乗車してきましたが、さすがに堺では誰も乗ってきませんでした。そして大阪市営地下鉄堺筋線との乗換駅である天下茶屋で数人が下車し、続いて新今宮でも数人が下車しました。そして最後は通天閣を見ながら複々線区間を北上し、12時57分に終点・難波に到着しました。快適な29分間でした。

時刻は13時で、お腹が減ってきました。難波駅構内にある「南海そば」で、きつねうどんを食べて空腹を解消し、難波駅をあとにしました。私は地下へ移動して、なんば駅から地下鉄御堂筋線(10系10連)に乗って梅田まで移動しました。混雑していたので私はドア脇にいました。

梅田駅到着時点で体力が回復したので、私は梅田駅北口側にあるヨドバシカメラで買い物をしました。そして次は阪神の梅田駅がある南側へ移動しなければならないのですが、この場合は一旦地上に出てJR大阪駅・阪急百貨店(動く歩道)・国道176号の歩道を歩く選択肢、または地下で阪急百貨店へ入るか阪急百貨店の東側にある地下街へ迂回する選択肢があります。しかし当時、阪急百貨店は改築工事中で、阪急百貨店を通るルートはまともに使えなかったと記憶しています。また、地上へ出ると結構時間がかかりますし、地下街へ迂回するのも遠回りになるので時間がかかります。そこで、私は『スルッとKANSAI 3dayチケット』を入場券代わりに使用して北口から改札内へと入り、ホームを通って南端の南口から改札外へと出て、徒歩では最速に近い時間で南口に近い阪神梅田駅に着きました。尚、地下鉄梅田駅では、中央口から南口の間は改札外でも地下道がホームに並行して整備されているので楽に移動できるのですが、JRをくぐる北口と中央口の間には地下道がないので、この間の移動が結構大変です…。

そして阪神の梅田駅からは山陽姫路行き直通特急に乗車しました。神戸高速線内も通過運転をする【赤】の種別幕で、しかも車両は山陽の5000系とあっては喜ぶほかありませんでした。私は空いているクロスシートに座りました。発車間際には殆どの座席が埋まりましたが、私の隣席は空いたままでした。



イメージ 72009年11月撮影。

直通特急は14時ジャストに梅田を発車し、モーターが爆音を鳴らしながら阪神本線を西へ走ります。そして元町から神戸高速線内へと入り、西代からは山陽電鉄へと変わりました。そして山陽須磨~山陽明石では大半の区間でJRと並走しましたが、こちらの線形が悪すぎるのでスピードは上がりませんでした…。しかし、舞子公園を過ぎてJRをオーバーパスし、勾配を下ると一気に加速して、またモーターを唸らせながら爆走を始めました。これは山陽明石を過ぎても続き、かなりのスピード感と迫力を感じました。

そして直通特急は15時07分に東二見に到着。私は下車して隣のホームで待避している3000系3連の普通車に乗り換えました。疲れていたのでロングシートに腰掛けました。
普通車は直通特急が発車した直後の15時08分に東二見を発車し、西二見、播磨町と停車していきます。そして加古川市に入って1駅目の別府で私は下車し、疲れていた私は家路を急ぎました。

(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません


(参考:Wikipedia)