第538回('08) 東京メトロ有楽町線新線にお名残乗車 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

前回の続き…
2008年2月22日~24日、2泊3日の日程で、2~3日目はJR東日本の『土・日きっぷ』を使用して、新幹線など東日本を乗り鉄しました。

今回は最終3日目(2/24)後半の模様です。
『土・日きっぷ』を使用して直江津まで行って東京へ戻ってきました。
その後は、4か月後に開業する予定の東京メトロ副都心線の一部区間となる有楽町線の新線に最後の乗車をしてきました。
そして、東京在住の弟と会ってから新幹線で兵庫県加古川市の自宅へと帰りました。
今回の日程 2008年2月24日(日) 【後半】

上野1457(山手線内回り)1514池袋/新線池袋1531(東京メトロ有楽町新線)1535小竹向原1545(有楽町線)1550池袋1554(山手線内回り)1557高田馬場1726(東京メトロ東西線・快速)1739大手町(徒歩)東京1820(東海道新幹線・のぞみ143号)2053新大阪2115(山陽新幹線・こだま685号)2140西明石2144(JR神戸線・3307M新快速)2151加古川

【帰宅】
上越新幹線と北越急行ほくほく線の特急『はくたか』を乗り継いで直江津まで往復して東京へ戻ってきました。
この日は弟と16時30分に高田馬場で会う約束をしていたのですが、時刻はまだ15時。新幹線を上野で下車した私は、山手線内回り(E231系)に乗って、まずは高田馬場の2駅手前にある池袋駅で下車しました。



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そして今度は、4か月後の2008年6月には東京メトロ副都心線の一部区間となる予定の、有楽町線新線に最後の乗車をするべく、新線池袋駅に向かいました。JRの改札を出て、案内通りに新線池袋駅へ。新線駅の改札周辺は工事中でした。『 Suica 』をタッチして改札内へ入ると、下りエスカレーターに乗ってホームへ向かいました。ホームはかなり深い位置にあり、すぐにアクセスできる丸ノ内線と比較して不便な印象でした。相当下って新線ホームに着きましたが、今度は東京なのに人の少なさに驚きました。ラッシュ時は多いのでしょうが、それ以外の時間帯はアクセスに難があることも影響してか少なかったと推察されます。また、ホームも副都心線開業へ向けて改良工事中で、ホームの終端方から将来の渋谷方を見ると、トンネルは既に開通していました。そして駅名標を見ると、南北線で使われているのと同じタイプのものがありました。尚、ホームドアは設置工事中でした。



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ホームで少し待つと、和光市方から電車が入線してきました。折り返し、和光市行きか東武直通か西武直通か忘れましたが、新線池袋始発の電車になりました。車両は7000系10連でした。私は早速車内へ入りましたが、見事にガラガラで、私の乗った車両には2人しかいませんでした…。新線池袋はそこまで寂れていたのか…と思いましたが、副都心線開業後は増えたようです。しかし、有楽町線ほど多くはないようですが…。

電車は新線池袋を発車し、有楽町線のさらに下層を走ります。要町と千川は通過ですが、両駅とも副都心線の開業に備えて元々準備工事してあったホームを完成させる工事をしているのが分かりました。そして有楽町新線をノンストップで走り4分、電車は有楽町線との合流駅かつ西武有楽町線との分岐駅である小竹向原に着きました。これにて有楽町線新線の惜別乗車は終了したので私は下車しました。こちらもホームドアは設置工事中でした。



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私は改札を出て外へ出ようとすると、1枚のポスターに目が留まりました。東京メトロのクレジットカード「To Me CARD」の広告でしたが、「メトロとノリノリ」と書かれたポスターのモデルとなった女優に見とれてしまいましたw 2009年には当ブログで記事にしたほどですwww 後で調べたら女優さんの名前は、前田芳美さん ということが判明しましたが、当時のポスターは人気が高かったそうです。私は2枚撮影しましたが、もっとちゃんと撮っておけば……と後悔しています。また、「メトロとノリノリ」は過去に記事をUPしていました⇒こちら



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その後は駅の外へ出て見ましたが、道路がトンネルになっていたり、結構起伏のある地形であることが分かりました。そして、駅は南東の板橋区向原地区と北西の練馬区小竹地区の境界に設置されていることも分かりました。私は向原口で外へ出て、遊歩道を歩いて小竹口から再び駅へと戻りました。
駅へ戻った後は、今度は有楽町線(本線)に乗って池袋へ戻りました。車両は西武6000系10連で、本線は池袋以遠まで直通するので乗客が多かったです。道中、千川と要町では副都心線ホームへ下る階段設置工事の様子を見ました。そして、途中駅のない新線よりやや長い、6分に近い5分台の乗車時間で電車は池袋に到着し、私は下車しました。西武沿線から池袋に用のある乗客は大半が西武池袋線を使うこともあり、下車客は少なかったですが、入れ替わりに乗車した客は多かったです。

池袋駅では山手線内回り(E231系11連)に乗り換えて2駅、目的地の高田馬場で下車しましたが、時刻はまだ15時57分。約束の16時30分より30分以上も早く着きましたが、これも前日からダイヤの乱れにかき回された影響で、私が列車の遅延を恐れて早目に動いた結果でした。まぁ、間に合って良かったです…。約30分の待ち時間は駅東側にある「BIGBOX高田馬場」に入って時間を潰しました。

そして16時半ちょうどに弟がやって来て、ドラッグストアで買い物をしてから駅の東側、早稲田寄りにある京都発祥のラーメン屋「天下一品」で、話をしながらこってりラーメンを食べました。「天下一品」(通称:「天一」)のこってりラーメンは私が大学生の時にハマったことがあり、それを過去に弟に食べさせたら弟もハマってしまったと記憶しています。まぁ、「天一」のこってりラーメンは好き嫌いの評価が割れますが…。

食後は高田馬場駅へと戻り、今回はこの時点で解散となりました。そして私は東京駅へ向かうために山手線に乗ろうとも思いましたが、東京メトロ東西線の方が東京駅へ速く到達できるので、東西線を利用することにしました。早速地下へ入り、西船橋方面の快速電車に乗車しました。車両は05系10連で、座席がほどほどに埋まっていたので私はドア脇で停車駅を観察しながらの乗車となりました。そして13分の乗車で電車は大手町に到着し、前々日と前日も歩いた地下通路を通って東京駅の日本橋口へ。その後は西明石までの特急券を購入してから改札内へと入り、18時20分発の東海道新幹線・『のぞみ143号』新大阪行きに乗車しました。車両は700系16連でした。今回も指定席のA席を押さえることができました。そして、私の乗った13号車禁煙指定席はE席こそ半数以上が埋まっていたものの、乗車率も低かったです。また、『のぞみ143号』は品川を発車後は新横浜を通過して名古屋までノンストップなので、品川でBC席で誰も乗って来なければ…3列席をベッド化できるかどうかが重要なポイント(?)でした。



イメージ 62008年10月、静岡駅にて撮影。

『のぞみ143号』は定刻に東京を発車しました。次駅の品川では私の目論見通り誰もBC席には来ず、これでABC席をベッドにできましたwww 車内改札が済んだ後、新横浜通過時くらいに眠ってしまいました…。そして名古屋の手前で目が覚めましたが、予想通り名古屋でもABC席には誰も乗ってこなかったので、再び寝ました。名古屋発車後は3列席を回転させて1人で6人分占領している者もいたと記憶しています。そして京都では指定席には誰も乗って来ず、ガラガラの状態でのラストスパートとなり、『のぞみ143号』は定刻の20時53分に終点の新大阪に到着しました。

新大阪では山陽新幹線の『こだま685号』に乗り継ぎました。三井住友カラーの100系6連で、今回私は5号車の禁煙自由席・2列+2列シートの海側A席に乗車しました。車内はガラガラでした。列車は21時15分に新大阪を発車しました。私は眠らずに携帯電話をいじりながら移動時間を過ごし、21時40分着の西明石で下車しました。

西明石では今回の旅のラストランナーとなるJR神戸線の下り新快速(223系8連)に乗り継ぎましたが、この新快速が2分遅れ(21時44分発)でした…。私は補助席に座って移動時間を過ごし、定刻より2分遅れの21時53分、新快速は加古川駅に到着しました。

翌日は仕事なのでとっとと帰宅しました。
また、今回は列車の遅延に振り回された感のある乗り鉄旅行でした…。

(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません


(参考:Wikipedia)