第534回('08) 相模線西寒川支線を探訪して東京へ移動 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…
2008年2月22日~24日、2泊3日の日程で、2~3日目はJR東日本の『土・日きっぷ』を使用して、新幹線など東日本を乗り鉄しました。

今回は1日目(2/22)後半の模様です。
静岡県伊東市にある大室山登山リフトへのリベンジ乗車を果たした後は、東京へ向かいました。
途中、1984年に廃止された相模線西寒川支線の廃線跡を探訪しました。
今回の日程 2008年2月22日(金) 【後半】

伊東1345(伊東線・5648M)1408熱海1418(東海道本線・862M)1513茅ヶ崎1516(相模線・1567F)1524寒川1530(徒歩・相模線西寒川支線の廃線跡)1555西寒川駅跡1630(徒歩・廃線跡)1655寒川1713(相模線・1656F)1723茅ケ崎1731(東海道本線・526M)1823東京(徒歩)大手町1837(東京メトロ東西線)1844木場

【宿泊】
伊東駅で昼食を済ませた後は『みどりの窓口』へ。翌日から使う『土・日きっぷ』(18,000円)を購入しました。このきっぷは前日までの発売なので、関西からですと金曜日に休みを取らないと使えないきっぷでした…。
その後は『 Suica 』を自動改札機にタッチして入場し、ホームへ向かいました。電車を待っていると……留置線に新型のE233系3000番台がいるではありませんか!? 付属編成の5連だけでしたが、湘南色のE2333系は初めて見たので少し興奮してしまいましたww



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しばらく待っていると、伊豆急下田方から普通・熱海行きが入線しました。車両は、やっぱり伊豆急行の8000系6連でした…。車内は相変わらず混雑していて、河津桜観賞帰りの客が多そうでした。私は今回もドア脇で車窓風景を眺めながらの移動となり、23分の乗車で終点の熱海に到着しました。



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熱海駅では一旦『 Suica 』を自動改札機にタッチして出場し、今回は駅の外へ出てみました。「第64回 熱海梅園 梅まつり」の看板が多数あり、平日にもかかわらず観光客が多かったです。

その後、私はすぐに駅へと戻り、今度は『加古川→東京都区内』の乗車券を自動改札機に挿入して入場しました。そして熱海発東京行きの普通列車に乗車しました。211系の10連+5連で、10連の基本編成はセミクロスシートの0番台でした。車内はガラガラだったので、私は向かい合わせ席の進行方向窓側席に座りました。



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列車は14時18分に熱海を発車しました。小田原まではトンネルの合間に見える相模灘や相模湾を見ながらの移動になりました。そして小田原から駅ごとに乗客が増えてきました。私は少し眠くなってきましたが、このまま東京へ行ってはならないので、必死にこらえました。その甲斐あって(?)、無事に茅ケ崎で下車できました。

茅ヶ崎駅では、3分の接続で相模線に乗り換えましたが、今回も『加古川→東京都区内』のルートから外れるため、熱海駅の時と同様にきっぷで出場→『 Suica 』で入場の手順を踏みました。
相模線の各駅停車・橋本行きは斬新なデザインの205系4連で、すでに満席状態だったので私はドア脇へ。都市近郊の車窓風景を眺めながら8分の乗車で目的地の寒川駅に到着しました。



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寒川駅にて下車後は、1984年に廃止された寒川~西寒川の相模線支線(通称・『西寒川支線』または『寒川支線』)の廃線跡を徒歩で辿ってみました。西寒川支線は寒川駅からしばらくの間、相模線本線と並走していましたが、この間は設備が撤去されて更地になっていました。そして本線と分岐して県道47号線を渡ると、廃線跡は「一之宮緑道」という遊歩道として整備されていました。しばらく歩くと一之宮公園があり、この公園部分には線路が残されていました。現役当時のままかどうか分かりませんが、レールの存在により現役当時をイメージすることができて嬉しかったです。



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その後は遊歩道に戻り、少し歩くと、「八角広場」に着きました。この広場が西寒川駅跡で、少しだけ線路がありました。また、記念碑も設置されていました。



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なお、戦前はこれより500m先にある四之宮駅まで線路が延びていましたが、もうバテてしまったので今回はここで廃線跡探訪を断念しました…。そして、西寒川駅跡の前にあるバス停から路線バスに乗ろうとして待っていましたが、全然来ませんでした…。私ともう一人、女性が待っていましたが、15分待っても来ないので、女性はバス停から去っていきました。私は休憩がてらさらに15分ほど待ちましたが、バスは全く来ませんでした。ちなみに、バスの通過予定時刻より5分前からバス停にいたのですが…。

さすがにもう来ないだろうと私は諦めて、再び西寒川支線の廃線跡を歩いて、寒川駅に戻りました。距離は1.5kmと短いので、はじめから往復とも徒歩にしておけば良かったです…。



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そして寒川駅からは相模線(205系4連)に乗り、茅ケ崎駅まで戻りました。既に夕方の時間帯だったので学校帰りの高校生が多数乗車していました。私はまたもドア脇で車窓風景を眺めましたが、日没が近づき段々と暗くなっていきました。

茅ヶ崎駅では『 Suica 』で出場→きっぷで入場の手順を踏んでから東海道線ホームへ。17時31分発・東京行きの普通列車に乗りました。車両はE231系の10連+5連で、空いていたのでボックス席の進行方向窓側を確保できました。しかし、次の辻堂で早くも2人組が私のボックス席に座り、藤沢や大船での大量乗車で全座席が埋まりました。また、もう暗くなってしまったので車窓風景はあまり望めませんでした。となると、急に眠気が襲ってきて、戸塚付近から新橋付近まで、ずっと眠ってしまいました…。しかし、東京駅では無事に下車できましたw

下車後は八重洲北口から出場し、日本橋口から地下通路を通って東京メトロ東西線の大手町駅へ徒歩で移動しました。そして、激混みで有名な東西線の西船橋方面行き電車に乗車しました。車両は05系10連で、帰宅ラッシュの時間帯なのですでに混雑していましたが、私は何とかドア脇のポジションを確保できました。電車は大手町を発車し、日本橋、茅場町、門前仲町と進むにつれて乗車率がさらに上がり、関西では大阪市営地下鉄御堂筋線の一部区間でしか味わえない(?)レベルの、ドア付近では新聞も読めない混雑状態となりました…。しかし、私は次の木場で下車したので、さほど苦しまずに済みました…。まぁ、積み残しはなかったので東京では大したことないレベルだったかもしれませんが…。

木場駅で下車後は、駅近くにある「アパホテル<東京木場>」に一旦チェックインしました。「アパホテル」なので上質な設備を期待していたのですが、建物・部屋とも古びていて、どうも他のホテルを買収して「アパホテル」の看板を掲げたような感じでした。その後私は外出して、コンビニで翌日の朝食を買ってからホテル近くにあるホカ弁の店「ひょうたん島」で、からあげ弁当(450円)を買って、ホテルへ戻りました。弁当は大手チェーンのものより美味しかったです。

そして食後、トイレを使用したのですが、流した水が止まらなくなりました…。一瞬焦りましたが、実は私、学生時代に大阪で一人暮らしをしていた時に、同じ構造のユニットバスのトイレでトイレの水が止まらなくなった事態を経験していました。水が止まらないのは、タンク内にあり水を止めるスッポンみたいなゴムがずれているのが原因で、私はタンク上部の蓋を開けてゴムを所定の位置に戻して事なきを得ました。今回も、同じ手順でタンクの蓋を開けて中のゴムを動かすと、ものの見事に水が止まりました。以後、私がチェックアウトするまで同じ症状が出ることはありませんでした。私は翌日のチェックアウト時にフロント係に言うことにしていましたが、翌日の出発が早すぎたのでフロントに誰もおらず、言えずじまいになってしまったのが悔やまれます…。

トイレを直した後は入浴して、その後すぐに眠ってしまいました。

(つづく)


今回の新規踏破路線は有りません



今回新たに徒歩で訪問した廃線跡

路線名区間備考
国鉄:相模線【西寒川支線】寒川~西寒川(1.5km)1984年廃止
(参考:Wikipedia)