2013年7月・【青春18きっぷ】三重県乗り鉄&廃線跡(1・二見浦へ) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

2013年7月20日(土)、『青春18きっぷ』の使用初日は三重県へ。
近鉄も併用して三重県入り。乗り鉄&廃線跡探訪を楽しみました。

今回は前半の行程をUP致します。
『18きっぷ』にこだわってJR普通列車のみの移動ですと三重県入りが遅くなるので近鉄も利用しました。
また、二見浦では戦前に運行していたロープウェイの廃線跡を探索しました。



この記事の写真は一定期間経過後に縮小いたします。ご了承下さい。



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いつものように4時起床で、朝食後に自宅を出発。
加古川駅からJR神戸線の上り一番電車(223系8連+4連)に乗りました。
『18きっぷ』利用なのでJRのみで三重県まで行きたいところですが、
関西本線経由ですと加茂~亀山がネックで時間がかかり、
また草津線経由でも草津駅での接続が悪く、仕方なく近鉄を使うことになり、大阪駅で下車しました。



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近鉄といっても特急ですと出費が痛いので、急行を使うことにしました。
なので、近鉄難波駅ではなく大阪線急行の始発駅である大阪上本町駅を目指すべく、
大阪市営地下鉄谷町線(22系6連)に乗って谷町九丁目駅で下車。
地下通路を通って谷町筋から見て1本東側にある大通りである上町筋に面した大阪上本町駅に着きました。



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大阪上本町駅からは近鉄大阪線の宇治山田ゆき急行に乗りました。
ロングシート車を覚悟していて、良くてもL/Cカーかなぁ…と思っていましたが、
6両編成の前4両は何と転換クロスシート車の5200系でした! 超ラッキーでした!!
私は先頭車両の窓側席に座りました。
車内はそれほど混雑していませんでしたが、長距離客が多そうな雰囲気でした。



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急行は定刻の7時15分に大阪上本町駅を発車。
次の鶴橋では多くの人が乗ってきて、一気に座席がほぼ埋まってしまいました。
布施でも乗客が増え、満席の状態で奈良県へと入りました。
そして大和八木では下車客が多かったですが、入れ替わりに乗車してきた人も多かったです。

桜井から山間部へと入りましたが、乗客は多いままでした。
名張を過ぎても多い状態で新青山トンネルへと入り、9時過ぎに伊勢中川に着きました。
ここでは、名古屋方面へ向かう乗換客が一斉に下車して、車内は一気にガラガラになりました…。
大阪~名古屋方面を急行の乗り継ぎで移動する客が多いことにも驚きました。

身軽になった急行は山田線を快走し、9時12分に松阪に到着。
私はここからJRで移動することにして、松阪で下車しました。

松阪駅では売店で駅弁の『元祖特撰牛肉弁当』(1,260円)を購入しました。



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松阪からは紀勢本線の下り普通列車・伊勢市行きに乗りましたが、
武豊線電化や高山本線への新車投入により将来の動向が気になるキハ40系の3両編成でした。
車内はガラガラで、私は1ボックスを独占しました。

途中、多気駅では紀勢本線の新宮方面へ向かう列車と接続しましたが、
半分以上の客がそちらへ乗り継いでしまったため、私の乗車列車はさらにガラガラに…。

多気からは参宮線へと入り、ローカルな風景を見た後に宮川を渡ると市街地へと入り、
10時前に伊勢市駅に到着しました。



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次の列車までの待ち時間、伊勢市駅ではベンチで『元祖特撰牛肉弁当』を食べました。



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伊勢市からは快速『みえ』が列車番号変更した普通列車・鳥羽行きに乗車しました。
キハ75系の2連×2でしたが、車内は比較的空いていました。
私は転換クロスシートの窓側席に座り、車窓風景を見ながら2区間、
10時30分ごろ着の二見浦(ふたみのうら。「ふたみがうら」ではない)駅で下車しました。
この二見地区は近鉄が走っていなくてJRorバスでしかアクセスできないので、
観光客も大勢下車しました。



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二見浦駅にて下車後は、二見浦旅客索道(二見ロープウェイ)の廃線跡を探索しました。
駅東側にそびえる音無山を徒歩で登り、汗だくになって15分、ようやく音無山駅跡に着きました。
駅跡には遺構が残っていました。
しかし、道中や山麓駅に相当する二見浦駅では遺構を確認できませんでした。



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音無山を下山した後は、折角二見浦へ来たので小学校の修学旅行(?)以来となる
夫婦岩観光を楽しみました。

その後は二見浦駅まで戻り、午後からは再び乗り鉄を楽しみました。

(つづく)

(参考:JTBキャンブックス『鉄道廃線跡を歩くⅨ』)