有田鉄道線(和歌山県。藤並~金屋口・2002年廃止) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

【踏破後、廃線…】の第17回目は、2001年3月に乗りつぶしをして、
2003年の元日に廃止(営業は2002年12月31日まで)となった
有田鉄道線藤並~金屋口(全区間が和歌山県有田川町。廃止当時は吉備町)です。

  
  

現在の廃止区間には有田鉄道による路線バスが運行されています。
この路線バスは有田鉄道線の現役当時から代替機能を担っていました。
現在の有田鉄道はバス専業ですが、社名はそのまま「鉄道」が付いています。

 

廃線跡はほとんどが遊歩道として整備され、藤並駅以外は駅施設が少し残されています。
また、金屋口駅の手前には2010年に有田川町鉄道公園が開園し、現役当時の車両を動態保存しています。
廃線後に廃線跡を探訪しています⇒廃線跡探訪の記事はこちら

 

尚、写真が少なく、めちゃめちゃな写真しかありませんが、何卒ご了承願います。

 
 

イメージ 1
(Yahoo!地図を使用)  

  

  

路線名   区間   営業キロ  備考  
有田鉄道:有田鉄道線(一部)  藤並~金屋口  5.8km   全線単線・非電化。2002年廃止  
  
  
踏破達成時   2001年3月  
撮影時   2001年3月、2011年4月  

  

  

イメージ 2
藤並駅にて。紀勢本線の新宮方面ホームの向かい側に有田鉄道ホームがありました。
現在は橋上駅舎化されてしまい、面影はありません。

  
  

藤並を発車すると、紀勢本線【きのくに線】の東側を並走しながら、線路東側にある丘陵に沿って北へ走ります。そして左へカーブする紀勢本線と分かれると住宅地へと入りますが、海南湯浅道路(現・阪和自動車道)をアンダーパスするとミカン畑の中へと入り、右へカーブしながら走ると有田南病院の裏手を通って田殿口に着きます。

  

田殿口を発車後はさらに右へカーブして針路を東へ変えます。引き続きみかん畑の中を走り、やがて住宅地へ入ると右手に和歌山県立有田中央高校(旧・吉備高校)が見えてきて、下津野に到着します。小さな駅舎がありました。

  

下津野を発車すると鳥尾川を渡り、しばらくミカン畑の中を走った後に住宅地へと入り、御霊(ごりょう)に着きます。

  

御霊を発車後は住宅地の中を東へ走ります。やがて左側を流れる有田川の土手に接近して走るようになると右側にある車庫の脇を通過し、ほどなくして終点の金屋口に到着します。

  
  

イメージ 3
金屋口駅にて。単式ホーム1面1線で、藤並方には車庫がありました。
現在は金屋口駅も車庫も保存されています。

  
  

イメージ 4
金屋口駅はホームの終端部に駅舎がありました。駅前は狭かったです。
また、駅周辺は商店が複数ありました。

  
  

イメージ 5
私が乗りたかったキハ58は現在、有田川町鉄道交流館によって動態保存されています。
駅西側にある交流館と金屋口駅跡までの間を往復運転しています。
金屋口駅跡停車時には撮影タイムが設けられていて、往時の姿を彷彿とさせる写真を撮ることができます。

  

  
あとがき  

私が有田鉄道線を初乗りしたのは2001年3月で、この時が最初で最後の乗車となってしまいました(当時の乗車記はこちら)。
私の乗車時は5往復のみの運転でした。私の乗車列車はキハ58系タイプのキハ58003ではなく元・樽見鉄道のレールバスであるハイモ180-101で、往路は私と親子連れの4人、復路は私と老人男性の2人のみと、厳しい状況でした。
既にモータリゼーション全盛の時代になっていて、また当の有田鉄道が鉄道線に並行するバス路線を運行していたこともあり、私の乗った時点でも有田鉄道線は事実上不要のものとなっていた印象でした…。

  

  

のりかえ  

乗換駅   乗換路線  
藤並駅   JR西日本:紀勢本線【きのくに線】  
  
(参考:Wikipedia)