第429回('06) 青森から奥羽・羽越線経由で東京へ。そして帰宅。 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…
2006年9月15日~18日、『三連休パス(+普通指定4回)』を使用して東日本(主に東北地方)を乗り鉄しました。
今回は、『三連休パス』3日目最終日・9月18日の行程です。
青森から奥羽本線、羽越本線、白新線、そして上越新幹線と乗り継いで東京まで戻ってきました。そして、そのまま東海道新幹線で帰宅しました。
今回の日程 2006年9月18日(月・祝) 

青森607(奥羽→羽越→白新線・2008M特急いなほ8号)1322新潟1404(上越新幹線・とき328号)1620東京1646(東海道新幹線・のぞみ131号)1919新大阪1938(山陽新幹線・ひかり381号)2002西明石2012(山陽本線・3295M新快速)2021加古川

【帰宅】
この日は5時前に起床し、朝食後にホテルをチェックアウトして青森駅へ向かいました。まずは特急『いなほ8号』に乗って新潟を目指そうと、『三連休パス』で改札内へ入場し、自由席車両に乗りましたが、すでに窓側席が全て埋まっていました…。おそらくこの多くの乗客は北海道・札幌発の急行『はまなす』からの乗換客でしょう。この『いなほ8号』の前身は2001年まで『はまなす』を受けて日本海縦貫線を大阪まで走破する『白鳥』で、この『いなほ8号』は『白鳥』の名残があるような気がしました…。
まだ発車まで10分以上あったので私は大急ぎで改札を出て、『みどりの窓口』で『いなほ8号』の指定席の空席照会をしました。しかし、新潟までは空席ゼロだそうで…orz それならばと、途中の秋田までの窓側指定席をとりあえず押さえといて、途中駅で空いた自由席に移動する作戦をとることにしました。ちなみに青森発車時点では4号車指定席はガラガラでした。



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青森駅にて。『いなほ8号』は485系3000番台6両編成でした。

列車は定刻に青森を発車し、奥羽本線へ。まだローカル駅であった新青森駅などを通過して青森県津軽地方を進みます。まず、弘前駅で大量下車があり、自由席の山側窓側席が空いたのでそこへ移動しました。そして今度は秋田県へと入って大館では海側窓側席の、2列分窓の前側(車窓風景を眺めにくい方)が空いたのでとりあえずそこへ移動しました。さらに、東能代では2列分窓の後ろ側が空いたのですかさず移動し、何とか希望通りの席(羽越本線で日本海を眺めやすい席)を確保できました…。それにしても、青森から乗ってきた自由席客の大半が秋田より手前で下車したとは想定外でした…。

6割ほどの乗車率で秋田に着きました。秋田では自由席に大量の乗車があり、瞬く間にほぼ満席となりました。指定席も満席の旨の車内放送がありました。
列車は秋田から羽越本線に入り、日本海沿いを走るようになりました。私は必死に車窓風景を眺めていました。羽越本線は踏破済でしたが夜間の乗車だったため、今回が初めての昼間の乗車となりました。
そんな中、車内販売が回ってきました。私は朝食が早く、また秋田発車時点でほぼ満席とあっては酒田、鶴岡を過ぎると通路にも人が溢れて車内販売が回ってこられないと思い、早目に秋田駅弁の『秋田の祭り弁当』を購入しました。そして、目の前に弁当があるとつい食べたくなってしまい、象潟発車後の10時前には早くもブランチのような昼食を済ませてしまいましたw 
案の定、酒田や鶴岡でも自由席に大勢の乗客が乗ってきて通路にも人が溢れ、「車内販売は自由席へはお伺いできない」旨の車内放送が流れました…。早目に弁当を買っておいて良かったです。私は満員となった車内をよそ目に、鶴岡~村上では再び現れた日本海を眺め続けていました。中でも新潟県へ入ってから見た「笹川流れ」は絶景でした! 



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これまで列車は快調に走っていましたが、村上の手前で急に速度が下がり、ノロノロ運転になってしまいました。しばらくすると車内放送で「強風のため村上と平林の間で徐行運転をしています」との説明があり、単線区間が残っていることも影響して村上の手前から徐行運転になっていました。新潟で乗り継ぐ予定の上越新幹線は自由席にするつもりでしたし、また昼食は早目に済ませたので私は少々の遅れでも大丈夫だったのですが、ノロノロ運転がずっと続いた上に途中で停車することもあったので遅れが増大してしまい、そうなると私も少々焦ってきました…。

その後、列車はようやく平林駅を通過し、ここからは通常の速度に戻りました。「約20分遅れで運転しております」との車内放送があり、上越新幹線との接続に関する説明もありましたが、接続を取ったかどうかは忘れてしまいました…。列車は新発田から白新線へと入り、結局、定刻より23分遅れの13時22分に終点の新潟に到着しました。青森から7時間16分、かなり長い乗車時間でしたが、当時の『白鳥』に比べれば全然大したことはありませんね……。

新潟駅では改札外へも出て、少し休憩してから新幹線ホームへ。上越新幹線・東京行きの『とき328号』に乗車しました。リニューアルされた200系10連で、1号車自由席の3人掛け窓側A席に座りました。



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新潟駅にて。当時はまだまだ200系が活躍していました。

発車直前にはそこそこの乗車率となって定刻に新潟を発車し、米どころ・越後平野や三国山脈などを眺めているとあっという間に関東地方・群馬県へと入り、高崎の手前からは関東平野の風景を眺めました。自由席は長岡や越後湯沢で乗客が増えてほぼ満席となりました。東北新幹線と合流して大宮からはノロノロ運転になり、地下駅である上野を発車すると地上へ戻り、ほどなくして終点の東京に到着しました。大宮で下車した乗客が多く、東京到着時点では車内は幾分空いていました。

東京駅では『三連休パス』を自動改札機に通して一旦出場。自動券売機で加古川までの乗車券・自由席特急券を購入してから東海道新幹線専用の改札口から入場し、臨時の『のぞみ131号』新大阪行きに乗車しました。700系16両編成で、始発駅だったので1号車禁煙自由席の窓側E席に座れました。発車直前にはE席は埋まりましたが、A席は空きがありました。



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東京駅にて2007年撮影。700系新幹線電車です。

列車は定刻に東京を発車しました。品川に停車した後は新横浜を通過して名古屋までノンストップだったので、品川で隣に誰か座ってくるかどうかが居住性を大きく左右するのですが、幸運(?)なことに品川での乗車が少なく私の隣席D席には誰も座りませんでした。これにより、結果として新大阪まで快適に過ごせました。途中まで車窓風景を眺めていたのですが、市三島辺りを通過中に疲れから眠ってしまいました…。そして目が覚めたのは京都の手前で、何とか二度寝せずに終点の新大阪到着を迎えました。いつの間にか車内は閑散となっていました。

新大阪では途中駅で『のぞみ131号』に抜かされた岡山行きの『ひかり381号』に乗り継ぎました。300系J編成16連で、今回も私は1号車禁煙自由席の窓側E席に座りました。もう日が暮れていたので携帯電話を見ながら西明石までの移動時間を過ごしました。

西明石では今回の旅のラストランナーであるJR神戸線の新快速(223系4連×2)に乗車し、補助席に座って加古川までの1区間を移動しました。
そして加古川駅到着後は、翌日が仕事ということもあり自宅へ直行しました。

これにて3泊4日の東日本『三連休パス』乗り鉄が終了しました。乗りつぶし区間は僅かでしたが、何とか天気がもってくれたので楽しい旅行になりました。

(つづく)


今回の新規踏破路線は有りません


(参考:Wikipedia)