第394回('06) 内子線の旧線跡を訪問してから夜行フェリーで九州へ | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…

2006年6月3日~4日、1泊2日の日程で四国・九州へ乗り鉄などの旅行へ出かけました。

今回は1日目後半の行程です。四国・愛媛県にいました。
内子線の旧線跡を訪問後、道後温泉へ寄ってから松山観光港へ。夜行のフェリーで九州・小倉まで移動しました。
今回の日程 2006年6月3日(土)【後半】~6月4日(日)

五郎駅1635(レンタカー・内子線の旧線跡)1715旧・内子駅1725(自動車・松山道経由)1835松山駅(徒歩)松山駅前1851(伊予鉄道市内線・5系統)1900大街道1925(伊予鉄道・3系統)1936道後温泉2015(伊予鉄道・3系統)2031松山市駅前(徒歩)松山市2100(伊予鉄道高浜線)2121高浜2122(伊予鉄道・連絡バス)2124松山観光港2155(関西汽船・松山~小倉フェリー【船内泊】)500小倉【浅野】港630(徒歩)645小倉

【6/5前半に続く】
五郎駅にて内子線ホーム跡を確認した後は、レンタカーで内子線の廃線跡(五郎~新谷)を確認しに行きました。廃線跡は一部を除き道路に転用されていて、鉄道カーブを描いていました。



イメージ 1

左は予讃線として開業した新線の高架橋、右へカーブする道路は内子線の廃線跡です。

次は国道56号線を内子方へ向かい、現・五十崎駅の西方から分かれていた旧線跡を3年ぶりに辿ろうとしました。しかし、この付近の旧線跡は殆どが国道56号線の拡幅や松山自動車道の建設により姿を消してしまっていました…。3年前にもっとしっかりと調べていれば…と悔やんでしまいます。

その後は気を取り直して旧・内子駅へ向かいました。松山道の内子五十崎IC付近からは、旧線跡を転用した道路を走りました。カーブの具合は鉄道そのものですが、遺構はありませんでした。



イメージ 2

旧・五十崎駅付近にて。この付近の旧線跡は道路に転用されています。

そして旧・内子駅に到着。道路が行き止まりになっていて終端方に古い民家があったので駅の位置は特定できましたが、旧駅の構内は再開発されて痕跡が見つかりませんでした(見つけられませんでした?)。

後は松山へ戻るだけだったのですが、先刻に確認できなかった現・五十崎駅の位置だけ確認しておこうと思い、ナビで調べて五十崎駅まで戻りました。
そして写真撮影を終えて、帰ることにしました。内子五十崎ICから松山道に乗って松山ICにて下車。混雑の激しい松山市郊外を通り、駅近くのガソリンスタンドにて給油してから18時35分に松山駅へと戻り、レンタカーを返却しました。約8時間におよぶレンタカーの旅でした。

もう日没が近づいてきましたが、これからは軽く乗り鉄するとします。まずは伊予鉄道の路面電車・松山市内線(5系統。車両は58号)に乗って繁華街の大街道にて下車しました。そして商店街へと向かい、「はなまるうどん」にて夕食を済ませました。
その後は再び路面電車(3系統。車両は72号)に乗り道後温泉にて下車しました。この日は船内泊となり、風呂なしではつらいので、一度行きたかった道後温泉本館へ行くことにしました。駅から商店街を歩き、3分ほどで到着しました。本館へ入る前に、料金表が掲示してあったのでそれぞれ見比べました。しかし、今回はあまり時間がなく、入浴さえできればよかったので一番安い「神の湯 階下」(400円)を選択し、また貸しタオルは有料で、追加で50円(現在は60円)払ってタオルを借りました。道後温泉のラベル付きの石鹸も一緒に渡されました。そして入浴しましたが、疲れていたせいもあり、あまり感動はしませんでした。ですが、一番安いコースでも十分にリフレッシュすることができました。



イメージ 3道後温泉本館にて。

道後温泉本館を後にして、これから松山観光港へと向かいます。まずは松山市内線(3系統。車両は先程と同じ72号)に乗って終点の松山市駅前まで移動しました。松山ではJR駅よりこちらの伊予鉄駅の方が賑やかです。
そして今度は郊外線の高浜線へと乗り換えました。800系の2連で、そこそこの乗車率でしたが、疲れていたので空いている席に着席しました。また、独特の発車メロディーが面白かったです。電車は夜の松山市内を淡々と走り。21分の乗車で終点の高浜へと到着しました。しかしここではゆったりできず、1分の連絡で発車する松山観光港までのシャトルバスへ足早に乗り継ぎました。そして僅か2分の乗車でバスは松山観光港に到着しました。

到着後は乗船手続きを済ませ(予約はしていませんでした)、売店で飲料などを購入してから5年ぶりとなる小倉-松山航路(当時は関西汽船による運航。船はフェリーはやとも2)へと乗船しました。乗客は結構多かったです。
船内ですが、船らしくゆとりのある造りで、船内には売店や軽食コーナー、ゲームセンターや大浴場もありました。船内で入浴する手もあったのですが、どうしても道後温泉へ行きたくて今回は断念しました。私は前回と同じく「2等寝台D」を選択しました。列車で言えば開放型A寝台と同等の設備で運賃込みで5,900円(当時)ですから、大変お得です。また、私の寝台は8人部屋でしたが、結果として乗客は私だけでした。
しかし、まだ寝るには早いので荷物をベッドに置いて船内を探検してみました。大浴場は相当数の人が入っていて、入浴に苦労しそうでした…。道後温泉で入っておいて良かった、と思いました。次はカーペット敷きの二等船室を除くと、実に多くの乗客がいました。大半の乗客は二等を選択していたと推測されます。そして土産物などを売っている売店を覗いてからゲームセンターへ。予想通りやや年季の入ったゲームが多かったです。私は格闘ゲームが苦手(スティック<レバー>の操作が下手で昇竜拳コマンドが入力できない)で、麻雀ゲームを1回だけプレイしてから退室しました。その後は部屋へと戻り、23時過ぎには眠っていました…。

翌日、5時に「小倉港(駅の北東側にある浅野港)に到着しました。7時?まで船内にて休憩可能です」とのアナウンスで目が覚めました。しかし、二度寝してしまいました…。何とか6時前に起床し、船内の軽食コーナーでうどんを食べました。食べているときに、前日の夕食もうどんを食べたことを思い出して「しまった」と思いましたが、仕方ありません…。
朝食後は身支度をしてから下船し、再開発された感じのビル街を歩き、ペデストリアンデッキでは動く歩道を通って小倉駅に着きました。



イメージ 4

小倉(浅野)港にて。私が乗船した関西汽船のフェリーです。

(つづく)


今回新たに徒歩で訪問した廃線跡

路線名区間備考
日本国有鉄道:内子線五郎→新谷1986年廃止
日本国有鉄道:内子線喜多山~内子1986年新線へ切替
(参考:Wikipedia)