第374回('06) 三重県内の近鉄線廃線跡を自動車で訪問 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

2006年3月、前週の四国乗り鉄の後、夜勤に固定化されてしまい、泊りの乗り鉄ができなくなりました。
しかし、私はめげずに(?)日曜日に日帰りで動き続けました。

今回は、ドライブを兼ねて自動車で三重県へ行き、数多くある近鉄の廃線跡を簡単に辿りました。
今回の日程 2006年3月12日(日) 

自宅445(自動車・加古川バイパス→第二神明→阪神高速道路→西名阪→名阪国道→伊勢自動車道→R167)815賢島駅・真珠港への貨物線跡900(R167)915穴川駅付近の旧線跡940(R167→R42)1025大神宮前駅跡1030(自動車・近鉄伊勢線の廃線跡)1230津新地駅跡1230(伊勢道→東名阪)1345伊勢八王子駅跡1350(徒歩・近鉄八王子線の廃線跡)1415西日野駅1425(徒歩・廃線跡)1450伊勢八王子駅跡1500(自動車・東名阪→名阪国道→西名阪→近畿道→中国道→阪神高速北神戸線→第二神明→加古川バイパス)1820自宅

【帰宅】
この日も4時に起床し、朝食後に自宅を出発しました。この日はあまり天気が良くありませんでした…。
まずは加古川バイパスに乗り、第二神明道路から阪神高速3号神戸線を通り大阪市内へ。若宮と並び危険なカーブのある阿波座から16号大阪港線~13号東大阪線で船場を東へ走り、内本町JCT(現在の東船場JCT)で1号環状線へと入って公園北分岐からは14号松原線へと入り、松原JCTから西名阪自動車道へと入り、奈良県の香芝SAで休憩しました。早朝で空いていたので6時台前半には香芝まで行けました。
休憩後は西名阪を最後まで走り、天理ICからは名阪国道へと入りました。オメガカーブは無事にクリアし、その後も評判通り交通量が多く大型車も多い道中でしたが、加古川バイパスや姫路バイパスで修業(?)してきた私にとっては問題ありませんでしたw そして三重県へと入り、関西本線より楽に加太越えをして関JCTから伊勢自動車道へ入り、安濃SAで休憩しました。休憩後は伊勢自動車道を完走し、伊勢ICで下りて、2013年には式年遷宮がある伊勢神宮内宮まで行ってみましたが、駐車場が見つからず参拝は断念しました…。

その後は元有料道路だった伊勢道路を通り磯部へワープして、国道167号線を南へ走り、167号の終点かつ近鉄志摩線の終点である賢島駅に着きました。加古川から3時間半かかりました。



イメージ 1賢島駅にて。かつては真珠港駅へ向かう線路が坂を下っていて、坂の下に普通列車用のホームがありました。当時は観光特急『しまかぜ』は運転されていません(運転開始は2013年3月)。


私は駐車場に車を止めて、賢島駅から真珠港駅まで延びていた廃線跡を辿りました。並行道路があったので雰囲気は味わえました。廃線跡は施設が撤去され、用地は分譲中で、すでに住宅が1軒建っていました。



イメージ 2真珠港駅跡にて。駅名の通り、駅近くには海(英虞湾)があります。


次は近鉄志摩線の旧・穴川駅を訪問しました。賢島駅から国道167号を北へ戻り、現・穴川駅をアンダーパスしてすぐに旧・穴川駅に着きました。駅跡はホームや線路が残っていました。前後の旧線区間にも架線柱がありましたが、撮影し忘れました…orz 最後は現・穴川駅を訪問してから穴川地区を後にしました。



イメージ 3旧・穴川駅にて。


この次は、再び国道167号を志摩線と並走しながら北上しました。五知駅から白木駅までは五知峠越えの旧線跡に沿って走り、一部遺構が見えましたが、アホなことに、またも写真撮影せず…orz その後は鳥羽市街を走り、国道は42号線へと変わりました。今度は参宮線と並走して二見地区を走り、伊勢市街へと入りました。そして伊勢市駅近くの伊勢神宮外宮前を通り旧・伊勢電気鉄道の終着駅であった大神宮前駅跡へ。駅跡はNTTのビルに変わっていましたが、こちらでも写真撮影をせず…orz 

次は、伊勢電の本線跡を転用した道路を走りました。トンネルは拡張されたものの残っていました。宮川の手前で道路が途切れたので下流の度会橋を渡って対岸へ。その後は伊勢電気鉄道本線の廃線跡を転用した元有料道路・参宮道路を走りましたが、お腹が減ったので沿道にある「すき家」で昼食を済ませました。その後も全日本大学駅伝の舞台にもなっている廃線跡・参宮道路を松阪方面へと走りましたが、参宮道路は途中で廃線跡を外れたため、櫛田川を渡ってからは上流側へ移動し、再び廃線跡を転用した道路を走りましたが、松阪ではこの道路を「近鉄道路」と呼んでいます。近鉄道路は紀勢本線の徳和駅と、松阪市街を通り過ぎて旧・近鉄伊勢線区間へ入った後にも近鉄山田線の松ヶ崎駅でそれぞれ相手路線をオーバーパスしました。廃線跡の築堤などはそのまま転用されていました。子供の時にこの付近の近鉄道路は通ったことがあります。

松阪市北部で近鉄道路が途切れ、以後は川の前後で国道42号や23号へ迂回しながら道路化されている廃線跡を津方面へ北上しました。雲出川を渡って津市内へ入ると道路転用区間(近鉄道路)が続くようになり、津市街の東側を北上しました。そして岩田川を渡る津興橋は、橋梁がそのまま道路に転用されていました。



イメージ 4阿漕浦~津海岸にて。鉄道時代からの橋梁を渡りました。


引き続き津市街を通りましたが安濃川の手前の津新地駅跡付近で廃線跡が途切れ、とりあえずは伊勢線の廃線跡を辿るのはひとまず終了しました。その後は、私は2年間津に住んでいたことがあるので当時住んでいた津新町駅付近を車でぐるぐる回り、小さい頃の思い出にふけていました。

津を後にして県道10号線を通り芸濃ICへ。伊勢自動車道から亀山直結線経由で東名阪自動車道へ入りましたが、名阪国道を通らずに済み、料金所を通る回数も減るので便利になりました。当時は新名神高速道路が未開通だったのでスムーズに東名阪を走り、四日市東ICで下車してドライブがてら四日市市内を南下して、近鉄八王子線のもと終着駅であった伊勢八王子駅跡近くにあるマックスバリュに着きました。ここで飲料を調達してから散歩がてら近鉄八王子線の伊勢八王子駅跡~西日野駅の廃線跡を辿りました。現役時の線路は天白川に沿っていましたが、この天白川の氾濫が西日野~伊勢八王子を廃止に追い込みました。廃線後は天白川の河川工事が行われて当時の面影がなくなっていました。尚、伊勢八王子駅跡は三重交通のバス停になっていました。



イメージ 5八王子線の廃止区間にて。天白川沿い(写真右側)を通っていました。河川改修されて、当時の面影がありません。


これでこの日のミッションを終え、四日市ICから東名阪に乗って自宅を目指します。名阪国道走行中には雨が降り出しました。その後は西名阪を走り、松原JCTからは混雑する阪神高速を避けて近畿道→中国道のルートで兵庫県へ戻り、西宮山口JCTから阪神高速7号北神戸線へと入り、伊川谷から第二神明→加古川バイパスのルートで18時20分頃に帰宅しました。
結構疲れましたが、そのせいでこの日も夜に寝てしまい、翌日からの夜勤は超しんどかったです…。

(つづく)


今回の新規踏破路線は有りません

今回新たに訪問した廃線跡

路線名区間備考
近畿日本鉄道:志摩線賢島~真珠港(不明km)1969年廃止
近畿日本鉄道:志摩線旧穴川駅付近1993年切替
関西急行電鉄:伊勢線大神宮前→新松阪(18.8km)1942年廃止
近畿日本鉄道:伊勢線新松阪→津新地(18.1km)1961年廃止
近畿日本鉄道:八王子線伊勢八王子~西日野(1.7km)1976年廃止
(参考:Wikipedia)