第371回('06) ソフールの悲劇w(清水港線の廃線跡へ) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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オレンジ線より下の部分には、一部気分を害するかもしれない内容の文章が含まれています。
もしオレンジ線の下の部分を食事中に読まれて気分を害されても私は一切の責任を負いませんw

前回の続き…

2006年2月下旬、週末に1泊2日の乗り鉄旅行をしました。
今度は、2月18日から19日にかけて、1泊2日で静岡県へ乗り鉄の旅に出かけました。

今回は2日目、2月19日の模様です。
今回の日程 2006年2月19日(日) 

焼津811(東海道本線・5924M)845清水(レンタサイクル)清水駅900(レンタサイクル・清水港線の廃線跡)1025三保駅跡1030(レンタサイクル)1125久能山1148(日本平ロープウェイ)1153日本平1219(ロープウェイ)1224久能山1245(レンタサイクル)1410三保駅跡1420(レンタサイクル・清水港線の廃線跡)1510清水1522(東海道本線・439M)1534静岡1558(東海道新幹線・こだま577号)1719名古屋1724(東海道新幹線→山陽新幹線・ひかり379号)1902西明石1911(JR神戸線・3287M新快速 スキー湖西レジャー号)1920加古川

【帰宅】
この日は6時半頃に起床し、ホテルのサービス朝食(パン)を食べました。食後は部屋へ戻り、ヨーグルトの「ソフール」を食べて野菜ジュースを飲んでからホテルをチェックアウト。そして焼津駅から東海道本線の上り普通・沼津行(211系3+2+2連)に乗りました。混雑していたので私はドア脇で景色を眺めながら移動しました。そして静岡駅では大量下車がありましたが、前3両が切り離されて4連へと短縮されたので、替わりの乗車もあり同じくらいの混雑具合になりました。私はドア脇から動かずに移動し、「清水の次郎長」や「ちびまる子ちゃん」で有名な清水駅にて下車しました。

この日の主目的の一つは、清水港線の廃線跡探訪です。ネットで調べて、駅前の商店街でレンタサイクルを料金不要で貸してくれることを知ったので商店街へ。寿司店の「久松」さんにてレンタサイクルを借りました。
その後は清水駅の東口へ向かい、ここから清水港線の廃線跡を辿りました。



イメージ 1清水駅の東口側は再開発されて清水港線が存在していた頃の面影がありませんでした。
写真の電車は特急『東海』です。


はじめは港湾地区や倉庫街を通りますが、現役当時の面影は少なかったです。巴川を渡る橋梁は橋台のみが残されていました。その後は海沿いを離れましたが、国道150号線との合流地点には清水港線で活躍していた客車(スハフ43 2105)などの車両が静態保存されていました。



イメージ 2清水港線の廃線跡で見かけた静態保存車両です。


この後の廃線跡は歩道と変わっていて、そこを走り続けました。折戸駅跡付近からは住宅地を通り、清水駅跡から1時間25分で三保駅跡に着きました。三保駅跡は公園になっていました。概ね廃線跡を辿ることができましたが、遺構は少なかったですね。



イメージ 3三保駅跡にて。跡地は公園へと変わりました。一角には専用線で使用されていた機関車とタンク車が静態保存されていました。


清水港線の廃線跡を辿り終えた後は、名勝の「三保の松原」を見に行きました。富士山もわずかに見えました。その後は駿河湾沿いのサイクリングロードを通り、約1時間で久能山の麓に着きました。そして麓に自転車を置いて延々と階段を上り、この日のもう一つの目的である日本平ロープウェイを乗りに行きました。



イメージ 4海側から見た久能山です。


久能山駅は久能山東照宮の片隅にあり、少し分かりづらかったです。駅で往復券を購入し、ロープウェイに乗りました。乗客はそこそこ多かったですが、混雑とまではいかなかったです。
ロープウェイは山を登るというよりは谷を越える感じの線形で、景色はさほどでもありませんでした。そして5分の乗車で日本平駅に着きました。



イメージ 5日本平ロープウェイの車窓から。


日本平駅付近には特に何もありませんでした。ちなみに、子供の時には麓にある日本平動物園へ行ったことがあります。しかし、何もないのに人だけは多かったです。駐車場には多数の観光客がいて、団体客とかち合ってしまいました…。案の定、帰りのロープウェイは団体と重なり、並ぶ羽目になりました。ただ、ロープウェイはピストン運転をしていたのですぐに乗ることが出来、何とか窓際の位置をゲットできました。復路は満員電車のような感じで辛かったですが、女性乗務員の案内アナウンスはユーモアがあって面白かったです。そして久能山駅へと戻り、疲れてしまった私は東照宮を参拝せずに下山してしまいました。また、麓には土産物店が多く、名産のいちごが乗ったソフトクリームを各店で売っていました。私はそれを欲しくなり、つい買って食べました。美味しかったです。

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久能山を後にして、昼食を食べてから再び清水港線の廃線跡を辿り、清水駅に戻ることにしました。再び海岸を自転車で走っていると、突然腹の具合がおかしくなりましたが、すぐに治りました。何も気にせずにそのまま自転車を漕ぎ続け、折戸駅跡の近くにある「松屋」で昼食を食べました。そして、三保駅跡へ向けて移動中、再び腹が痛くなってオナラが出たと思いましたが、何か違和感が…。嫌な違和感だとすぐに分かり、これはマズいと私はお尻を閉じて立漕ぎで折戸駅跡にあるのを確認していたトイレへ駆け込みました。そしてスッキリしましたが、やはり少しだけアウトでした…orz 幸い下着は何ともなかったのですが、脂汗をかいていたこともあり気持ち悪くなり、前日に履いていたものと交換しました。その後は帰宅まで無事でしたが、これがタイトルの「ソフールの悲劇」でした。「松屋」で昼食を食べる前からお腹は痛くなりましたし、ソフトクリームの場合ですと痛くなるのが早過ぎる上にこの程度の症状では済まないはずなので、はじめて食べたヨーグルト「ソフール」が原因だと勝手に断定しました。「ソフール」はヤクルト社のヨーグルトです。シロタ株のおかげで私の腸が活発になったのでしょうか。逆に「ソフール」の効果を身をもって体験でき、それ以来、お腹の調子が悪い時は「ソフール」の世話になっています。

その後は三保駅跡まで移動し、廃線跡に沿って自転車を進めて清水駅まで戻りました。そして「久松」さんへレンタサイクルを返却し、清水駅の『みどりの窓口』で加古川までの乗車券と新幹線自由席特急券を買いました。

清水駅からは東海道本線の浜松行439Mに乗りました。115系の3連で、車内は混雑していました。私はドア脇で景色を見ながら静岡駅まで移動しました。
そして静岡駅では東海道新幹線に乗り換えました。15時58分発の『こだま577号』は300系J編成の16連で、1号車自由席の3人席を独占しました。そして優雅な気分で終点の名古屋駅まで移動しました。
名古屋駅では後続の『ひかり379号』に乗り継ぎましたが、こちらも300系16連でした。今回の乗り鉄で乗った新幹線電車は全て300系でした。自由席は先程の『こだま』より乗客が多かったですが、ここでも3人席を独占できました。『ひかり379号』は新大阪駅から山陽新幹線へと直通し、完全に暗くなった19時02分に西明石駅に着きました。
その後はJR神戸線の新快速(223系8連)に乗り換えましたが、湖西線直通の列車で『スキー 湖西レジャー号』の愛称が付けられていました。当時の湖西線直通の新快速は特に下りで短い8連が多く、あまりよい印象を持てませんでした…。また、車内にはスキーヤーは全くいなかったように感じました…。車内はそこそこ混んでいて、私は補助席に座って加古川駅まで移動しました。

加古川駅に到着後は、腹のことも心配だったので寄り道せずに家路を急ぎました。
皆さんも旅行中の体調の異変にはお気を付け下さい!

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
日本平ロープウェイ 久能山~日本平 1,065m 踏破達成!


今回新たに訪問した廃線跡

路線名区間備考
日本国有鉄道:清水港線清水~三保(8.3km)1984年廃止
(参考:Wikipedia)