第336回 尿管結石で入院…orz | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

タイトルを見て驚かれた方、申し訳ございませんm(_)m
今現在の話ではなく、2005年の出来事です…。今回の記事で説明致します。

私は2005年6月、尿管結石(尿路結石)を発症し、4日間入院しました。

今回は乗り鉄の話ではないのですが、私の「鉄道踏破への道」に於いても重要な出来事だったので、記事に致しました。
今回の日程 2005年6月15日(水)~6月18日(土) 

自宅6/15・550頃(救急車)610稲美中央病院(尿管結石にて入院・院内3泊)稲美中央病院6/18・1100頃(自家用車)1130自宅

【帰宅】
私の記事をいつも読んで下さっている方は気付かれたかもしれませんが、私は2005年に入ると乗り鉄中に「疲れた」「しんどい」をひどく感じるようになっていました。実は2005年6月上旬時点で、体重が2年前の2003年と比較して2割ほど減っていたのです。この頃には目に見えて食欲が減退していて、いつも完食していた食事を残すようになっていました…。私は「何か重大な病気かも…」と疑ったりしたのですが、特にどこが痛いとかの症状がなかったので、そのまま普通に過ごしていました。

しかし、6月10日の金曜日、残業を終えて用を足すと、何と生まれて初めての血尿が出ました…。急に青ざめてしまい、この日は仕事の後に退職した同僚の送別会があったのですが、頭の中は血尿のことばかりで、全くと言っていいほど飲食や会話ができませんでした…。

その後、血尿は出なくなったので普通に土日を過ごしていましたが、翌週の月曜日、同じ部署の女性社員の人との会話で「弟が尿管結石で入院して大変や」と、尿管結石の話が出てきて、この時初めて私は自分が尿管結石なのではないかと疑いました。案の定、この日の残業時には、背中に鈍痛が出てきて苦しかったです。
そしてこの日の帰宅後、就寝中に下腹部が急に痛み出して起床。時期的に下痢と思い込んでトイレへ駆け込みましたが、出るものが出ません…。この時は気付きませんでしたが、この痛みは下痢ではなく石が尿管を動く際に発生したものでした。そしてこの痛みは断続的に続き、医者へ行こうとも思いましたが火曜日はこの痛みに耐えながら出勤して、残業もこなしました。

火曜日も血尿は出ずに終わり、夜は目が覚めずに眠れました。翌日は痛みが引かなかったら定時で仕事を終えて医者へ行こうと思っていました。

翌日の水曜日。5時に起床し、当時は京都の大学へ通学していた弟と朝食を食べました。食べる量、スピードともに弟の方が大幅に私を上回っていました。その食事中です。下腹部の痛みが急に激しくなり、私は記憶にないのですが、苦しさ故に、のたうち回っていたそうです。記憶があるのは、母親に「救急車を呼んでくれ」と言ったことと、横で弟がのたうち回る私を見て大笑いしていたことくらいでした…。尿管結石は「男性の出産」とも言われますが、まさに死ぬほど痛かったです。でも、出産経験のある女性にこの話をすると100%「出産の方が痛い」と論破されてしまいますw

その後は母親に救急車を呼んでもらい、10分も経たずに救急車が到着しました。私は財布だけ持って何とか自力で玄関まで歩き、その後は救急隊員によって担架で、生涯初めてとなる救急車へ運ばれました。母親も同乗しました。そして車内では、救急隊員が「この時間に開いている病院は稲美町の稲美中央病院しかありません。少し遠いですがどうされますか?」と聞いて来ました。私は即答で「遠くてもいいからお願いします…」と、痛みに耐えながら即答しました。

そして救急車は出発し、サイレンを鳴らしながら稲美中央病院へ向けてノンストップで走ります。しかし、乗り心地は悪く、道路の段差を越えた時などはショックで痛みが増幅してしまいました。また、加古川市から稲美町への道のりも長く感じ、「まだ着かへんのか…」と心の中で思っていました。また、速度はさほど速くなかったですが、確かに速く走ると事故のリスクとともに段差ショックの衝撃も大きかったことでしょう…。そして20分近く走り、目的地の稲美中央病院に到着。私は病院へと搬送され、急患用の部屋へ入りました。そして救急隊員の方々にお礼を言った後に隊員の方々は病院スタッフに引継ぎをして足早に去って行きました。

その後、私はベッドへ。ベテラン看護師さんがやって来て、「痛みはひどいですか?」と聞かれました。私は「超痛いです…」と即答すると、「坐薬(座薬)を入れますからお尻を出して下さい」と言われました。私は一刻も早く痛みから解放されたい一心で、恥も外聞もなく「はい」と即答し、お尻を出すとすぐに坐薬が投入されました。その後、徐々に痛みは治まりました。その際にも看護師から色々と症状を聞かれ、「尿管結石でしょうね」と言われました。私は「やっぱりか…」と思いました。
その20分後に私は医師による診察とCTスキャンの撮影を受け、さらに1時間後、診断結果はやはり「尿管結石」でした。先生から「石が出るまで入院されますか?」と言われ、私は、もうあの痛みは2度と味わいたくないので「入院します」と即答し、入院することになりました。そして6人部屋の窓側ベッドが空いているとのことで、そこへ入ることになりました。ここで母親が帰ることになり、鉄道のない稲美町だったこともあり私は母親にタクシー代1万円を渡して、母親は一旦自宅へ帰りました。

そして他の入院患者(高齢者ばかりでした)に挨拶したりしていると、看護師が来て6人一斉に点滴が始まりました。私の点滴には石を溶かす薬が入っていると言われました。私の担当は新人看護師でしたが、針を刺すときの手つきが危なっかしかったです。尚、腕が達者なベテラン看護師は、この6人部屋の長老的存在の人から順に3人を担当していました。新人入院患者の私は何も言えませんでした…。
その後、先生が来て、「利尿作用のあるお茶をどんどん飲め。あと、体に衝撃を与えるような歩き方をすれば石は下りる」とアドバイスしれくれました。この時点で石は膀胱の少し上にありました。なので、歩く際はバタバタしながら、そしてお茶は1回で500ml入りのペットボトルを一気飲みしていました。

また、食事はですが、肉が少なく、また塩っ気がほとんど感じられませんでした。朝食はパンでしたが、マーガリンがとてもしょっぱく感じたくらいです。
1日目の夕方には母親が着替えを持ってきてくれました。また、暇だったので夜になると待合室や院外で職場の同僚などとメールをしていました。また、お見舞いのメールも多数頂き、迷惑をかけたのを詫びるとともに感謝の意を記したメールを返信しました。そして、消灯時間の21時に就寝しました。早すぎます…。この日は坐薬を入れてから痛みは出ませんでした。

木曜日の朝は6時ごろに起きましたが、朝食が8時頃でした。この日もテレビを観たり、院外の公園を歩いたりして過ごしていました。午後には妹が母親と一緒にお見舞いに来てくれました。また、点滴は相変わらず新人看護師の担当でヒヤヒヤしました。どうやらこの日に石が膀胱へと下りたようです。
夜には職場の同僚もお見舞いに来てくれました。寝る前には例のエリカ様のような看護師に体調を聞かれましたが、入院中で弱気になっていることもあり怖く感じてしまいましたw

金曜日、診察や検査を受け、先生に「あとは石が体外に出るのを待つだけや。もっと水分を摂れ」と言われました。この頃にはお茶を飲むのも苦痛になりましたが、頑張って飲み続けましたw ちなみに私が用を足す時は、尿をすべて尿瓶(しびん)に入れるように言われていました。石が出たかどうかを確認する為です。

そして土曜日、朝食前に検査を受けて、「もう石は体外へ出ているかもしれない」と言われました。その後、8度目となる点滴を受けましたが、肘の部分は針を刺した跡だらけで、新人看護師は刺す場所に困っていましたw そして点滴が終わった頃、別の看護師から「石が出てきましたよ!」と、喜びながら出てきた石を見せてくれました。透明で5mm四方ぐらいの大きさでしたが、なぜか石が出るときに痛みを伴いませんでした。

これで入院の必要がなくなりました。早速自宅へ電話して、父親に迎えに来てもらいました。そして会計を済ませ、3日ぶりに自宅へと帰りました。ただ、出てきた石をどこかで落としてしまったのは悔やんでいます…。

これで今回の尿管結石は治り、普段通りの生活へと戻りましたが、体力が落ちたままで乗り鉄再開までは少々時間を要するのでした…。

皆さんも(特に男性の方がなりやすいです)、こまめに水分を補給して尿管結石にならないように注意しましょう!

(つづく)


今回の新規踏破路線は有りません(当然ですw)



(参考:Wikipedia)