第311回 2005年初乗り鉄。常磐線(岩沼~いわき)を乗りつぶし | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

前回の続き…

2004年12月26日~2005年1月2日、6泊(うち車内で2泊)7日の日程で関東地方へ。
千葉県や北関東を中心に乗り鉄を楽しみました。

今回は、第6日目(2005.1/1)・元日の午前中の内容を中心に紹介いたします。
今回の日程 2005年1月1日(土) 【前半】

中野坂上511(東京メトロ丸ノ内線)533東京604(東北新幹線・やまびこ41号)801仙台815(東北→常磐線・228M)1104いわき1120(常磐→東北本線・26M特急スーパーひたち26号)1334上野1340(山手線外回り)1347東京1400(京葉→外房線・3063M特急わかしお13号)1444大網1512(東金線・651M)1529成東1542(総武本線・364M)1610佐倉1618(成田線→空港支線・1385F快速エアポート成田)1642成田空港

【後半へ続く】
この日は朝4時に起床し、朝食後の朝5時前に父親の単身赴任先のアパートを出発。中野坂上駅から東京メトロ丸ノ内線(02系6連)に乗って東京駅まで移動しましたが、初詣客らしき客が多く、前日より車内は混雑していました。

東京駅ではJRに乗り換え。この日のために買った『正月パス(12,000円)』を自動改札機に通しました。そしてJR東日本の新幹線ホームへ上がりました。6時04分発の東北新幹線『やまびこ41号』の自由席でゆったりと仙台まで移動して、常磐線経由で東京へ戻るプランでしたが、自由席の乗車口には大勢の人が…。しかも先端の1号車の方へはとても行けそうにありません…。元日だから乗客は少ないだろうと自由席にした私の思惑は見事に外れ、先程きっぷうりばで『やまびこ41号』の指定席の空席情報を見たら満席だったので、指定席に変更もできません…。私は素直に諦めて、列の最後尾に並びました。

そして発車数分前に、すでに入線していた『やまびこ41号』(E2系10連)のドアが開きました。私が自由席乗車の列を進んでいると、駅員が放送で「指定席のデッキもご利用下さい」とアナウンスしました。私はすかさず7号車のドアへと走り、デッキの左側ドア寄りのポジションを取りました。デッキは客室と比べて寒いですが、これなら車窓風景を見ながら移動できます。そして発車直前にはデッキも7~8人ほどの入りとなり、『やまびこ41号』は定刻に発車しました。途中の上野、特に大宮ではさらに大勢の乗客が加わりましたが、指定席のデッキは10人前後の入りにとどまりました。座れないながらも、じゅうぶん仙台まで耐えられそうでした。
しかし、ドアの窓は客室の窓と違い、すぐに曇ってきました。私は何度も曇りを手で払って車窓風景を眺め続けました。雪化粧した那須の山々や磐梯山?、そして蔵王などを眺めることができました。この日の東北地方は晴れていて、ドアが曇りはしましたが幸いにも車窓風景は眺めることができました。ちなみに私は西側車窓ばかり見ていたので、初日の出を拝むのはムリでした…。そして東京から約2時間で仙台に到着。ホームに降りた時は重圧から解放された気分になりました。



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新白河駅にて2011年撮影。東北新幹線『やまびこ』で乗車したE2系電車です。

さて、仙台では予定通りに滞在はせず、常磐線の鈍行に乗り継いで東京へ戻るとします。仙台で途中下車しなかったのは勿体なかったですが…。いわき行きの228Mは既に入線していました。455系辺りを期待していたのですが、何とオールロングシートの701系…orz 残念ですが、2連を3本繋いだ6連で車内がガラガラなのと、視界を遮るカーテンが付いていないだけマシかと思わなければなりませんか…。私はガラガラの4両目、ロングシートの中央部に座りました。それでも発車間際には乗客が増えて、半分ほどの座席が埋まりました。

電車は定刻に仙台を発車し、東北本線を南下します。岩沼までで半分以上の乗客が下車し、6連では輸送力過剰では…と思いつつ岩沼から単線の常磐線へと入りました。のどかな風景を眺めながら電車は走りましたが、下り特急『スーパーひたち1号』と行き違いの為数分間停車する坂元で「後ろ4両は原ノ町で切り離します」の車内放送を聞き、慌てて2両目へ移動しました。確かに3両目以降より乗客が多かったですが、空席が結構残っていたので、私は再び着席しました。そして坂元から先も車窓風景を眺め続けました。福島県へと入り、東日本大震災による津波で壊滅した新地駅付近も、私は6年後の惨状など予想だにしていませんでした。そして原ノ町での長時間停車時は携帯電話に届いた年賀メールを見たりしましたが、私のように車窓風景を眺め続ける乗り鉄をしていると、携帯を見る暇もありません…。なので、鈍行の長時間停車は本当に助かります。

原ノ町以南は、福島第一原子力発電所や第二原発の近くを走る区間です。現在は事故により不通になっていますが、当時でも近くを通るときは緊張しました。まさか6年後に現在も苦しめられる事態になるとは……。そして原発地帯を過ぎると今度は海の近くを走ったりして、電化の際に放棄された旧線のトンネル跡を見ることができました。また、乗客は次第に増え、四ツ倉辺りでは満席になっていました。最後は市街地へと進み、仙台から3時間近くかけて終点のいわき駅に到着しました。701系だったので結構疲れました…。



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いわき駅にて。
当時は駅ビル内に改札口がありましたが、
現在は自由通路を備える橋上駅舎へと変わり、新しい駅ビルもできました。

いわき駅では一度改札を出た後に早めの昼食(そば)を済ませ、いわき始発上野行きの特急『スーパーひたち26号』に乗り継ぎました。今や旧型となってしまった651系7連でしたが、私から見たらまだ斬新な感じがしました。私は最後部7号車の禁煙自由席の窓側席に座りましたが、いわき発車時点では自由席はガラガラでした。



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いわき駅にて。651系特急『スーパーひたち』です。

特急は定刻に、いわきを発車し、湯本、泉、上田と、いわき市内の駅にこまめに停車し、自由席の乗車率が上がります。勿来(なこそ。勿来の関で有名)を通過すると茨城県へと入り、日立と常陸多賀でさらに乗客が増えました。大半の『フレッシュひたち』の始発駅である勝田ではさほど変化はありませんでしたが、県庁所在地の水戸では下車が多かったです。しかし、入れ替わりに下車を大幅に上回る乗車があり、座席はすべて埋まってしまいました。
水戸からは土浦のみ停車してさらに通路にまで乗客が溢れ、取手からは複々線となって柏や松戸を通過する快感を味わい、いわきから2時間19分で終点の上野に到着しました。

上野駅にて下車後は山手線ホームへ。外回り電車(E231系11連)に乗り東京駅まで移動しました。元日ながら車内は人が多かったです。

そして東京駅では動く歩道のある八重洲連絡通路を通り京葉線ホームへ。今度は外房線へ向かう特急『わかしお13号』に乗車しました。車両はE257系で、短い5連でした。『あずさ』『かいじ』用の車両とは違い、メカニカルな印象の前面でした。私は3号車の禁煙自由席、1席だけ残っていた右窓側席に座れました。すぐに隣席も埋まり、発車直前には満員になりました。
特急は定刻に東京駅を発車し、京葉線は以前に踏破したのですが、地上に出てからは車窓風景をずっと眺めていました。そして蘇我からは外房線へと入り、房総半島の付け根に当たる部分の丘陵を横断します。やがて太平洋側の地域へ出て最初の停車駅である大網で私は下車しました。その後駅の外へ出て少しだけ駅前を散策しました。



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大原駅にて2011年撮影。E257系特急『わかしお』です。

その後は再入場して東金線ホームへ向かい、東金線の当駅始発成東行651Mに乗車しました。スカ色113系6連でした。車内はガラガラで、私はボックスシートを独占できました。
電車は大網を発車し、旧駅の跡地を通過した後はだだっ広い田園風景の中を進みます。そして17分の乗車で、あっという間に終点の成東に到着しました。ここでも私は駅の外へ出て駅前を少しだけ散策しました。



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成東駅にて。当時の房総各線はスカ色113系の天下でした。

成東駅では総武本線に乗り継いで、千葉行き364Mに佐倉まで乗車しました。今回もスカ色113系6連で、この時期の千葉地区は113系の天下でしたね。車内は空いていたので、またもボックス席を独占して車窓風景を楽しみました。実は3日前にこの区間を乗りつぶしたのですが、その時は外が暗くなってしまい、まともに景色を眺められませんでした。なので今回はリベンジを兼ねて成東~佐倉を乗車しました。

そして佐倉では3日前と同様に成田線へ乗り換えました。今回も快速『エアポート成田』(E217系11連+4連)に乗りましたが、車内はガラガラでした。私は前方車両のボックス席を独占し、今回は成田を過ぎて終点の成田空港駅まで乗り通しました。成田空港駅も人は少なかったですが、翌日以降は帰国客が増えてくるのでしょうね…。
下車後は前回(2002年の初踏破時)も経験したセキュリティゾーンでの身分証明提示を済ませて改札外へ出ましたが、もう暗くなりかけていたので、地上へは出ずにこのまま東京方面へ引き返すことにしました。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
JR東日本:常磐線岩沼→いわき133.7km踏破達成!
(参考:Wikipedia)