第297回 広島電鉄の新線を踏破後に高速船で松山へ。伊予鉄も踏破。 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

まずは、2004年10月には台風23号をはじめとする大型台風、そして中越地震で多大な被害が出ました。
台風では高山本線の一部区間が不通になり、中越地震では上越線が不通、そして上越新幹線が脱線したのは衝撃的でした…。
今さらですが、心よりお見舞い申し上げます。

2004年のお盆休み後半以降は西日本の乗り鉄ばかりが続きました。

2004年11月6日、広島電鉄と伊予鉄道を乗りつぶすために広島と松山へ。
少々強引な行程でしたが、日帰りの乗り鉄旅行に出かけました。
今回の日程 2004年10月16日(土) 【前半】

加古川608(山陽本線・943M)622姫路630(山陽新幹線・ひかりレールスター341号)733広島739(山陽本線・1527M)742横川(徒歩)横川駅755(広島電鉄横川線→本線→宇品線・7号線)822広電本社前825(宇品線・1号線)844広島港【宇品】(徒歩)広島港930(石崎汽船・スーパージェット4便)1047松山観光港(徒歩)高浜1113(伊予鉄道高浜線→横河原線)1206横河原1214(横河原線)1243松山市

【後半へ続く】
この日は朝4時30分に起床。朝食を食べて仕度を整えてから5時30分頃に自宅を出発。そして加古川駅から播州赤穂行きの普通電車(223系4連)に乗り姫路駅にて下車しました。
姫路駅では山陽新幹線に乗り換えて、『ひかりレールスター341号』(700系8連)に乗って広島まで移動しました。今回は指定を取って、4号車(サイレンス・カー)の窓側A席を押さえました。費用面では自由席の方が安上がりなのですが、土日朝の下り『レールスター』の自由席はいつも乗車率が高く、岡山までならまだしも、それ以遠ですと着席できないと最悪のスタートになってしまうので、敢えて指定席にしています。移動中は見慣れた車窓をまた見返しながら過ごし、まだ跡形もないマツダスタジアムの予定地で、宇品線の廃線跡が南へ延びて行く場面を見ると広島に到着。車内放送のないサイレンス・カーでしたが、無事に下車できました。

広島駅では在来線・山陽本線下りの岩国行き普通電車に乗り継ぎました。115系8連で、前4両が2扉車の広島快速色3000番台、後4両が30N2000番台で、こちらの塗装は岡山やアーバンと違い白が基調でした。私は後方の2000番台に乗車し、席はほどほど埋まっていたので座らずに1駅先の横川(よこがわ)駅まで移動し、下車しました。

横川駅には広島電鉄の路面電車も乗り入れていて、前年の2003年には電停の位置が駅前を通る道路上から駅前広場に変更され、JRとの乗換が便利になりました。駅も全面が屋根に覆われて、雨に濡れずに移動できるようになりました。今回は線路が付け替えられた部分を乗りつぶす為に横川駅までやって来ました。そして、今回乗るのは、同じ2003年に復活した7号線(横川駅~広電本社前を走る系統)で、車両は単行で、新型?の800形(802号)でした。土曜の朝だからか乗車率は低く、5~6人だけでした。



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横川駅電停にて撮影。便利になりました。

電車は横川駅を発車し、沿道にはビルやマンションがビッシリ並ぶ横川線を南下します。この風景を見ると、広島の街の大きさを実感できます。しばらく走ると電車は十日市町電停手前の交差点で左折し、短絡線を通り本線と合流します。実はこの短絡線も2002年に約30年ぶりに復活したもので、踏破が成りました。そして十日市町電停に着き、ここからは本線を走ります。原爆ドームや広島市民球場を見ながら進むと繁華街にある紙屋町西電停に着きます。この紙屋町電停は交差点を挟んで東西に同名の電停が2つありましたが、2001年には西と東に分けられました。
紙屋町西電停を発車すると交差点を右折し、今度は宇品線を南下します。繁華街を出てもずっと市街地を走り、横川駅から27分で終点の広電本社前に着きました。乗客は終始少なかったです。広電本社前電停は広島電鉄の本社と千田車庫への最寄り駅ですが、それ以外は普通の市街地の中にある感じの駅でした。

7号線を下車後、ホームで待っていると、3分後に広島駅からの広島港行き1号線が入線してきました。車両は3連接車の3950形(Green Liner)で、斬新な塗色でした。車内はさほど混んでいなくて、私は後部車両に座って車窓を眺めました。その後、皆実町六丁目で皆実(比治山)線と合流してからは狭い道路上を走り、海岸通を過ぎると宇品港地区へ出ます。そして向宇品口から改称された元宇品口を過ぎて、旧宇品電停を通過すると、こちらも2003年に延伸された新線部分へと入り、すぐに右へカーブすると終点の広島港(宇品)電停に到着しました。広島港(宇品)電停も横川駅電停と同様に全面が屋根に覆われていて、広々とした感じです。



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広島港(宇品)電停にて。港直結で、綺麗な電停です。

広島港に到着後は広電で市街地へ戻らずに、広島港宇治旅客ターミナルへ向かい、船で四国・愛媛県は松山を目指しました。この時乗ったのがフェリーではなく高速船『スーパージェット』で、この高速船の航路は石崎汽船と瀬戸内海汽船の共同運航ですが、私が乗ったのは松山市に本社を置く石崎汽船の高速船でした。船名は「祥光」で、船内は広く比較的乗客が多かったです。運賃が5,800円もしたのが痛かったですが、松山観光港まで呉経由で1時間17分ですから、フェリーの2時間40分(運賃2,500円)と比較しても相当速いですね。



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今回乗船した石崎汽船の高速船「祥光」です。

高速船は定刻の9時30分に出航し、呉線が走る海岸と江田島の間の海上を南下します。やがて左側に呉市街が見えてくると呉港に寄港しました。
呉での乗船や下船はなく、すぐに出航しました。海峡の狭い音戸瀬戸を通り、ようやく広々とした海上へ出ました。しかし、瀬戸内海では常にどこかに島が見え、風景を眺めるのに飽きることはありません。素晴らしい風景の連続でしたが、またも私は写真撮影せず…orz いつもながら悔やまれます…。

やがて正面に大きな陸地が見えてくると、松山観光港に着岸しました。広島港を出航して1時間17分の道のりでした。
下船した後は少しだけ体が揺れる感覚がしましたが、すぐに元に戻りました。



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松山観光港にて。伊予鉄道高浜線がここまで来ていれば便利なのですが…。

そしてすぐに松山観光港を後にし、伊予鉄道高浜線の高浜駅まで海岸の道路を歩きました。

そして高浜駅からは伊予鉄道の横河原行き電車に乗るのですが、駅ではプリペイドカードの『い~カード』(現在は利用停止)が売られていたので、記念に1,100円分利用可能な1,000円券を買って、それから券売機できっぷに引き換えました。『い~カード』はJRのオレンジカードのようなカードでしたが、翌2005年には『ICい~カード』が発売されて『Suica』のような利用ができるようになりました。

きっぷを購入後は改札を抜けて、電車に乗りました。車両は、現在は廃車となった元京王2010系の800系2連で、車内はガラガラでした。



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高浜駅にて撮影。

電車は定刻に発車し、始は海沿いを走りましたが、途中から内陸へと入りました。また、単線だった線路も次の梅津寺から複線へと変わりました。私にとって高浜線の乗車は初めてではありませんでしたが、初乗車時は夜間だったので今回は車窓風景を必死に眺めましたw 駅ごとに乗客が増え、市内線電車と連絡する古町到着時点ではそこそこ混雑してきました。そして大手町で市内線と平面交差し、いよてつ高島屋の1階部分にある松山市駅に到着しました。ほとんどの乗客が下車しましたが、乗車は僅かでした。

電車は松山市駅を発車し、初乗車となる横河原線へと入りました。住宅地を単線で走り、次第にローカルムードが濃くなってきます。駅ごとに乗客が減り、最後はガラガラの状態で終点の横河原に着きました。松山市駅から21分の乗車でした。



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2枚とも横河原駅にて。駅舎は古かったです。

下車後は駅前を軽く散策して駅へと戻り、『い~カード』と不足分は現金を追加して郡中港までのきっぷを購入し、改札を通り高浜から乗って来た800系電車の折り返し便に乗りました。帰路は松山市駅へ向かうにつれて乗客が増え、少々混雑した状態で松山市駅に到着。私はここで下車しましたが、電車は高浜方面へと去って行きました。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
広島電鉄:横川線横川電停付近の新線数十m2003年付替区間
広島電鉄:宇品線旧・広島港電停→広島港(宇品)0.2km2003年延伸区間
伊予鉄道:横河原線松山市~横河原13.2km踏破達成!
(参考:Wikipedia)