第291回 高千穂鉄道と南阿蘇鉄道を乗りつぶし | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

前回のつづき…

2004年9月23日~27日の間、『周遊きっぷ(九州ゾーン)』を使用して、
4泊5日の行程で九州へ乗り鉄旅行に出かけました。

4日目前半は宮崎県・延岡から高千穂鉄道、路線バス、南阿蘇鉄道、豊肥本線を経由して熊本へ。
九州中央部を東から西へ横断しました。
今回の日程 2004年9月26日(日) 【前半】

延岡616(高千穂鉄道高千穂線・801レ)737高千穂(徒歩)高千穂バスセンター840(宮崎交通バス・特急『あそ』号)940高森中央(徒歩)高森1032(南阿蘇鉄道高森線・10レ)1058立野1105(豊肥本線・432D)1117肥後大津1118(1446M)1148熊本

【後半へ続く】
この日は前日より早く、5時に起床しました。そして朝食後にホテルをチェックアウトし、前日に引き続き延岡駅へやって来ました。今回はJR日豊本線ではなく、旧国鉄~JR九州の特定地方交通線で第三セクター鉄道である高千穂鉄道へと転換された高千穂線への乗車です。JR駅に隣接する簡素な駅舎からホームへと入り、単行の車両(TR-103)に乗り込んでボックスシートに陣取りました。乗客は私の他に用務客と思われる2名、学生1名、そして韓国から旅行へ来たと思われるカップル1組の計6名でした。後に何度も言いますが、この時点では1年後に台風の影響で高千穂鉄道に乗れなくなるとは予想だにしませんでした…。



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延岡駅にて撮影。TR100形気動車です。

列車は定刻に延岡を発車し、市街地を迂回するように山間部を走った後は旭化成の工場などを見る事なく山里の田園風景を走りました。霧が濃くて遠くまで見渡せませんでした。やがて車窓左手に五ヶ瀬川を見ながら走りましたが、この日の五ヶ瀬川は穏やかな流れでした。この川が翌年に大暴れするとは…。その後は何度も五ヶ瀬川を渡りつつ、どんどん山奥へと分け入って行きました。そして日之影温泉駅では用務客が下車して学生が数人乗車し、少し賑やかな状態になりました。その後は昭和47年開業の区間へと入り、トンネルと橋梁が続きました。そして天岩戸駅手前では、日本で最も高い鉄道橋であった高千穂橋梁(全長352.5m、高さ105m)を渡りました。確か徐行してくれたと思いますが、この頃には霧も取れて景色は超素晴らしかったです。しかし、それまでの道中を含めて、高千穂橋梁を渡る時の車窓の写真を1枚も撮っていなかったのは、我ながら情けなくて悔しい思いをしています…orz 橋を渡った後はラストスパート。山間部を通り、延岡から1時間21分で終点の高千穂に到着し、高千穂線を乗りつぶしを達成しました。駅には車庫も併設されていましたが、熊本県の高森まで延伸される予定だったので中間駅風の駅構造でした。また、駅は街外れにあり、市街地は駅の南側にあります。



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2枚とも高千穂駅にて撮影。現在も駅施設は残っているようです。

高千穂駅を後にして、まずは終端部を見に行きましたが、丘陵上にありはっきりと撮影できませんでした。その後は駅東側にある道路の陸橋から駅を俯瞰しました。そして私は高千穂鉄道に別れを告げ、市街地にある高千穂バスセンターへと向かいました。
バスセンターでは乗車予定のバスの発車時刻まで時間があったので、乗車券を購入した後は待合室で座って待っていました。すると、高千穂鉄道の車内にもいた韓国人のカップルも座っていました。このカップルも私と同じルートで九州縦断をするのかな、と思いました。そして時間になったので外へ出てしばらく待つと、延岡始発の熊本駅行きの宮崎交通バス・特急『あそ』号が到着しました。到着後、私は焦って乗りかけましたが、運転士に止められました。何でや?と思いましたが、前乗り前降りの1ドア車でかつ下車客が複数いたので、その下車客を先に通さないと車内へは入れませんでした。夜行以外ではほぼ街の路線バスにしか乗っていなかったせいもありますが、今回は失敗してしまいました…。下車客がすべて降りた後に私をはじめ、用務客や韓国人カップルが乗車しました。車内は15人ほどで、私は中央部の窓側席に座りました。



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高千穂バスセンターにて。特急『あそ』号です。

バスは高千穂線の未成線に沿った国道325号線ではなく、南寄りの国道218号線を通り、西へ進みました。沿道は山間部で、五ヶ瀬町を通った後に宮崎県から熊本県へと入り、旧・蘇陽町(現・山都町)の馬見原から国道265号線へと入り北へ進み、阿蘇山の外輪山へと入りました。そして国道325号が合流する柳交差点を過ぎると、高森峠をトンネルで越えて外輪山から阿蘇谷(南郷谷)へ、ヘアピンカーブを交えながら一気に下りましたが、木々の中からわずかに見えた景色が美しかったと記憶しています。そして谷へ下ると高森の市街地へと入り、高森駅に最も近いバス停である高森中央停留所にて下車しました。そして予想通り、延岡からの韓国人カップルも下車しました。乗車時間は1時間でしたが、仮に未成線が開通していたら営業キロ23kmを約半分の時間で走破していたでしょうね…。下車後は歩くこと数分で高森駅に到着しました。ちなみに高森町といえば、中学時代の修学旅行の時にバスガイドが「歌手の森高千里さんの苗字は高森から取った芸名だ」と言っていましたが、Wikipediaを見ると当人は否定していまして、私や同級生は長い間このバスガイドに騙されていたという腹だたしい思い出があります…。

高森駅からは南阿蘇鉄道の高森線に乗りました。ホームに停車していた車両はコンパクトに見えるMT-2002の単行で、私は今回もボックスシートに座れました。件の韓国人カップルも乗車しましたが、延岡~熊本のルートは外国人からしたら相当マイナーなルートなはずで、彼らがこのルートで移動しているのを見て、すごい研究しているなぁと驚きました。その他にも数人が乗車し、列車は定刻に発車しました。



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高森駅にて撮影。MT-2000形気動車です。

車窓右側は阿蘇五岳、左側は外輪山を見ながら南郷谷の平地を走ります。そして長陽を過ぎると山間部へと入り、高千穂橋梁ほどではないものの、相当高い橋である第一白川橋梁を渡りました。その後は旧・余部橋梁(余部鉄橋)と同じ構造のトレッスル橋である立野橋梁を渡りましたが、乗っている限りは実感が湧きませんでした…。そして高森から26分で終点の立野に到着し、高森線の踏破が成りました。南阿蘇鉄道の立野駅はスイッチバック構造であるJR駅の終端部・東側にあります。

立野駅では豊肥本線に乗り継ぎました。車両はキハ200形の2連でしたが大半の席が埋まっていて、私はドア脇の位置に。件の韓国人カップルの姿は見えず、どうやら彼等は豊肥本線を逆方向へ向かって、阿蘇観光または大分方面へ向かったのでしょう。
列車は立野駅を定刻に発車し、大分方面へ向かうスイッチバック線を見た後は谷を下って阿蘇山の外輪山を抜けます。



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次の瀬田駅ではSL列車の『SLあそBOY』と行き違いました。

そしてその次の駅が終点の肥後大津で、これより先は電化区間となるので電車に乗換です。

肥後大津駅から乗車した電車は815系の2連で、オールロングシートの車内は比較的混雑していました。今回も私はドア脇のポジションに陣取りました。車窓は農村部から住宅地へと変わり、駅ごとに乗客が増えて熊本へ近づいている事を実感しました。そして熊本市電との乗換駅である新水前寺では多くの乗客が下車しました。この駅は関東や関西では例えにくいですが、名古屋で言えば千種や金山みたいな機能を持った?駅でしょうか。幾分車内が空いた後は熊本市街の南側を回り込むように走り、最後は鹿児島本線と合流して終点の熊本に到着しました。



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熊本駅にて。私があまり好きではないオールロングシート車両・815系です。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
高千穂鉄道:高千穂線延岡→高千穂50.0km2005年休止、2008年廃止
南阿蘇鉄道:高森線高森→立野17.7km踏破達成!
(参考:Wikipedia)