第288回 指宿枕崎線をリベンジ乗車。その後は延岡まで移動 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

前回のつづき…

2004年9月23日~27日の間、『周遊きっぷ(九州ゾーン)』を使用して、
4泊5日の行程で九州へ乗り鉄旅行に出かけました。

今回は2日目、前年の訪問時に途中で居眠りしてしまった指宿枕崎線をリベンジ乗車し、
鹿児島へ戻ってからは日豊線の特急を乗り継いで宿泊先である延岡まで移動しました。
今回の日程 2004年9月24日(金) 【後半】

鹿児島中央1040(指宿枕崎線・3335D特快『なのはなDX1号』)1131指宿1137(5325D)1246枕崎1308(5328D)1421指宿1437(1346D)1552鹿児島中央1608(鹿児島本線→日豊本線・6020M L特急『きりしま20号』)1816南宮崎1833(日豊本線・5024M L特急『にちりん24号』)1941延岡

【宿泊】
鹿児島市電を乗りつぶし達成して鹿児島中央駅(2004年3月までは西鹿児島駅)へと戻ってきました。次に乗車するのは、前年に乗りつぶしたのですが途中で眠ってしまい一部区間の車窓風景を見逃してしまった指宿枕崎線へのリベンジ乗車です。しかし今回は九州新幹線(鹿児島ルート)の部分開業後とあって、指宿枕崎線のダイヤが変わっていました。その中でも今回は日程的に、九州新幹線部分開業と同時に誕生した特別快速『なのはなDX』に乗車することができました。車両はキハ200系の3連で、私が乗車する3号車の指定席車両は両運転台の専用車・キハ220-1102でした。車内はリクライニングしない回転式のクロスシートが並んでいましたが、シートピッチと窓割が一致していませんでした。しかし私は偶然にも窓割と合った座席に座ることができました。また、車両中央には展望スペースがありました。この日は平日だからか指定席車両はガラガラでしたが、自由席車両は結構な乗車率でした。



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鹿児島中央駅にて撮影。『なのはなDX』用に改造されたキハ220-1102です。

私が乗車した『なのはなDX』は定刻に鹿児島中央を発車しましたが、特別快速の種別とは裏腹に、各駅に停車していきました。そして前年も大量下車の場面を見た坂之上で今回もやはり大量の乗客が下車し、自由席車両もガラガラになったようでした。坂之上からはようやく通過運転となり、先程の各駅停車が嘘のように、停車駅は喜入と終点の指宿のみと、時刻表の上では爆走列車に変化していましたが、線形がイマイチなのでスピードは上がりませんでした。途中からは鹿児島湾沿いを走り、昨年遭遇した交通事故の現場が元に戻っているのを確認したりして海側の車窓風景を眺めました。そして鹿児島中央から51分で終点のイブ月に到着しました。

指宿では6分の接続で枕崎行き5325Dへ乗り継ぎました。できれば指宿で途中下車したかったのですが、ローカル線では接続が良すぎるのも嬉しい悩みでしょうか? 車両はキハ47形の2連で、私は空いている後方車両のボックスシートを独占しました。1ボックスに1人いるかどうかの乗り具合で指宿を発車しましたが、次の山川で数人が下車し、車内は一気に超閑散状態となりました。その後はJR最南端の駅である西大山や、開聞岳などの車窓風景を楽しみました。そして西頴娃(にしえい)を過ぎると、前回は居眠りをしてしまった区間へと入ります。今回は眠るまいと必死に車窓風景を眺めました。その甲斐あってか、一睡もせずに終点の枕崎まで持ちこたえることができました。終点の枕崎へ到着後は、鹿児島交通が所有している枕崎駅舎内の待合室で少しだけ休憩して列車へと戻りました。ちなみに枕崎駅舎はその後取り壊され、現在の駅跡はドラッグストアやスーパーマーケットへと変貌し、その結果枕崎駅の位置も後退を余儀なくされ、駅舎のない簡素な、寂しい終着駅になってしまいました…。



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枕崎駅にて撮影。当時の枕崎駅は広々としていましたが…。
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同じく枕崎駅にて撮影。ホーム側より旧駅舎を望む。

前年は枕崎から鹿児島交通線(南薩線)の廃線跡に沿って走る鹿児島交通バスに乗って加世田経由で伊集院まで抜けましたが、今回はそのまま指宿枕崎線の列車を乗り継いで(指宿まではキハ47形2連の5328D、指宿からはキハ40形2連の1346D)、鹿児島中央まで戻りました。しかし、指宿から乗り継いだ1346Dで移動中、急に眠くなり、いつしか眠ってしまいました。そして目が覚めると坂之下の手前で、その坂之下からは乗客が一気に増えて車内は混雑した状態となり、終点の鹿児島中央に到着しました。鹿児島中央駅では一旦改札を出て、午前中に撮影できなかった鹿児島市電の鹿児島駅前電停と付近の様子を撮影しました。
その後は再びJR駅の改札内へと戻りましたが、『周遊きっぷ』は『青春18きっぷ』とは違い自動改札機対応なので、改札の出入りがスムーズに行えて便利です。有人改札ですと渋滞ができたりしてスムーズに通れない場合がありますから…。

さて、次に鹿児島中央駅から乗車したのは、日豊本線のL特急『きりしま20号』宮崎行です。車両は485系5連でした。



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宮崎駅にて2008年撮影。『きりしま』で使用されていた485系電車です。

自由席の乗車率は高かったですが、何とか進行方向右側の窓側席に座ることができました。結局、自由席の車内はほぼ満席の状態で鹿児島中央駅を発車しました。最初は鹿児島本線を走り、鹿児島駅から日豊本線へと入ります。そして、曇り空ながらも錦江湾越しに桜島が見ることができました。列車は加治木、隼人、国分、霧島神宮と4駅連続で停車して山岳区間へと入りましたが、相変わらず自由席の乗客は多いままでした。そして鹿児島県から宮崎県へと変わり、西都城と都城に停車しました。両駅とも降車客は比較的多かったですが、入れ替わりの乗車客も多く、結果として自由席はほぼ満席の状態が続きました。その後は青井岳などの山岳区間を抜けて次第に平地へと下り、清武に停車後は市街地へと入って定刻の18時16分、南宮崎駅に到着しました。『きりしま20号』は宮崎行きですが、私はこの日、延岡で宿泊する予定で、後続の『にちりん24号』へ乗り継ぐために南宮崎駅で下車しました。



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南宮崎駅にて撮影。車両基地が併設されていて。運転上の拠点駅です。

南宮崎駅では一度改札を出てからホームへと戻りましたが、駅前にダイエーがあったのが印象的でした。そして、すぐに入線してきた『にちりん24号』小倉行に乗車しました。こちらも485系の5連でした。宮崎空港駅始発で宮崎までは特急券なしで乗車可能なので、自由席には結構な数の乗客がいましたが、私は何とか窓側席を確保できました。列車は定刻に宮崎駅を発車し、大淀川を渡り宮崎駅に到着しました。宮崎駅では大半の乗客が下車し、入れ替わりにほぼ同数の客が乗ってきて、自由席車両は7割ほどの乗車率となりました。
列車は宮崎を発車し、平野部を坦々と北上したのですが、もう日没を過ぎていて車窓風景は望めませんでした…。すると途端に眠くなり、佐土原到着を前に眠ってしまいました…。そして日向市の辺りで目が覚めて、何とか目的地の延岡で下車できました。もし寝過ごしていたら、大分や小倉まで行ってしまうところでした…。

宮崎県三大都市(?)のひとつで、旭化成の企業城下町としても有名な工業都市である延岡には初めて足を踏み入れました。今まで列車で通り過ぎたことはあったのですが…。しかし駅前は寂しい感じがしました。よそ者がスッと入っていけそうな飲食店が見当たらなかったので、ひとまず予約していた駅前のホテル「シティホテルプラザ延岡」にチェックインして、それから外出して近くのコンビニで夕食のパンと翌日の朝食を買ってホテルへと戻りました。そして夕食後はすぐに入浴し、テレビを視聴した後、22時頃に就寝しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線は有りません


(参考:Yahoo!ブログ『787Swallow's』(本文の緑色部分)、Wikipedia)