第256回 京急大師線などを乗りつぶし | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

2004年のゴールデンウィーク、5月1日~5月4日は、
3泊4日の日程で東京方面の私鉄路線を中心に乗り鉄をしました。
新規に乗りつぶした線区も多く、3月の名古屋と違い概ね順調に乗り鉄できました。

今回は第1日目の模様をお伝えします。
今回の日程 2004年5月1日(土)

東加古川602(JR神戸線・708K)614西明石641(山陽新幹線・ひかり302号)704新大阪710(東海道新幹線・のぞみ106号)946東京957(中央線快速・961T青梅特快)1006四ツ谷1015(東京地下鉄丸ノ内線)1026中野坂上1224(丸ノ内線)1228新宿1234(中央・総武緩行線)1249水道橋1332(中央・総武緩行線)1334御茶ノ水1335(中央線快速)1339東京1354(山手線外回り)1405品川1413(京浜急行電鉄本線・快特)1424京急川崎1428(大師線)1438小島新田1450(大師線)1500京急川崎1505(京急本線・快特)1512横浜1524(相模鉄道本線→いずみ野線・快速)1553湘南台1614(横浜市営地下鉄3号線→1号線)1720あざみ野1738(東急田園都市線・急行)1754三軒茶屋1800(世田谷線)1818下高井戸1824(京王線・快速)1828笹塚1832(京王新線)1837新線新宿1856(中央線快速)1900四ツ谷1915(東京メトロ丸ノ内線)1926中野坂上

【宿泊】
今回の乗り鉄はいつもと違いました。初日の午前中は、父親が東京へ単身赴任するということで引越しの手伝いをしに行きました。

この日は朝4時頃に起床、朝食と旅の準備を終えた後、自宅から父親とタクシーで東加古川駅へ。そしてJR神戸線の普通【快速】電車(223系8連+4連)に乗り、西明石で山陽新幹線に乗り換えました。いつもですと自由席ですが今回は指定席を押さえて、まずは東京行きの『ひかり302号』に乗り新大阪へ。300系16連でした。GWで席が埋まっていて、BC席しか取れませんでした…。
そして新大阪では当駅始発の東海道新幹線『のぞみ106号』(700系16連)に乗り継ぎました。この列車も指定席のDE席が取れませんでしたが、何とかAB席は確保できました。私が窓側に座りました。いつもはE席側(山側)の景色を見ていたので海側の景色は新鮮でしたが、富士山がまともに見られなかったのは残念でした…。この列車は新横浜に停車した後は前年に開業した品川を通過し、9時46分に終点の東京に到着しました。

東京駅では中央線快速に乗り換えて『青梅特快』で四ツ谷まで移動。この頃はまだ201系オンリーでした。そして四ツ谷では東京地下鉄丸ノ内線に乗り換えましたが、この4月に帝都高速度交通営団から東京地下鉄(東京メトロ)に変わってから初の乗車となります。券売機で東京メトロマークの入ったパスネットを購入し、丸ノ内線の電車(02系6連)に乗って中野坂上まで移動しました。車両のマークもメトロ仕様に変わっていました。



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荻窪駅にて2010年撮影。東京メトロ丸ノ内線の02系電車です。

その後は引越しの手伝いをしましたが、1時間少々で終了し、単身赴任先のアパートをあとにして駅前の『松屋』にて昼食。その後は丸ノ内線で新宿まで移動し、今度は新宿で中央・総武緩行線(E231系10連)に乗り換えて水道橋で下車しました。そして父親と後楽園で競馬を少しだけ楽しんだ後、水道橋から中央・総武緩行線と中央線快速を乗り継いで東京駅へ。お互いにGWの休暇中だったので父親はそのまま加古川の自宅へと帰り、私はこのまま東京近郊で乗り鉄を続けることに

父親と別れた後、今度は山手線(E231系11連)で品川へ。一度駅の外へ出て、改めて京浜急行電鉄(京急)の駅へ向かいました。そして手狭な印象の品川駅からは三崎口行きの快特に乗車しました。車種は失念しましたが、京急のオール(?)ロングシートの3扉車でした…。車内は混んでいたのでドア脇で風景を眺めました。前半は高架線が続きましたが、途中の京急蒲田付近は地平の市街地を走り、そのギャップが面白かったです。空港線が分岐する京急蒲田からは初乗車区間になり、多摩川を渡ると高架駅の京急川崎に到着。私は下車しました。

京急川崎では地平ホームから発車する大師線に乗り換えました。小島新田行きの車両は今はなき初代1000形の4連で、片開き3扉車でした。さすがに古さは感じましたが、小さいときに本で見た車両に乗れるので嬉しかったです。車内は空席も見られ、今度は座りながら車窓を楽しめそうです。
京急川崎を発車後はすぐにカーブして多摩川の土手沿いを走った後に市街地へと入り、初詣の参拝客が多い川崎大師駅からはさらに車内は閑散としました。ここから先は貨物線との三線軌条だったはずですが、確認はできませんでした…。どうやら貨物輸送が1997年に終了し、その後に二線軌条に戻されたようですね。そして最後まで住宅街を走り、10分で終点の小島新田に到着しました。
小島新田駅の東側には川崎貨物駅の線路が広がっていました。また、この付近は貨物線や専用線の廃線跡が多く、機会があれば調査してみたいですね。



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小島新田駅にて撮影。旧1000形電車です。

時間の関係ですぐに駅へ戻り、再び大師線の電車(旧1000形4連)に乗り京急川崎まで移動しました。その後は本線の快特・三崎口行きに乗り換えました。車両は新1000形の長い12連で、車端部にはボックスシートが設置されていました。車内は混雑していたので、またドア脇で初乗車区間の車窓を楽しみ、次の停車駅である横浜で下車しました。

横浜駅からは、生涯初めてとなる相模鉄道(相鉄)の乗りつぶしをします。この日は、いずみ野線のみの乗りつぶしにかかりました。駅ビルの中にあるホームへ向かう途中、デパートの中を通りました。ようやくホームへたどり着き、湘南台行きの快速電車(8000系10連)に乗車しました。この車両は5号車と8号車にセミクロスシートを備えていて、私は空いているボックスシートを見つけて窓側席に座りました。乗客は少なかったです。
横浜駅を発車後しばらくは左側のJR東海道本線と並走し、途中で別れて丘陵の住宅街を走ります。そして二俣川を出ると本線と分かれ、ニュータウンの新線を走ります。トンネルが多かったですが谷間では高架橋になり遠くまで見渡せました。関西のニュータウン新線は幹線道路の中央に敷設されているケースが多いですが、関東では鉄道単独のケースが多いです。そしてゆめが丘を過ぎると左手から横浜市営地下鉄1号線が近付き、両線が2層高架となり下層のこちらが先に地下へと入って終点の湘南台に着きました。



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湘南台駅にて撮影。相鉄8000系電車です。

湘南台では駅前を少し散策し、再び地下へ向かい、今度は横浜市営地下鉄の乗りつぶしです。1号線と3号線は直通運転していて実質1本の路線となっていて、2008年のグリーンライン開業時に「ブルーライン」の愛称が付けられました。乗った電車は今は廃車となった2000形6連で、写真を撮らなかったのが悔やまれます…。乗客は少なかったです。

湘南台を発車後しばらくは地上も走りながら東へ進み、戸塚を過ぎると徐々に乗客が増えてきました。上大岡や伊勢佐木長者町、関内からは3号線に入り桜木町を経由して横浜に到着。多くの乗客が入れ替わりました。横浜を発車後は三ッ沢地区などを蛇行しながら通り、新横浜に到着。その後は新羽付近や港北ニュータウン内で地上を走り、湘南台から1時間以上の乗車でようやく終点のあざみ野に着きました。さすがに少々疲れました。



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あざみ野駅にて2009年撮影。写真は3000形電車です。

あざみ野からは東急田園都市線の急行(8500系10連)に乗り三軒茶屋へ。約1年半ぶりの乗車となる世田谷線に乗り継いで下高井戸まで移動しました。

その後は京王線の快速(既に引退の6000系5連+3連)に乗り、笹塚で京王新線(こちらも6000系8連)に乗り継いで、新線の新宿駅にて下車しました。そしてJR駅の『みどりの窓口』へ向かい帰りのきっぷを買おうとしたのですが、GWゆえに長い行列ができていて、これでは時間がかかりすぎると判断した私は中央線快速(201系6連+4連)で四ツ谷まで移動。こちらの『みどりの窓口』は予想通り空いていて、難なく帰りのきっぷを買えました。きっぷを購入後は東京メトロ丸ノ内線に乗車し、中野坂上で下車。『松屋』で豚めしを食べた後は父親の単身赴任先のアパートへ戻り、入浴後に就寝しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
京浜急行電鉄:本線京急蒲田→横浜14.2km
京浜急行電鉄:大師線京急川崎~小島新田4.5km踏破達成!
相模鉄道:本線横浜→二俣川10.5km
相模鉄道:いずみ野線二俣川→湘南台11.3km踏破達成!
横浜市営地下鉄:1号線湘南台→関内19.7km(※1)踏破達成!
横浜市営地下鉄:3号線関内→あざみ野20.7km(※1)踏破達成!
(※1)2008年3月30日より両線とも『ブルーライン』の呼称で案内されています。

(参考:Wikipedia)