第254回 名鉄三河線お名残乗車&新関~関を乗りつぶし | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

前回の続き…

2004年3月13日~14日の間、半ば思いつきで『3・3・SUNフリーきっぷ』を使用して東海地方へ。
仕事の都合で3日間乗り鉄できなかったのが残念でしたが、思いつきの乗り鉄だったので行程もチグハグなものとなってしまいました…。
今回の日程 2004年3月14日(日)

豊田市659(名鉄三河線)708猿投715(三河線・2004年廃止区間)730西中金738(2004年廃止区間)753猿投801(三河線)839知立847(三河線)918碧南935(2004年廃止区間)1001吉良吉田1003(西尾線)1020西尾1033(西尾→名古屋本線・特急)1112金山1118(名古屋本線・特急)1147新岐阜1149(各務原→田神→美濃町線)1245関1258(美濃町→田神→各務原線)1354新岐阜1411(名古屋本線・特急)1435新名古屋(徒歩)近鉄名古屋1600(近鉄名古屋→中川短絡→大阪→難波線・名阪甲特急)1805近鉄難波(徒歩)なんば1815(地下鉄四つ橋線)1822西梅田(徒歩)大阪1830(JR神戸線・3287M新快速「湖西レジャー号」)1920加古川

【帰宅】
この日は前日の反省から、午前中の予定はある程度決めていました。朝6時前に起床し、朝食後にホテルをチェックアウト。愛知環状鉄道の新豊田駅を見てから名鉄の豊田市駅へ。改札でフリーきっぷを見せて入場し、まずは猿投行きの普通電車(6000系2+2連)に乗りました。高校生が結構乗っていました。

そして猿投駅からは、本日の目的の一つである、三河線【山線】の廃止予定区間である猿投~西中金のお名残乗車をしました。2000年に乗りつぶしたのですが、写真がほとんどなかったのでもう一度乗ることにしました。車両は気動車のキハ30形で、2両連結でした。乗客は少なかったですが、そのほとんどがファンでした。消え行く駅や自然豊かな車窓風景を眺めながら15分走り、終点の西中金に到着しました。ファンはみんな写真撮影にいそしんでいました。私も写真撮影や駅舎を見たりと動き回りました。そして8分後に発車する折り返し列車で猿投まで戻りました。



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2枚とも西中金駅にて撮影。廃線を知らせる看板が掲げられていました。

猿投駅では知立行きの電車に乗り継ぎました。車両は元特急車の7700系2連×2で、白帯が残っていたかどうかは忘れてしまいました…。しかし、車内は特急時代の雰囲気を残していて、何だか得した気分になりました。転換クロスシートに座りながら、知立までの車窓風景を楽しみました。
そして知立駅では三河線【海線】へ乗り継ぎました。碧南行きの電車は7700系2連と5300系2連をつないだ4連で、5700系列が好きな私は5300系に乗りました。今思えばこの時も7700系に乗っておけば良かったかな…と後悔しています。今度も転換クロスシートの座席から車窓風景を楽しむ事ができ、碧南までは快適な道中でした。終点の碧南では一度改札の外に出てみました。昔ながらの駅舎と駅前が閑散としていたのが印象に残っています。



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碧南駅にて撮影。古い駅舎です。

さて、碧南駅からは、こちらも廃線になってしまう区間、碧南~吉良吉田のお名残乗車です。車両はこちらもキハ30形でしたが単行でした。乗客が少なかったので座席に座っていましたが、発車直前になって知立方面の電車から乗換客が大量に押し寄せてきました。私と同じお名残乗車であろう乗客でたちまち満員になり、私は昨年末の仙石線と同様にロングシートから首を横に向けながら景色を眺めるしかありませんでした…。これならばドア脇に行っとけば良かった…と思っても後の祭りですorz しかし、乗客の大半がお名残乗車と推測でき、他の着席客も背後の窓から風景を眺めていたので自分の行動が浮いてしまわずに済み、まさに不幸中の幸い?でした。そしてこの苦しい状態で26分、ようやく?終点の吉良吉田駅に到着。車窓はあまり望めませんでしたが、3年前の2001年に一度乗っといて良かったです…。



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吉良吉田駅にて撮影。現在、このホームは蒲郡線電車が使用しています。

吉良吉田駅でキハ30形を撮影していると、西尾行きの電車がすぐ発車するとの案内が! 私は大慌てで西尾線ホームへ走り、何とか乗車することができました。車両は6000系2連で、ほとんどの座席が埋まっていました。ドア脇で単調な田園風景を眺めながら移動し、終点の西尾駅で下車。島式ホーム1面2線の高架駅で、狭すぎる印象でした。そして西尾駅で降りることはめったにないので一度改札外に出てみました。

西尾駅からは特急料金350円を奮発して、新名古屋まで特急に乗ることにしました。窓口へ行って窓側席を頼むと、すでに発券してあるミューチケットを渡されました。どうやら予め大量にミューチケットを発券しているようでした。発車直前に乗り込む乗客が多いからなのかか、JRのマルスのようなオンラインシステムが西尾駅にはなくて、他の駅で事前に一斉発券したのか、分かりません…。ホームへ上がると1600系の3連が入線してきて、私は指定された窓側席に着席しました。乗車率は50%ほどでした。西尾線の風景を楽しみながら、また新安城からは名古屋本線の風景を楽しみながら移動しましたが、今度は岐阜へ行こうと思っていて、確実に着席したかったので新名古屋の手前、金山駅で下車して後続の新岐阜行き特急(1000-1200系6連)に乗り継ぎ、一般車で新岐阜まで移動しました。狙い通りに新名古屋で座れましたが、やはり特別車の座席の方がいいです!

そして新岐阜駅からは前日に乗り損ねた美濃町線・関行きの電車に何とか乗り継げました。車両は880形2連で、1人分ずつ区分されたロングシートが印象的でした。しかし、存廃問題で揺れているだけあって、乗客は少なかったです…。電車は各務原線かた田神線へと入り、路面区間になって美濃町線へ。その後は専用軌道となり山並みも見られるローカルな風景の中をノロノロと走り、新関に到着。そして新関を発車してしばらくすると1999年に完成した新設軌道区間へと入りましたが、感動する間もなく終点の関駅に着いてしまいました。乗客は2名だけで、もう1名も隣接する長良川鉄道駅へは向かわずに住宅地へと姿を消しました。



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関駅にて撮影。この駅が使用されたのは6年と短かったです…。

関駅からは同じ電車で新岐阜駅まで戻りましたが、ここで持病の頭痛を発症してしまい、道中の大半を眠って過ごしたのは勿体なかったです…。ナンボか眠っていたので少し回復した状態になりました。終点の新岐阜駅では構内でそばを食べてから名古屋本線ホームへ。ここで急に前面展望をしたいと思い、窓口で特急(パノラマスーパー)の展望席のミューチケットを買いました。豊橋行き特急(1000-1200系6連)の展望室は私のみで、新名古屋までは子供に戻った気分で楽しめました。新岐阜~新名古屋でパノラマスーパーの展望席に乗ったのは小学生以来でした。



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豊橋駅にて2008年撮影。1000系『パノラマSuper(スーパー)』です。

新名古屋駅到着後は帰るだけとなりました。近鉄名古屋駅へ移動して、特急の時刻を確かめると、16時発のノンストップ特急が新型の21020系『アーバンライナーnext』使用と分かり、1本やり過ごして『next』のデラックスシートに乗ることにしました。



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近鉄名古屋駅にて撮影。21020系『アーバンライナーnext』です。

そしていよいよ『アーバンライナーnext』に乗車。右側の2人席・窓側でした。お目当ての乗客も多かったようで、乗車率は高かったです。ゆりかご型の座席は座り心地がよく、頭痛状態の私にはすぐ眠れるような快適さでした。案の定、近鉄名古屋を発車直後に眠ってしまいました…。
白子付近を走行中に目が覚めましたが、誰か(多分斜め後ろの客)が私の座席のカーテンを閉めていました。私は基本的にカーテンを閉めて車窓風景を殺す乗り鉄はしていないので、私はカーテンの外側へ頭をやって、私と光が眩しい他の客の両方の要求を満たしました。しかし、私はまた眠ってしまいましたが…。しばらくして榛原付近で目が覚め、頭痛も緩和されたので車窓風景を見る事ができ、太陽光も反対側から入るようになったのでカーテンも開けました。そして最後までデラックスシートの快適さを味わい、終点の近鉄難波で下車しました。

近鉄難波からは地下鉄四つ橋線とJR神戸線の新快速(223系1000番台8連)を乗り継いで加古川へ。鶴橋で乗り換えれば…と言われそうですが、ただ近鉄特急を終点まで乗りたかっただけですw

加古川駅到着後は、翌日が仕事ということもあり、とっとと帰宅しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
名古屋鉄道:美濃町線新関~関0.3km2005年廃止
(参考:Wikipedia)