第248回 横浜の金沢シーサイドラインなどを乗りつぶし | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

前回の続き…

2003年12月27日~31日、年末年始の長期休みを利用し、主に『青春18きっぷ』を使用して4泊5日の行程で東北や関東の路線の乗りつぶしの旅に出かけました。
5日目最終日・大晦日も前日に引き続き首都圏の乗りつぶしをしました。

今回の日程 2003年12月31日(水) 【その1】 

仲御徒町710(営団地下鉄日比谷線)741中目黒746(東急東横線)811菊名814(東横線・急行)823桜木町837(根岸線)850新杉田900(横浜新都市交通シーサイドライン)924金沢八景<仮>(徒歩)金沢八景957(京急逗子線)1005新逗子(徒歩)逗子1016(横須賀線・924S)1020鎌倉

【その2へ続く】
この日は6時頃に起床し、「松屋」で朝カレーを食べた後にホテルをチェックアウト。今回は翌年に東京地下鉄(東京メトロ)へと変わる帝都高速度交通営団(営団地下鉄)の日比谷線・仲御徒町駅からスタートです。乗車した中目黒行き(?)電車は東武20000系8連でしたが、大晦日とあってか車内は空いていました。時代劇などでよく名前を聞く八丁堀からは初踏破区間で、線名の由来となった日比谷や繁華街の六本木を経由し、地上に出て東急東横線と合流すると終点の中目黒駅に到着しました。
中目黒駅では一度改札の外へ出ましたが、やはり磁気カードの『パスネット』よりJR東日本の『Suica』の方が使い勝手が良いですね(関東の私鉄が『パスネット』を導入したのは2007年)。

中目黒駅からは東急東横線の電車に乗り横浜方面へ移動しました。まずは各停(8000系8連)に乗り、途中の菊名では後続の急行・桜木町行きに乗り継ぎましたが、こちらも数年後に引退する8000系8連でした。反町付近は地下化工事がたけなわでした。そして横浜からは、みなとみらい線開業に伴う廃止予定区間に入り、高架線を根岸線と並走して終着駅の桜木町駅に到着しました。廃止予定区間は今回が初踏破ではありませんが、翌月(2004年1月30日)に営業終了するということで、お名残乗車をしました。



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桜木町駅にて撮影。この1ヵ月後には東横線の横浜~桜木町は廃線となりました。

桜木町駅からは根岸線の電車(209系10連)に乗り、新杉田駅まで移動しました。当時は京浜東北線・根岸線の209系が数年後に一掃されるとは思いもしませんでした。関西では未だに103系が活躍しているというのに…。

新杉田駅からは、横浜新都市交通・金沢シーサイドライン(以下・シーサイドライン)の乗りつぶしです。神戸のポートライナーと同様のフルスクリーン式ホームドアに囲まれたホームから電車に乗ります。今回の乗り鉄旅行では実に3線目の新交通システム路線です。当時の車両は1000形5連の独壇場でした。私は最前部の車両に乗りましたが運転席付近の座席は既に他の乗客が座っていて私は側面展望で我慢することにしました。



イメージ 3

新杉田駅にて2010年撮影。

シーサイドラインの電車は無人運転で臨海部の風景の中を走り、駅ごとに乗客が減りました。そして後半は八景島シーパラダイスや海の公園、そして野島公園などの景色を見ながら走り、今度は駅ごとに乗客が増えて新杉田から24分で終点の金沢八景(仮駅)に到着しました。

金沢八景(仮駅)から京浜急行電鉄の金沢八景駅まで5分ほど歩きました。現在は不便ですが、早ければ2016年度にもシーサイドラインの駅が京急駅と直結される予定です。

そして金沢八景駅からは京急逗子線の電車(初代1000形4連)に乗って新逗子まで移動しました。このご時世に片開き扉車とはインパクトが強烈でした。関西では南海に片開き扉の車両が多いですが…。ドア脇で三線軌条区間などを眺めながら移動し、金沢八景から8分で終点の新逗子駅に到着しました。

新逗子駅からは市街地の中を徒歩約5分、JRの逗子駅に到達しました。そして横須賀線の電車(E217系11+4連)に1駅だけ乗って、鎌倉駅で下車しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
帝都高速度交通営団:日比谷線八丁堀→中目黒10.6km踏破達成!
横浜新都市交通:金沢シーサイドライン新杉田→金沢八景(仮)10.6km踏破達成!
(参考:Wikipedia)