第244回 山田線や岩泉線などを乗りつぶし | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…

2003年12月27日~31日、年末年始の長期休みを利用し、主に『青春18きっぷ』を使用して4泊5日の行程で東北や関東の路線の乗りつぶしの旅に出かけました。
2日目の後半は、三陸地方のローカル線を乗りつぶしました。

今回の日程 2003年12月28日(日) 【後半】

釜石1340(山田線・1647D)1452宮古1455(山田線→岩泉線・685D)1628岩泉1720(岩泉線・686D)1812茂市1831(山田線・659D)2041盛岡

【宿泊】
仙台から三陸海岸沿いに北上し、三陸鉄道南リアス線の列車に乗って釜石駅まで来ました。
釜石駅では三陸鉄道の駅舎から外へ出て、今度はJRの駅舎の改札口で『18きっぷ』を提示して入場しました。そしてホームへ上がるとすでに宮古行きの1647Dが入線していました。キハ100形2連の車内は何名か乗っていたものの、海側のボックスシートが空いていたので、すかさず着席しました。このままガラガラの状態で釜石を発車か…と思っていたら、13時35分、釜石線の快速『はまゆり3号』が到着するやいなや大勢の乗客が我が1647Dに押し寄せてきました。やはり新花巻で新幹線から乗り換えてきた帰省客が多かったようです。車内はたちまち満員となり、山側の景色は全く見えなくなりました…。時期が時期なので仕方ありません…。

1647Dは定刻に釜石を発車しました。先程の南リアス線とは打って変わって高架やトンネルは激減しました。但し、海沿いを走る区間はそう多くありませんでしたが…。そして途中の大槌では半数近くの乗客が一斉に下車したので驚きました。帰宅後に大槌町を調べたら比較的大きな町ということが分かりました。大槌も2011年の東日本大震災による津波で市街地が壊滅してしまいました…。
大槌の次、ユニークな駅名の吉里吉里(きりきり)からは主に海岸沿いを走ります。美しい景色でした。また乗りに行きたいですね。そして陸中山田でも大勢の乗客が下車し、車内はガラガラになってしまいました。やはり東京方面から宮古へは盛岡経由で山田線または特急バスが主流なのでしょう。陸中山田からは逆に山間部を中心に走り、やがて市街地に入ると終点の宮古に到着しました。

宮古からはこのまま三陸海岸に沿って北上したいところですが、今回は『超』ローカル線で、2012年3月にJR東日本が廃止の意向を示した岩泉線を乗りつぶすことを優先させました。わずか3分の接続で岩泉行きの685Dに乗り換えました。車両は国鉄色に戻された単行のキハ52-149で、ドアと客室は仕切られていました(ように記憶しています…)。発車間際でしたが、私はボックスシートを独占できました。車内は10人程で、ほぼ全員が鉄道ファンの『乗り鉄』っぽい感じでした。

685Dは宮古を発車し、茂市までは閉伊川に沿って山間部を西へ走りました。この時点で相当なローカル線(山田線ですが)だと思いました。そして岩泉線との分岐駅である茂市では19分間の長時間停車。私をはじめ約半数の乗客が車外へ出て車両を撮影したり改札外にも行ったりしていました。鈍行の旅は特急や新幹線の旅とは違いこれができるから楽しいです!そして盛岡からの快速『リアス』が到着しましたが、乗換客はいなかったように記憶しています。



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茂市駅にて撮影。『岩手和井内 岩泉方面』の看板も消える運命になりそうです…。

そして茂市を発車すると山田線が左へカーブして分かれ、いよいよ待望の岩泉線へ入りました! 深い谷をゆっくりと進みます。途中駅こそは雰囲気が出ているものの、風景についてはそれほど超ローカル線といったイメージではありませんでした。しかし岩手和井内を過ぎ、さらに山深くなるとそれこそ超ローカル線のイメージそのものの景色になり、押角~岩手大川の山越え区間はすごい山奥を走りました。その後は徐々に山が低くなり、秘境のイメージから解放され始めると終点の岩泉に到着しました。これをもちまして岩泉線の乗りつぶしが完了しました。岩手和井内辺りで下車した1名を除く全員が宮古から岩泉まで乗り通していました。岩泉駅は簡易委託駅のため運転士が集札業務を行いましたが、私を含む全員が『18きっぷ』または『北海道&東日本パス』を使用している様子でした。その後は折り返し列車686Dの発車まで1時間近くあったのでホームや駅舎、駅の外とあらゆる所を回りました。



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岩泉駅にて撮影。単式ホーム1面1線と小規模な構造ながらも駅舎は大きかったです。

686Dの発車までに日は暮れて真っ暗になってしまいました。そして一気に寒くなってきたので、『乗り鉄』の人たちは徐々に車内へ入っていきました。私も寒かったので暖かい車内に戻り、行きとは別のボックスシートに腰掛けました。車内は『乗り鉄』が約10名と地元客が2名いました。そして復路は岩泉駅を17時20分に発車しましたが、道中は真っ暗で車窓風景を望めませんでした…。それならばと私はリュックから時刻表を取り出し、まだ大まかにしか決めていなかった翌日の行程を考えながら車内でのひとときを過ごしました。そして18時12分に茂市駅に到着。私を含む3人が下車しましたが、残りの乗客は宮古まで乗り通すみたいです。これで岩泉線を往復乗車しましたが、岩泉線の苦しい状況が少し分かったような気がしました。時期的に冬休みなので高校生の利用が少ないのは仕方ないとして、鉄道ファンがいなかったら乗客がほとんどいなかった事になりますから…。

暗闇の中の茂市駅では待合室で盛岡方面行きの列車を待ちましたが、とても寒かったです。いくら太平洋側とはいえやはり東北地方は寒いです…。そして待ち続けること19分(さほど長くないですが…)、宮古方から山田線の659D盛岡行きが入線しました。車両はキハ52形とキハ58形を併結した2連で、今回はキハ58形に乗車しました。車内はガラガラだったのでボックスシートを独占しました。しかし、車窓風景を眺めようにもすでに外は真っ暗で、私は疲れていたこともあり早々と眠りに落ちてしまいました…。
そして目が覚めると、何と上盛岡を発車した直後でした! 終点・盛岡はもうすぐで、一瞬焦りました。しかし焦ったおかげで一気に目が覚め、無事に終点の盛岡駅で下車することができました。盛岡駅では現在IGRいわて銀河鉄道と花輪線が使用している新幹線高架下の1番線ホーム(当時)に到着したと思います。この時点で山田線も踏破達成しましたが、茂市~盛岡は夜間乗車ということで改めて乗車することにしました。

下車後すぐに盛岡駅の改札を出て、ネット予約していた駅近くの「東横イン盛岡駅前」にチェックイン。フロントで料金支払いの時、ネット予約の特典という事で靴下を貰いました。また、これまで東横インではフロントの対応がまずい所が多い印象がありましたが、ここでの対応は素晴らしく気持ちが良かったです。そして部屋に荷物を置いて一旦ホテルの外へ。コンビニでにぎり寿司を買ってホテルへ戻り、部屋でテレビ番組を観ながら食べました。その後は入浴をしましたが、先程山田線の車内で約2時間寝ていたこともありなかなか寝付けず、就寝は24時頃になりました。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
JR東日本:(※1)山田線釜石→茂市→盛岡157.5km踏破達成!
JR東日本:(※1)岩泉線茂市~岩泉38.4km踏破達成!(夜間乗車)
(※1)2011年の東日本大震災発生前のデータ。

(参考:Wikipedia)