第207回 初の北海道乗り鉄(1・『日本海』に乗り函館へ) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

2003年4月26日から5月2日にかけて、周遊きっぷ(北海道ゾーン)を使用して、
6泊7日の日程で北海道へ乗りつぶしの旅へ出かけました。
日程が長い分、色々なアクシデントもありましたが…。
今回より数回に分けて旅行記をUPしていきます。
今回の日程 2003年4月26日(土)~4月27日(日)

加古川1625(山陽→東海道本線・3224M新快速)1614大阪1747(東海道→湖西→北陸→信越【車内泊】→羽越→奥羽→津軽→海峡→江差→函館本線・4001レ寝台特急『日本海1号』)1127函館

【次回に続く】
今回の北海道乗り鉄は、これまでの私の乗り鉄の中で最も大きなプロジェクト(?)になりました。

まずは事前に加古川駅の「みどりの窓口」で周遊きっぷと、行き帰りに利用する『日本海』の特急券、寝台券を購入しました。
しかし、帰りはB寝台の下段を確保できたものの、行きは上段しか取れませんでした…。
また、自宅では北海道で宿泊するホテルをFAXやネットで予約しました。全く当日予約しない長期乗り鉄は今回が初めてでした。しかも、今回初めてホテル(1泊分)をネットで予約し、以後徐々にホテル予約はネットにシフトしていくことになります。

4月26日16時前、兵庫県加古川市の自宅を出発し、まずは加古川駅の自動改札機に『周遊きっぷ』の『ゆき券(加古川→中小国)』を通しました。そしてJR神戸線の新快速(223系2000番台8連)で大阪駅まで移動しました。

大阪駅では一度改札を出て(途中下車)、コンビニで今晩と翌朝の食料、そして飲料を調達しました。そして、やはり景色の見えない上段は嫌なので、『みどりの窓口』で問い合わせたところ、途中の青森までは下段が空いているという事で、下段にしてもらいました。但し、青森から函館までは立席(ヒルネ)での移動になってしまいましたが…。

その後、再び改札内へ。10番のりばへ向かうと、ちょうど『日本海1号』が入線してくるところでした。入線後、写真を撮ってから車内へ。私は青森で切り離される9号車(12号車が前方)、禁煙B寝台車の下段寝台でした。私自身、寝台車は583系の『きたぐに』で経験済ですが、ブルートレインに乗るのは初めてのことで、とてもワクワクしていました。車内は私の反対側を除いて概ね下段が埋まるほどの乗車率でした。私の反対側はまだ売れ残っているのでしょうか? 私が下段を取れたのは直前だったものですから…。



イメージ 1

大阪駅にて撮影。撮影失敗…orz。

ちなみに『日本海1号』はJR西日本担当の24系25形客車で、1号車はA個室寝台、その他は開放型のB寝台でした。機関車はEF81が大阪から、敦賀で交換され青森まで牽引し、青森~函館は青函用のED79が牽引します。

『日本海1号』は定刻に大阪を発車し、山科まで外側線を走ります。全ての新快速が停車するようになって久しい高槻を通過するのは気持ちよかったです(高槻の方、すみません…)。私はコンビニで買ったおにぎりを食べながら、通路の補助椅子で京都や琵琶湖の景色を眺めていました。しかし、湖西線を走行中に暗くなってしまい、夜の闇の中を走るようになりました。早めに持参の歯ブラシで歯を磨きに行きました。
近江塩津で北陸本線に合流し、山を下ると敦賀に到着しました。機関車交換と特急『雷鳥』『しらさぎ』を待避を兼ねて14分間停車しました。その間、1度駅の外に出てみましたが、駅前はひっそりと静まり返っていました。また、小浜線のホームには電化されて間もない小浜線の125系電車が停車していました。この125系電車を翌年に地元の加古川線に導入されるとは……当時は予想だにしませんでしたが。

敦賀を発車後すぐに北陸トンネルに入り、トンネルを抜けた後も闇の中を坦々と走ります。客車(しかも集中電源方式の24系)なので床下から聞こえるのがレールのジョイントを通過した時の音だけでした。福井はさすがに街なので周囲は明るかったですが、九頭竜川を渡るとまた暗闇に戻りました。そうこうしているうちに、急に眠くなって、加賀温泉を発車直後に私は眠ってしまいました。こうして4月26日の乗り鉄は終了しました。

日付が変わり4月27日、私は山形県の酒田駅停車時に目が覚めました。この間、列車は北陸本線から信越本線、そして羽越本線へとどんどん北へ向かって進んでいたのですが、富山県と新潟県では目が覚めることがありませんでした…。そして酒田発車後に再び眠ってしまいましたが、羽後本荘到着前に本格的に目が覚めました。すでに夜が明けていて、私は寝台側の窓から羽越本線の車窓風景を眺めました。そしていつしか私の反対側の寝台にも上下段とも乗客がいて、寝台のカーテンが閉まっていましたが、秋田で下車していきました。母親と男の子の親子でした。

秋田からは奥羽本線を走ります。過去に一度乗車したことがあり、風景を見ては当時のことを思い出したりしていました。大館辺りで朝食(パン)と歯磨きを済ませ、その後も青森県津軽地方の車窓風景を眺めながら時間を過ごし、定刻の8時30分に青森に到着しました。

青森でも機関車付け替え、前寄り8両の切り離しなどで長時間停車しました。私は1度改札を出て、久しぶりにやって来た青森の空気を肌で感じました。そして再入場後は、立席利用可能な2号車に行きましたが、寝台には多くの人が着席していて、私は通路の補助椅子に座る羽目になりました…。

青森から函館までは【津軽海峡線】(線名ではなく愛称)を走ります。青森から中小国までは津軽線を走りますが、元々は非電化のローカル線だったせいか、スピードはさほど上がりません…。蟹田からは初乗車区間になり、中小国(正確には新中小国信号場)からは海峡線に入り、私としては初めてJR北海道の管轄区間に足を踏み入れました。そしてJR北海道の管理駅で唯一本州内にあり、将来は北海道新幹線の
駅が設置される予定の津軽今別を通過していくつかのトンネルを抜けた後、いよいよ世界最長(2012年1月現在)の青函トンネルに入りました。と言っても感動したのは最初だけで、窓から見える景色はまた暗闇…。私は竜飛海底駅と吉岡海底駅の位置を把握するのが精一杯でした。そしてトンネルを抜けるとついに北の大地、北海道です! 但しトンネル出口付近は丘陵地帯で、車窓風景は北海道のイメージとは程遠かったのですが…。

木古内では案外下車が多く、1つの寝台区画が完全に空いたので私は進行方向向きの寝台に腰掛けて、江差線を走りながら津軽海峡の景色を眺めました。江差線もまた津軽線と同様のローカル線なので、スピードが上がりません…。しかしスピードが遅い分、車窓風景をしっかりと眺めることができました。前方には函館山が見え、どんどん大きくなってきます。やがて沿線も民家が増えてきますが、北海道特有の塀の無い民家が目立ちます。そして市街地に入ると五稜郭に到着し、最後の1区間は函館本線をゆっくりとラストスパートし、定刻の11時27分、終点の函館に到着しました。大阪から1183.8km(営業キロ)の距離を17時間40分かけて走破しました。半日以上も乗車していたので名残惜しかったです…。



イメージ 2

函館駅にて撮影。

函館駅では改札を出てみましたが、自動改札機があったのには驚きました。『周遊きっぷ』は『青春18きっぷ』と違い自動改札機を利用できるのが大きなメリットです。
また、新しい駅舎が建築中で(2003年6月使用開始)、古い駅舎は最後の活躍をしていました。



イメージ 3

函館駅にて撮影。こちらは旧駅舎の西口で、隣には新駅舎があります。

そして駅舎を出ると北島三郎さんの名曲の歌詞が頭をよぎりましたw
朝市や、青函連絡船で使用されていた船舶で現在は函館港にて博物館船となった『摩周丸』を見ながら駅前を歩きました。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
JR西日本:湖西線(※1)山科→西大津--.-km参考記録
JR東日本:羽越本線新津→新発田26.0km(夜間走行)
JR東日本:羽越本線坂町→秋田223.7km踏破達成!(夜間走行)
JR東日本:津軽線蟹田→中小国4.4km
JR北海道:海峡線中小国→木古内87.8km踏破達成!
JR北海道:江差線木古内→五稜郭37.8km
JR北海道:函館本線五稜郭→函館3.4km
(※1)山科~西大津(現在の大津京)の長等山トンネルは緩勾配の側線を通過。

(参考:Wikipedia)