第178回 東京からの帰宅は臨時大垣夜行の通路で一夜を… | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

前回の続き…

2002年8月14日~8月18日の間、『青春18きっぷ』を使用してこの年の3月以来となる関東地方の鉄道路線の乗りつぶしを敢行しました。

今回は8月17日から8月18日にかけて、臨時大垣夜行(9375M)に乗って東京から加古川へ帰りました。
実はこの日に夜行列車またはバスで関西に戻ろうとしていましたが、今回(第178回)のスタート時である19時30分頃の時点では、帰りの交通手段がまだ決まっていませんでした…。
今回の日程 2002年8月17日(土)~8月18日(日) 

8/17:上野1942(京浜東北線)1949東京2023(東海道本線・369M)2031品川2042(京浜東北線)2053東京2323(東海道本線・921M)2331品川2355(東海道本線・9375M『臨時大垣夜行』)【車内泊】

8/18:【車内泊】(東海道本線・9375M『臨時大垣夜行』)555大垣600(東海道本線・3205F)635米原653(東海道→山陽本線・3205M新快速)903加古川

【帰宅】
上野駅にて夕食後、京浜東北線で東京駅へ。さてどうやって帰ろうかといくつかの選択肢を考えました。まずは臨時大垣夜行(全車両自由席)を思い当たり、この時間なら並べば間に合うと思い東海道線で品川駅へ。臨時列車用のホームへ行くと……ホームの乗車位置には既に長い行列ができていました…orz ここで並べば3人組ボックス席の一角にありつけるかも知れないと思いましたが、他の選択肢を探すことにして品川駅を後にし、東京駅へ戻りました。

次の選択肢は『ムーンライトながら』。キャンセル客がいるかもしれないと思い「みどりの窓口」へ直行しました。そして問い合わせると…やはり残席ゼロ…orz 一部車両は小田原から自由席になるので、小田原までの指定券を調べてもらっても残席ゼロ…orz 

実は前日から何度か空席を求めて「みどりの窓口」へ通っていたのですが、ことごとく残席ゼロで、最後のチャレンジもあっけなく失敗に終わりました。
そうこうしているうちに、新幹線の新大阪行き最終『のぞみ』が発車してしまいました…。まぁ、所持金不足で新幹線や寝台列車は選択肢に入れようがなかったのですが…。

次は東京駅八重洲口にあるバスのチケット売り場へ。大阪や神戸へ向かう夜行バスの『ドリーム号』の空席を問い合わせましたが、やはり満席…orz この結果、残った選択肢は小田原まで先回りして『ムーンライトながら』の自由席車両に乗車するor品川駅に戻って臨時大垣夜行に乗車するの二者択一になりました。翌日は夕方に用事があり、東京で宿泊して翌日に『18きっぷ』で帰宅する選択肢は当初より考えていませんでした。

私は東京駅で迷った挙句、後者の『臨時大垣夜行』に乗ることにしました。前者の場合ですと小田原に先回りしても自由席目当ての乗客が列を作っていて座れないかもしれないと思ったからです。私は再び東海道線で品川へ。コンビニで翌日の朝食を買い込んで、臨時ホームへ向かうと既に臨時大垣夜行が入線していました。車両は165系or169系の3連×3で、すでにボックス席は埋まっていて、すべてのボックスでちゃんと4人座っていました。私は仕方なくデッキに立ち、空席が発生するのを待ちました。デッキには通勤客も乗っていましたが、ボックスシートにはどう見ても名古屋まで乗り通しそうな乗客ばかりでした…。



イメージ 1

165系です。2011年、名古屋市の「リニア・鉄道館」にて撮影。

臨時大垣夜行(以下・9375M)は定刻に品川を発車し、私は車内改札の際、0時06分に停車する川崎までの乗車券と『18きっぷ』を提示し、『18きっぷ』には8月18日のスタンプが押されました。9375Mは川崎、横浜の順に停車していきましたが、私が立っているドアでの乗降はゼロ。途中駅の乗客は皆、指定席券を買って『ムーンライトながら』に乗るのでしょう…。
9375Mは闇の中を淡々と西へ、大垣を目指します。途中駅でも乗降はほとんどありませんでしたが、平塚で私と同じデッキにいた通勤客が下車しました。その後も車内は変化無く、『ムーンライトながら』が発車した直後で静寂な状態になっていた小田原に到着しました。しかし、9両全体でも乗降はほとんどなく、私の乗車車両の座席はついに空きませんでした…。最後の希望も絶たれ、急に眠気が襲ってきました。しかし私がいるのは狭いデッキ、ここで眠ってしまうと乗降客に迷惑をかけてしまいます…。どうしようかと考えているうちに、ふと車内を見渡すと、何と通路で横たわって眠っている乗客が何名かいるではありませんか!? 床で眠るなんて…と思いましたが、睡魔には勝てません! 今の状態では恥とか他の乗客の目とかは全く気にならず、所持金も少なく取られるものもないので『寝てまえ!』ということで通路にバッグを置いてそれをマクラ代わりにして横たわり、私は眠りました…。まぁ、ピーク時は通路で眠るスペースも確保できなかったとか…横になれるだけマシでした。


そして翌朝、豊橋駅停車中に私は目を覚ましました。同時に私の頭上を数人の乗客が通って行きました。私が見上げると、すぐ近くのボックスシートが4席とも空席になっていました! 私はすかさず起きてボックスシートの進行方向窓側席に座りました。後から私と同じく通路で眠っていた男性が私の斜め向かいの席に座りました。座れるのは名古屋かな、と思っていたので不幸中の幸いとでも言いましょうか、とにかくホッとしました…。豊橋では先着の『ムーンライトながら』を待たせて9375Mが先に発車しました。こちらが混んでいるせいか、私の見る限り『ながら』の乗客が9375Mに移ることはほとんどなかったと思います。

9375Mの豊橋発車後は名古屋までノンストップで走ります。夜明けの車窓風景を眺めながら前日に品川駅で購入したパンを食べました。
名古屋では多数の乗客が下車し、幾分車内は空いてきました。そして5時55分に終点の大垣に到着しました。

大垣では姫路行きの205Fに乗り換えました。車両はJR西日本の113系4連でカフェオレ色のN40リニューアル車でした。ここではいつもながらの席取り合戦が展開されますが、後方7号車に乗っていた私には不利でした…。結局クロスシートはゲットできず、ドア脇のロングシートに何とか着席できました。
205Fは定刻の6時ちょうどに大垣を発車。しかし9375Mでの睡眠時間が短く、大垣からの車窓を少し見ただけで再び睡魔が襲ってきました。そして垂井線に入った辺りで再び眠ってしまいました。

目が覚めたのは米原停車中で、私は慌てて電車を降りました。別にこのまま乗車していても加古川へ帰れるのですが、後続の新快速に乗り継いだ方が40分以上早く到着します。
最後に乗車した3205M新快速は223系の8連+4連で、余裕で窓側席に座れました。そして起きたり眠ったりの状態で2時間10分、新快速は加古川駅に着き私は下車。疲れのあまり自転車をフラフラさせながら帰宅の途につきました。4泊5日にわたる関東乗り鉄のすべてが終わりました。

(つづく)


あとがき

今回の臨時大垣夜行は、私の準備不足もあるのですが、結果として相当辛い経験となってしまいました。

以後は絶対に指定席を押さえてから乗ることに決めましたが、
実際に座席夜行列車に乗ったのはその後1回のみでした。

今回を境に夜間移動は寝台列車、それが無理ならホテルで宿泊と、
結果として今回の関東旅行は私の以後の乗り鉄スタイルを変えるターニングポイントとなりました。


今回の新規踏破路線は無しです