前回の続き…
2002年8月14日~8月18日の間、『青春18きっぷ』を使用してこの年の3月以来となる関東地方の鉄道路線の乗りつぶしを敢行しました。
今回から3日目、2002年8月16日前半の模様をお伝えします。
今回の日程 2002年8月16日(金) 【前半】 上野御徒町653(都営大江戸線)656蔵前701(都営浅草線)706押上(徒歩)業平橋718(東武伊勢崎線)720曳舟724(準急)734北千住738(伊勢崎線)751業平橋754(伊勢崎線)814西新井820(大師線)822大師前832(大師線)834西新井838(伊勢崎線)847北千住917(営団千代田線→常磐緩行線)936馬橋951(総武流山電鉄流山線)1003流山1018(流山線)1029馬橋1034(常磐緩行線)1038松戸1115(新京成電鉄線)1155京成津田沼 【後半へ続く】この日はちゃんと早起きして、朝御飯を済ませてからホテルをチェックアウト。この日も「御徒町ステーションホテル」に連泊予定なので荷物は部屋に置いといて、軽装で乗り鉄を楽しみました。
まずは都営地下鉄大江戸線の上野御徒町駅へ。2駅だけ乗って、蔵前駅にて都営浅草線に乗り換え。一旦地上に出なければならなかったのが面倒でした…。浅草線では押上方面の電車に乗車。他社の車両が多く乗り入れてくる中、乗車したのは都営の5300形8連でした。車内はガラガラの状態でした。そして終点の押上で下車。連絡通路を通って東武の業平橋駅(2012年に『とうきょうスカイツリー』駅へ改称予定)へ移動しました。
今回の目的は業平橋駅地上ホームを発着する電車に乗って、曳舟駅までの線路を踏破することにありました。しかし時刻表を確認すると、目的の地上ホーム発の電車は7時54分までありません…。仕方なく高架ホームへ。時間つぶしで北千住まで往復しました。途中の鐘ヶ淵駅はどこかで聞いたことのあるような…「カネボウ」や「カネカ」のルーツの地なのでしょうか? そして7時51分に業平橋駅へ戻ってきました。そして今度は地上ホームへ。当時の業平橋駅は高架ホームと地上ホームに分かれていて、地上ホームは浅草駅に入れない10両編成の列車の終着駅として設置されていました。翌2003年になると、10両編成の列車は曳舟駅から押上駅への連絡線(実際は伊勢崎線の線増扱い)を通って営団半蔵門線へ乗り入れるようになり、地上ホームは発展的解消という形で役目を終えています。
業平橋駅(地上ホーム)にて撮影。ホームの撮影はしてませんでした…orz
始発電車に乗り込んだのですが、期待していた10連ではなく、短い6連でした。まぁ、6連でも曳舟までの連絡線(?)踏破は達成できたので良かったのですが…。ちなみに車内はガラガラでした。この電車は普通電車で、そのまま乗車していると北千住から複々線になり、緩行線に移って各駅に停車して、準急停車駅の西新井にて下車しました。
西新井からは大師線の乗りつぶしをしました。ホームへ下りる前に改札があり、中間駅のない支線である和田岬線や名鉄築港線と同じシステムでした。
ホームに下りると8000系の2連が停車していました。乗車率は割と高かったです。西新井を発車すると高架に上がり、わずかに残る畑を見ながら進むと、もう終点の大師前に到着してしまいました。駅は2面1線の高架駅で、結構規模が大きかったですが、無人駅でした。
ホームに下りると8000系の2連が停車していました。乗車率は割と高かったです。西新井を発車すると高架に上がり、わずかに残る畑を見ながら進むと、もう終点の大師前に到着してしまいました。駅は2面1線の高架駅で、結構規模が大きかったですが、無人駅でした。
大師前駅にて。
大師前からは大師線を引き返しました。席はすべて埋まり、立客もいるほどでした。西新井では伊勢崎線の普通に乗り換え。そして北千住で下車しました。
北千住では営団地下鉄千代田線に乗り換えて、馬橋駅を目指します。やって来た我孫子行き(だったはず)はJR東日本の203系でした。ところがこの203系、営団6000系よりデビューは後なのですが、どうも6000系の方が新しく感じるのは気のせいでしょうか? 車内はそこそこ混雑していました。
北千住を発車するとすぐに地上に出て荒川を渡り、綾瀬からはJRの常磐緩行線に入ります。この辺りのJRと営団の関係はややこしいですね…。綾瀬発車後は両さんの亀有、そして寅さんへの乗換駅(京成金町線)である金町と進みます。あと印象に残ったのは、駅ごとにイトーヨーカドーがあることでした。金町を発車すると江戸川を渡って東京都から千葉県に入り、松戸に着きます。多数の乗客が下車しました。松戸からは住宅地を走り北松戸、そして馬橋に到着し、私は下車しました。
北千住を発車するとすぐに地上に出て荒川を渡り、綾瀬からはJRの常磐緩行線に入ります。この辺りのJRと営団の関係はややこしいですね…。綾瀬発車後は両さんの亀有、そして寅さんへの乗換駅(京成金町線)である金町と進みます。あと印象に残ったのは、駅ごとにイトーヨーカドーがあることでした。金町を発車すると江戸川を渡って東京都から千葉県に入り、松戸に着きます。多数の乗客が下車しました。松戸からは住宅地を走り北松戸、そして馬橋に到着し、私は下車しました。
馬橋からは、前年の2001年に1度乗りつぶしておきながら写真撮影に失敗して1枚も写真がなかった総武流山電鉄(現在の流鉄)を終点の流山駅まで往復乗車しました。時間帯のせいか乗客は少なかったです。
流山駅では念願の写真撮影を達成!
流山駅では念願の写真撮影を達成!
2枚とも流山駅にて撮影。
そして馬橋に戻った後は常磐緩行線で松戸へ。千葉県へ来たなら…と、駅前の「ロッテリア」にて早めの昼食を済ませました(千葉ロッテマリーンズが頭をよぎったので…)。
さて、次は新京成電鉄の乗りつぶしです。松戸駅のホームに停まっていた8000系6連の京成津田沼行き電車に乗車しました。座っていては景色がハッキリ見えないので、ドア脇に立ちました。座席がほとんど埋まるほどの乗車率でした。
終始、住宅街を眺めながらの乗り鉄でした。印象的だったのは北初富駅から高架の北総線への連絡線跡が残存していたことです。
そして、松戸から40分で終点の京成津田沼駅に到着しました。京成津田沼駅は京成電鉄との共同使用駅で、改札内で両社の乗り換えが可能です。
終始、住宅街を眺めながらの乗り鉄でした。印象的だったのは北初富駅から高架の北総線への連絡線跡が残存していたことです。
そして、松戸から40分で終点の京成津田沼駅に到着しました。京成津田沼駅は京成電鉄との共同使用駅で、改札内で両社の乗り換えが可能です。
京成津田沼駅にて。
この日はまだまだ乗り鉄を続けました。
(つづく)