第174回 鶴見線と南武支線を乗りつぶし | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

前回の続き…

2002年8月14日~8月18日の間、『青春18きっぷ』を使用してこの年の3月以来となる関東地方の鉄道路線の乗りつぶしを敢行しました。

今回は2日目、2002年8月15日の後半の模様をお伝えします。
今回の日程 2002年8月15日(木) 【後半】

逗子1403(横須賀線・4650E)1434横浜1436(京浜東北線・快速)1445鶴見1500(鶴見線・1517レ)1520扇町1531(1516レ)1548鶴見1552(京浜東北線・快速)1558東神奈川1559(京浜東北線)1605鶴見1620(鶴見線・1609レ)1625弁天橋1636(大川支線へ直通・1615レ)1644大川1647(1614レ)1654弁天橋1659(海芝浦支線へ直通・1613レ)1704海芝浦1710(1712レ)1722鶴見1724(京浜東北線)1728川崎1732(南武線)1735尻手1745(南武支線)1752浜川崎1758(南武支線)1805尻手1810(南武線)1812川崎1818(東海道本線・526M)1837東京1839(山手線外回り)1840有楽町1907(山手線内回り)1915御徒町

【宿泊】
逗子駅のホームにて昼食後、横須賀駅始発の横須賀線・湘南新宿ライン直通の新宿行き4650Eに乗車しました。車両はオール2階建ての215系10連でした。当時の湘南新宿ラインでは現在のようにE231系で統一されてなくて、215系やE217系、さらには211系までも使用されていました。ちなみに115系は2ヶ月前の6月に撤退しました。

私が215系に乗るのは1996年以来6年ぶりで、1999年の乗りつぶし開始後は初めてでした。私は眺めのいい2階席のボックスシート・進行方向窓側席をゲットして独占できましたが、鎌倉と大船で大量乗車があり、私のボックスは4名分すべて埋まってしまいました。大船停車時に私の反対側に座った女性が「カーテン(ブラインド式)を閉めてもいいですか」と聞いてきました。私はカーテンを全て閉められては困るので、お互い妥協して中間地点までカーテンを閉めることにしました。誰に聞くこともなく自分勝手にカーテンを閉める人も多い中、今回の中年女性は事前に尋ねてくれたので気持ちがよかったです。そして2階席からの景色を少しの間楽しんで、中年女性に一礼をして横浜駅で下車しました。
横浜駅ではすかさず京浜東北線の電車(全て209系10連)に乗り換え、3駅先の鶴見で下車。いよいよ鶴見線の乗りつぶし開始です。

鶴見駅では鶴見線ホームの手前に中間改札があり、和田岬線や名鉄築港線と同じシステムです。しかし、鶴見線は駅が複数あります(鶴見駅以外は全部無人駅ですが…)。全駅に券売機があり、電車には車掌が乗務しているので不正乗車は防げるでしょうが…。

最初に鶴見駅から乗車したのは扇町行きの1517レで、103系の3連でした。当時の鶴見線は103系の独壇場でした。車内はお盆の昼間だったせいか閑散としていました。
鶴見を発車して本山駅跡を過ぎると東海道線などをオーバークロスして国道、鶴見川を渡り鶴見小野、そして臨海工業地帯に入り車庫のある弁天橋、海芝浦支線が分岐する浅野、大川支線との接続駅の安善、かつては大川支線との接続駅であった武蔵白石の順に進みます。南武支線との接続駅である浜川崎を過ぎると運河を渡り昭和、そして最後まで工場の中を進み終点の扇町に到着しました。下車した乗客は5人もいなかったと記憶しています。



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扇町駅にて。

次は支線の乗りつぶしですが、データイムで電車の本数が少なく時間が開くため、一度鶴見駅に戻り、さらに京浜東北線を東神奈川まで往復して時間をつぶしました(『ホリデーパス』を使用しているため東神奈川では改札内で折り返しました)。それでも時間が余っていて、仕方なく弁天橋まで先発電車で移動して、弁天橋駅のホームで次の電車を待っていました。そして16時36分、ようやく大川行きの電車に乗ることができました。大川行き電車は途中までは本線上を走りますが、武蔵白石駅の手前で右へ約90度急カーブしました。武蔵白石駅のホームは撤去されていて当時を偲ぶことはできませんでした。武蔵白石を通過後は、やはり工場の中を走り、運河を渡るとすぐに終点の大川に到着しました。こちらも乗客が少なく閑散としていました。



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大川駅にて。

そして最後は海芝浦支線を残すのみとなりました。とりあえず弁天橋まで戻り、5分待って海芝浦駅に乗車しました。やはり乗車率は低かったです。今度は浅野駅で右へカーブし、左側の運河に沿って走ります。新芝浦を過ぎると右へカーブして、東京湾や首都高速湾岸線の鶴見つばさ橋を眺めながら終点の海芝浦に到着しました。駅前には東芝京浜事業所の工場群が見渡せました。電車を降りて改札を出ようとしたら、「東芝関係者以外は入場お断り」との旨が書かれた看板がありました。実は私、この事を知らなかったので驚きましたが、終着駅の外に出なければ乗りつぶしにならんという考えを持っていた私は、守衛さんに「駅を撮影させてください」とお願いをし、守衛さんは「少しだけなら」と許可してくれました。そして私はすかさず駅の外に出て(=東芝の敷地に入れさせてもらい)、写真を1枚だけ撮影してすぐに守衛さんにこの日2度目の「感謝の一礼」をして改札内に戻りました。ちなみに当時は駅の外から撮影させてもらえましたが、今は難しいかもしれませんね…。



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海芝浦駅にて。改札外より撮影(許可を得て撮影)。

海芝浦駅からは折り返し電車に乗車して終点の鶴見駅で下車。鶴見線の乗りつぶしを終えた後は京浜東北線で川崎へ。さらに南武線の電車(205系6連)に乗り換えて1駅目の尻手で下車しました。次の目的は南武支線(通称:浜川崎支線)の踏破と101系の乗車です。
当時はまだ後継の205系がデビューしておらず、100%の確率



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尻手駅にて。左側が101系です。右側の黄色い車両は103系です。

で101系2連に乗車することができました。乗客はそこそこ乗っていましたが私はロングシートの座席に座って景色を眺めました。こちらも鶴見線と同じく工業地帯を走ると思いきや、終始市街地の中を走りました。そして尻手から7分で浜川崎駅に到着しました。改札を出てみると道路の反対側に鶴見線の浜川崎駅がありました。



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浜川崎駅にて。

浜川崎駅からは折り返し電車に乗車し、結局、101系2連で南武支線を往復しました。

尻手駅からは南武線(本線)に乗り換えて川崎へ戻りました。乗車した電車は引退が近づいていた103系6連で、思わずガッツポーズが出ました。

川崎では東海道線(113系11+4連)に乗り継ぎ東京まで乗車。その後は山手線(205系11連)で1駅戻り有楽町で下車。「ビックカメラ」有楽町店を見学後、再び山手線(205系11連)に乗車。窓が「田」の字の初期車でした。そして御徒町駅にて下車。朝に続き「松屋」で夕食。豚生姜焼定食を食べた後、当日の朝にフロントで予約した「御徒町ステーションホテル」へチェックイン。連泊しました。疲れていて、就寝は22時頃でした。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
JR東日本:鶴見線(本線)鶴見~扇町7.0km踏破達成!
JR東日本:鶴見線(大川支線)(安善)~武蔵白石~大川(※1)1.0km踏破達成!
JR東日本:鶴見線(海芝浦支線)浅野~海芝浦1.7km踏破達成!
JR東日本:南武線川崎~尻手1.7km
JR東日本:南武支線(浜川崎支線)尻手~浜川崎4.1km踏破達成!
(※1)武蔵白石~大川の営業キロは1.0km、安善~大川の営業キロは1.6km。

(参考:Wikipedia)