第171回 飾磨港線跡を歩く | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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2002年6月12日、この日は兵庫県姫路市へ。かつて姫路駅から南へ延び、飾磨区(行政区ではない)の飾磨港駅までを結んでいた国鉄播但線の支線(通称:飾磨港線)の廃線跡を徒歩で辿りました。
今回の日程 2002年6月12日(水)

自宅(自動車)姫路リバーシティー・飾磨駅跡付近(徒歩・廃線跡)飾磨港駅跡付近(徒歩・廃線跡)姫路リバーシティー・飾磨駅跡付近(徒歩・廃線跡)姫路駅(徒歩)山陽姫路1433(山陽電鉄本線・A直通特急)1437飾磨(徒歩)姫路リバーシティー・飾磨駅跡付近(自動車)飾磨港駅跡(自動車)自宅
この日は午前10時頃に自宅を出発。公共交通機関ではなくマイカーを40分ほど運転して姫路市飾磨区にあるイオン姫路リバーシティーショッピングセンター(現在の名称)へ。
そして買い物をしてから徒歩で飾磨港線の廃線跡を辿ってみました。

まずは店舗西側の飾磨駅跡から飾磨港駅方面へ。線路用地はほとんど残っていましたがレールや枕木の状況は…忘れてしまいましたorz



イメージ 1

飾磨駅跡南側の新日鐵広畑への専用線との分岐点付近にて。
飾磨港線側は橋台が残っています。

そして最後は飾磨港駅の位置を見失ってしまい、結局最後に車で再訪問することにして姫路リバーシティーへ引き返しました。

ちょうどお昼時だったので店内で昼食を済ませ、再び店舗西側の飾磨駅跡をスタートしました。今度は姫路駅を目指します。

最初の山陽電鉄網干線をアンダーパスしていた箇所はそのままの状態で、そこから先の廃線跡は遊歩道になっていました。途中の亀山駅跡付近からは廃線跡を遊歩道に転用する工事をしていました。また、姫路バイパス南側の県道との交差部には踏切跡が残っていました(2010年訪問時には撤去されていました)。
廃線跡が東側から寄り添う山陽電鉄本線と並走し始める地点からは、山陽電鉄線のさらに東側の道路から廃線跡を見ながら歩きました。山電の手柄駅付近では、廃線跡は鮮魚卸市場の用地に変わっていました。その後再び線路跡が姿を現し、最後は山電と別れて右へカーブし、山陽本線と合流する地点まで行ってみました。



イメージ 2

姫路駅南方の山陽本線との合流点付近にて。2002年当時、山陽電鉄は旧線でJR線を跨いでいました。

これにて飾磨駅跡~姫路駅の廃線跡探訪は完了し、山陽姫路駅から飾磨駅まで山陽電車で移動しました。飾磨駅で下車後は姫路リバーシティーまで歩き、車に乗り込んで地図を見ながら飾磨港駅跡へ。今度はちゃんと駅の位置を特定できました。



イメージ 3

飾磨港駅跡は「みなとドーム」が建てられました。

そして飾磨港駅を後にして車で40分、家路につきました。
結局、この時はあまり写真を撮らなかったので数年後に再訪問しました。

(つづく)

P.S.

当時から私はインターネットを利用していましたが、
この頃(2002月6月)、ようやくダイヤルアップ接続からADSLに乗り換えました。
通信速度の差は歴然で、以降インターネットへの依存度が次第に高くなりました。

ちなみにこの頃、撮影にはフィルム式のコンパクトカメラと、
一部は家族共用のデジタルカメラ(200万画素)を使用していました。
前回(第170回)の一部の写真から、デジカメからPCに取り込んだものを使用しています。


今回の新規踏破路線は無しです


今回踏破した廃線跡

路線名区間備考
国鉄:播但線(飾磨港線)飾磨港→姫路(5.6km)1986年廃止
(参考:Wikipedia)