第145回 『ムーンライトながら』に乗って東京へ | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

2002年3月4日~3月9日にかけて、5泊6日(うち車内で1泊)の日程で関東方面の乗りつぶしを進めました。
今回から数回にわたり紹介していきます。

今回の日程 2002年3月4日(月)~3月5日(火)

加古川1647(山陽本線・3349M新快速)1657姫路1717(山陽本線→東海道本線・3646M新快速)1903草津1903(東海道本線・796T→米原から230F)2028大垣2033(2260F新快速)2103名古屋2145(1121F)2210岐阜2214(2403F区間快速)2226大垣2309(372M快速『ムーンライトながら』【車内泊】)442東京

【3月5日へ続く】
私は1999年1月から全国の鉄道乗りつぶしを進めてきましたが、乗りつぶしも中盤戦に入り、地元・関西の路線を大方踏破してしまい、このまま日帰りで乗り鉄を続けても踏破率が上がりにくい状況に陥っていました。最終的には最北端の北海道から当時の最南端である九州まで全て乗りつぶさなければならないのですが、とりあえず効率的に踏破率を上げられるのは東京しかないと思い、数日間滞在して乗り鉄しまくろうと思いました。

そこで、3月4日の昼前に東加古川駅へ赴き、大垣発東京行きの『ムーンライトながら』の指定券を買いに行きました。一応、当日から順に照会してもらって、空席のある一番早い日の指定券を押さえようと思いました。そして、『みどりの窓口』で空席照会してもらったら、なんと、当日発でも空席が残っていました。6号車の一番前の座席で、足を伸ばせないのが辛いと思いましたが、窓側席をGETできて良かったです。自宅に戻った後は早速荷造りをして、この日は23時09分までに大垣駅に着くことだけを目的とした乗り鉄をしました。


自宅を出発したのは日が西へ傾いた16時15分頃。加古川駅で『青春18きっぷ』を呈示すると、駅員が「今から使用されるのですか?」と驚いた様子で私に問いかけてきました。『18きっぷ』は早い時間帯から使った方がお得感が強いきっぷです。駅員が不思議に思うのも分かります。私は「はい」と答え、『18きっぷ』の2回目の所にスタンプが押されました。加古川から大垣まで(218.6km)は、単純に片道で行っても1回当たり2,300円の『18きっぷ』でモトは取れるので(加古川~大垣の普通運賃は3,570円)、私は別にもったいないとは思いませんでした。

加古川駅の改札を抜けるとちょうど長浜行きの新快速が発車したところでした。私は『18きっぷ』のメリットを活用して、大垣とは逆方向の姫路行きの新快速に乗って終点の姫路まで行って、そして草津行きの3646M新快速(223系8+4連)の窓側席に座って終点の草津までゆったりと移動しました。やはり姫路は始発駅のメリットがあり、少し待っていれば必ず新快速でいい席が取れました(今は播州赤穂直通などが増えて以前ほど席をとりやすくはなくなりましたが…)。大阪からは車内は混雑しましたが、草津行きのせいか京都を過ぎると停車駅ごとに大勢の乗客が下車しました。そして19時03分に終点の草津に着きました。

草津駅ではすぐの連絡で大垣行きの796T普通電車(明石~高槻間快速)にのりかえ。車両は今や本線筋で希少になった113系の7+4連で、当時はJR東海の区間に乗り入れる大垣行きには必ず113系が使用されていました。逆に、大垣乗り入れ運用があるので113系が遅くまで本線快速で生き残っていたのでしょうか?
私は後ろ7両に乗り、座席を確保できたのでボックスシートに座っていたら眠気に襲われ、彦根発車時まで眠ってしまいました。そして、彦根発車時に車掌のアナウンスがあり、『前4両が大垣行きです。後7両は米原で切り離します』とのことで、慌てて7連の最前部まで移動しました。車内で4連へ通り抜けできなかったので(そうだったはず)、米原駅到着後に素早く4連に乗り移りました。4連はN40リニューアル車で、転換クロスシート主体の車内は意外とガラガラでした。私はもちろん窓側席に座りました。その後、後続の新快速が到着後は乗り換え客がぞろぞろとやって来ましたが、車内は座席が埋まる程度でそんなに混雑しませんでした。『18きっぷ』期間は昼間の方が混雑していると思います。

796Tは米原から230Fに列車番号を変え、真っ暗な中を走りました。山間部で景色が見えないので、また眠ってしまいました。何とか目を覚まし、無事に終点の大垣で下車できました。
しかし、この時点でまだ20時30分、『ムーンライトながら』の発車まで2時間半以上あります。全席座席指定なので寒いホームで待つ必要もありませんし、暇つぶしを兼ねて新快速に乗り継いで名古屋まで行きました。そしてホームのキヨスクでおにぎりを買ってベンチで食べ、もう一度キヨスクに寄って翌日の朝食用のパンを購入しました。

21時30分を過ぎ、そろそろ大垣に戻らなければなりません。たまたま乗った普通・岐阜行きの1121Fは名古屋では珍しい211系0番台の4連で、関東圏の211系と同じボックスシートでした。岐阜で区間快速に乗り継いで、大垣には22時26分に着きました。まだ発車まで40分以上ありましたが、ホームで待つことにしました。そして発車約10分前(だったと思います)に373系9連『ムーンライトながら』が入線してきました。私はすぐに車内に入り、網棚に荷物を置いて指定された席に座りました。乗車率は3割ほどで、おそらく名古屋で大量乗車があるのでしょう…。大垣発車後すぐに車内改札があり(あったと思います…記憶があいまいですみません…)、『18きっぷ』と指定席券を見せて、『18きっぷ』には翌日のスタンプ(3回目)が押されました。私はすぐに眠気に襲われ、名古屋に着くまでに深い眠りに落ちました…。

-------------------------------------------------------------

日付は変わり、3月5日になりました。

私は熱海停車時に目を覚ましました。すると、空席だったはずの隣席にいつの間にかものすごく酒臭いオッサンが座っていて、しかも頭や手をボリボリと掻きながらフケや角質をポロポロと落とし、しかも大きいいびきを響かせながら寝ていました。幸いフケなどは私と反対の通路側に落ちたのですが、酒臭さといびきはひどかったです。私は眠さの方が勝っていて「オッサン早く降りてくれ」と祈りながら眠りました。祈りが通じたのか、小田原でオッサンは下車しました。短時間で解放されたので助かりましたが、そういえば6号車は熱海から自由席になるのを後で知りました。空いた座席には、入れ替わりに小田原からの乗客が座りました。きっとこの人は何も知らないでしょう…。
私は起きて闇の中の車窓を眺めたり、また眠ったりしながら過ごし、372M『ムーンライトながら』は定刻の4時42分に終点の東京に到着しました。

イメージ 1
1996年撮影。

車内でしんどい思いをしましたが、とりあえず無事に東京にたどり着くことができ、ほっとしました。

(つづく)


今回の新規踏破路線はありません