「十種神器(とぐさたから)」について~【1】 | ひなさんのブログ

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皆さん、こんにちは。

今回は「十種(とぐさ)」についてです。

 

私は2021年は「十種神器(とぐさたから)」「たかま」に捧げようと思っています。

 

この二つは、人の健全なる生き方や、充実した幸福感、本当の罪の意識からの解放、そしてあなたは人という価値ある生き物だと言う事に気が付くための基本なのです。

 

一回では伝えきれる事柄ではありません。長いです・・・すみません汗

数回続きますがお付き合いくださいませ・・・牛

 

先ずは十種神器についてですドキドキ

 

 

「十種」は十の神器に示されていて、体のチャクラにも対応されています。

ヨーガのチャクラも十種で理解出来るのです爆  笑

 

現在の「十種祓詞」は、神社本庁が鎮魂方法として、石上神宮(いそのかみじんぐう)に伝わる鎮魂の行をお祓いとして読んでいる祝詞です。

 

神上神宮の十種祓詞は、古代から伝わる原文そのままでは無く、かなり手を加えられています。鎮魂そのものの意味や、十の神器の意味も、更に「十」の数えの意味さえ分からなくなっているのが現状です笑い泣き

 

ひふみ祝詞も、古代の祈詞と比べてみると、かなり改竄されています。

 

なぜ十個の神器が必要になったのか・・・

 

その神器の名前にはそれぞれの歴史上あった事件に基づいているのです。

 

それらの魔から逃れるための手段が十種祓いの基本です。

 

肝心の十個の神器の中で、かなり深い意味がある神器が「をろち領布(ひれ)」=(八)と「ははちしむ領布(ひれ)」=(九)の「領布」です。

 

八と九に当たるこれらの領布は強大な魔力を退治するための神器なのですが、この二つの領布の歴史上で起きた事件を理解する必要があります。

 

逆にこれを理解出来れば、人から来る誘惑や目に見えないマヤカシの魔にも引き込まれず、冷静に対処出来てしまうのです。

 

そして、十の神器の中で今の時代、最も重要な神器は「六番目」に当たる「千足玉(ちたるたま)」です。

 

またおいおい説明していきますが、とにかく十種の中で神器についての意味はかなり重要なのです。

 

つまり「十種神器」には、古代神代の時代に国の崩壊の危機の原因になった事件の真相が隠されています。

 

現在の新しく改竄された十種祓詞では、この意味が全く不明で、その上「饒速日(にぎはやひ)」というヒーローを用いて語られています。

 

以下、現在の十種祓詞です👇

 

高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以ちて皇神等の鑄顕はし給ふ 十種の瑞寶を 饒速日命に授け給ひ 天津御祖神は言誨詔給はく 汝命この瑞寶を以ちて 豊葦原の中國に天降り坐て 御倉棚に鎮め置て 蒼生の病疾の事あらば 茲十種の瑞寶を以ちて 一二三四五六七八九十と唱へつつ 布留部由良由良と布留部 かく為ては死人も生反らむと 言誨給ひし随まに 饒速日命は天磐船に乗りて 河内國の河上の哮峯に天降坐給ひしを 爾後大和國山邊郡布留の高庭なる石上神宮に遷し鎮め斎き奉り 代々其が瑞寶の御教言を蒼生の為に 布留部の神辭と仕奉れり 故この瑞寶とは 澳津鏡 邊津鏡 八握劔 生玉 足玉 死反玉 道反玉 蛇比禮 蜂比禮 品々物比禮の十種を 布留御魂神と尊み敬ひ斎奉ることの由縁を 平けく安けく聞食て 蒼生の上に罹れる災害及諸の病疾をも 布留比除け祓ひ却り給ひ 壽命長く伊加志八桑枝の如く立ち榮しめ常磐に堅磐に守り幸へ給へと恐み恐みも白す

 

 

本来の正しい十種の祈詞は、ハタレ退治に用いられた種々の祓いと、蘇りの振るの祈詞の祓いを併せて祝詞としています。

 

ハタレとは人間の心を失った者のことを指します。

 

十種祈詞の裏には、天照大神の側室であった二人の姫の話があります。

 

二人の姫たちはハタレにもなり、ついに最強の「大蛇(ヲロチ)」となってしまったのです。

 

出雲神話にもなった事件を少し説明したいと思います。

天照大神の弟君「ソサノオ」が、あろうことか天照大神の側室二人の姫の嫉妬心から生まれた女性の色気に騙され、兄を天皇の座から引きずり降ろそうとした事件。

 

ソサノオをそそのかし、ついには大蛇となった二人の姫の名は「モチコ」と「ハヤコ」といいます。

 

二人はソサノオに訴えます。

 

(自分たちは天照大神に相手をしてもらえず寂しい思いをしていること。天照大神は内宮「ホノコ」(瀬織津姫)に夢中だということ)

 

弟という立場のソサノオが、兄君でしかも天皇であられる天照大神の人間性を痛烈に批判し、なぜ平等に妻たちを愛さないのか。自分こそ天皇に相応しいと驕ったのです。

 

当時のソサノオは、天皇という中庸なお立場を理解していないのが分かります。

 

この事件は当時天皇であられた天照大神の存続に関わる一大事件でした。

 

そこで天照大神が弟ソサノオに「あめなるみち」という人として生きる道と、天皇家に生まれた血筋の役割を諭すのですが、これがまたソサノオのしゃくに障り、ついには食の糧の元である田畑を荒らし、畑に糞をまき散らし、傍若無人な振る舞いをしました。

 

ソサノオは力も強く男らしく、側室の女性すべてを分け隔てなく平等に愛せるのは自分だと主張しましたDASH!

 

そんな時、ついに重大な事件が起こってしまったのです。

 

ソサノオは、女性の仕事である織物場に馬を投げ込んで驚かせたのですグラサン

その際に機織機で反物を織っていた天照大神の内宮「瀬織津姫」の妹「ハナコ姫」は、投げ込まれた馬にびっくり叫びして機織り機についている杼(ひ)という尖った針の部位で心臓が刺さり、息が止まってしまったのですえーん

(後に瀬織津姫の祈りによって息を吹き返したはてなマーク合格

 

ウキペディアより 

現代の杼(ひ)

 

ソサノオは兄の内宮の妹を事故とは言え、一時手をかけてしまったのです。

皇室の皇子が人を殺しかけたのですから大変な罪ですダウン

 

殺されたハナコの姉「瀬織津姫」の必死の祈りで息を吹き返したので、十種の力がここに証明されたということでもありますドキドキ

 

(死人も甦るほどの霊力だということです)

 

瀬織津姫の祈りの結果、ハナコが生き返ったお陰で、ソサノオ尊はその後、死罪という一番重い罪を逃れましたが、皇室から追放され、出雲へ流罪になりました。

 

 

さて、一方で国津罪とは、ソサノオをそそのかした二人の姫(モチコとハヤコ)も同じく皇室から追放され、一度は九州での暮らしをさせてもらいました。

 

姉がモチコで妹がハヤコです。(瀬織津姫の妹「ハナコ」と間違えやすいので注意)

 

しかし姉モチコの生んだ男の子(タナキネ)が次の天皇世継ぎ皇子から落とされたことから、くすぶっていた恨みの種がついに噴火ドンッ

 

妹の生まれたばかりの女の子三人の乳飲み子を置き去りにし、姉妹も「ひかわ」、つまり現在の出雲方面へ向かいます。(ソサノオもモチコ・ハヤコも、ハタレの元シラビト・コクミも「ひかわ」に向っています。ソサノオがハタレを退治しますので、因縁とは恐ろしく縁が深いのですね~)

 

モチコ・ハヤコの二人は、国に対して不平不満の民衆たちに決起を呼びかけ、ついに自ら望んだ大蛇(ヲロチ)の姿になって国を崩壊させようと、とんでもない怨念を仕掛けて行きましたゲッソリ

 

 

さてそんな中、ソサノオ尊の改心に繋がる出雲神話でも有名な「八岐大蛇(ヤマタノヲロチ)ヘビ退治」があります。

 

大蛇になったハヤコと、罪を悔やんだソサノオとの再会でした。

 

ハヤコを自らの手で葬り、その後の各地で起こった内乱を完封したことで、ソサノオ自身の罪と皇室である血筋の一族としての祓いを行いました。。。

 

が・・・

 

最後にソサノオは一つだけミスを犯したのですあせる

 

それは、亡骸になったハヤコを不憫に思って情をかけてしまったのです。

 

ソサノオはハヤコをいつしか愛してしまっていたのでしょう。その愛は歪んでいたのですが・・・(現代で言えば不倫ですね)

 

ソサノオは大蛇の心となったハヤコの亡骸を不憫に思い、ハヤコを偲ぶ祈りの場を作ってしまったというわけです汗

 

これが私的には、島根県安来市にある「久米神社」の比婆山御陵が、ソサノオ尊がハヤコを弔った場所ではないかと推測しています。

 

実際に比婆山に祈りに行った時を思い出します。

 

もしもこの先にある御陵がイサナミを祀る場所でないなら、ここはハヤコを弔った場所ですね、と言い、本気で苦しんでいるハヤコを救いたいと思いました。

その姿を蛇から人に戻すには、姉のモチコの説得が無ければできないと叫び、その証拠を見せて欲しいと祈り鳥居の前で祈りました。

 

すると、山に入ったとたん降っていた大雨がピタリと止みました。

それから間もなく、急に鳥居の先の左側の開けた原っぱから、龍の同体のような太さで風が草の根を分けるように長い帯状を形どり、強風が吹きました。

 

強風の後は草が根から折れていて、まるで巨大な龍が這った後のようでした。

 

この時、私は(ああ、ついにモチコの龍神がハヤコを迎えに来たのだ。永い間、ここがイサナミさまの墓陵だと信じ込まれていたために、ハヤコはさぞ苦しかったでしょう。今からこの先にある墓陵に行き、正しい古代の音で十種を奏上しますね。)と・・・

 

あの世に逝った霊体は、生前の行い以上の評価をもらって弔いをされ続けると、その魂はやがて傲り高ぶり、祈りに来た者にさらなる高度な要求をしてきます。

 

ソサノオは自分を立ち返らせてくれた出雲に入る通り道であるこの場所に、ハヤコの亡骸を葬ったのかもしれません。その証拠とまでは言えませんが、「安来」(やすき)という地名が『ほつまつたゑ』に書かれています。「やすき」という地名から、この場所に八人姫たちの亡骸を八本の木の根元に埋めたのだという推測が出来ます。

 

八人の姫たちとは、村長の娘八人の内、七人までハヤコに殺され、残り一人はハヤコ本人で合計八人です。

 

ここから「ヤタノヲロチ」という八本の首の大蛇の意味があるのだと思います。亡くなった八人分の首なのです。

 

故に私の推察は、この出雲に近い方の島根県安来市にある「久米神社」の比婆山御陵がハヤコの墓陵ではないかと思うのです。

 

本来は人間の心を捨てた許されぬ罪の者、次はケモノとして生まれ変わり、人とは何なのかを学ばなければならない者を、人として扱って葬ったのですから、ハヤコは人の姿を借りてはいても、その魂は大蛇として再度生まれ変わったといいます。それが「イワナガ姫」です。

 

 

「十種」の祓いの種類から探って見えて来た元の元!!

 

これは絶対にスルーしちゃいけない!!

 

古代の事件だから、伝説かもしれないから、興味ないから???

 

いいえ、ダメですプンプン

 

穢れを壺の中に入れて封をしたとしても、誰かがその壺の中の切なる悲痛な声を聞けば、封印を開けてしまうでしょう。

 

私も皆さんも、その声を神や仏の諸仏だと信じて開けてしまった可能性があります笑い泣き

 

イサナミの御陵だと思っていた場所が、ハヤコの墓陵だったとか・・・

そんな場所は日本国中、多くあると思います。

 

今も歴史上の真実に近づくために、書き換えられた史実を分からずに信じてその封印の場に行き、必死に祈り続けているのかもしれません。

 

その壺の中には、古代から同じ気持ちになってくれる人間の肉体の器を待っていたのだとしたら・・・ゲッソリ

 

ついに怨念は祈りに来た者の体内に侵入しますゲロー

 

それを諸仏、善神の声だと信じている魔に入られた者が、他の者へと伝染させていきますチーン

 

こうして肉体を持つことを許されなかったハヤコのように、人として祀られたことで現代の人の体内に入り込み、行えなかった怨念や復讐を今も行っています。

 

ハヤコだけではなく、誰でもその種は持っています滝汗

 

これは現在進行形です!!

 

例えば経済では、現在の世界財団を作り上げ、この仕組みの枠から外れて生きることは不可能です。外れれば干されます。

 

世界では、欧米諸国のグループである民主主義を掲げた枠と、社会主義を掲げた枠の二つで競り合っています。

 

今経済界に君臨して支配している団体に、この地球の恵みを踏みにじらせていいのでしょうか?

 

このまま物質に縛られた欲望の世界が続ければ、この地球はどうなるのでしょうか?

 

宇宙の御祖神(みおや)が形作った「ひとかた」という人間の肉体に、「創造」「夢」「希望」「恵み」「尊重」「共助」「信念」「信頼」「祈り」などの神の愛の意志を入れ、私たちの祖先である原始人間たちを地上に降ろしたのです。

 

そして年月が経ち、あらゆる国々が誕生し、言葉も違えば食べ物も文化も価値観も異なるそれぞれの国々の者たちが、時には衝突しながらも譲り合い、互いを尊重し、信頼して新しい未来を切り開いて行きながら、心は神そのものであることを思い出す実験の場だと思っています。

 

あらゆる国の異なる文化や環境の中で助け合い学び合っていけるか、この次元の低い星でどのように信念を全うするかの実験の場だと思います。

 

今分岐点に居ます。

 

六から七へ渡れるのかの分岐点です。

 

新型コロナウィルスが世界中の経済を大変革させそうです。

 

だからこそ、人という仕組み、人の性質を理解する必要がある時が来たビックリマークと・・・

だから今年から十種に着手したいのです!!

 

コロナウィルスを減少させることは困難極まりませんね。

これを完全に撲滅させるには、先ず初めにコロナウィルスという性質を知ることですよね。そこからワクチンが生まれ、治療薬が生まれるのです。

 

ですから穢れという性質を知ることが大事なのではないでしょうかキョロキョロ

 

 

物質経済界を牛耳る者は、奴隷化した民衆に対して一番知ってもらっては困るのは「智恵」ですひらめき電球「真実の歴史」です。無智に気が付く発動スイッチの在処です。これが肉体の中にもあり、それを発することが出来るのです。

 

そして、支配する上層階級の人達が知ってもらいたくない事件の日本版が『ほつまつたゑ』にある難解の「シラビト・コクミ事件」なのだとも。

 

なぜなら、モチコとハヤコが大蛇になったきっかけが「シラビト・コクミ事件」だからです。

 

なぜ天照大神の側室になって、お子さんにも恵まれた二人が大蛇の心になってしまったのか?

 

それは二人が生まれた故郷の環境にありました。

その故郷で起きたのが「シラビト・コクミ事件」だったのです。

 

他人事ではありません。

女性であればモチコとハヤコのような女心の嫉妬心が生まれやすいですし、男性であれば出世と女が付いて回りますから、成り上がりたい欲も、一人では飽き足らない性欲も生まれやすいのです。

 

故にこの「シラビト・コクミ事件」が私たちが陥りやすい穢れの仕組みを悟る基本なのだと思います!!

 

「シラビト・コクミ」という者が犯した、誰でも犯す可能性のある人間の罪の原点なのです!!

 

ひらめき電球この事件について、わかりやすく皆さんに伝えられる方法を見つけましたので少々お待ちくださいドキドキブログでお知らせします。)

 

 

その罪を犯した時、人はどうなるのか・・・

 

先ず初めに霊性に傷が付きます。それから心身を貪ります。

(病気も原因の分からない痛みもこの現象です)

その罪や穢れのゴミは必ずいつか噴出して爆発し、やがては修正方向へと向かいます。

 

安心してくださいねラブラブ誰でも罪は犯すものなのです。

 

「罪」とは何なのか?

 

「をして」では罪という定義をしっかりと伝えています。

現在の私たちが意識している罪とは全く異なります。

 

特に「六」(む)の中で起こる罪の仕組みを知らなければ、自分をいじめたり、他者に当たり散らしたりするでしょう。

 

「なぜこの常識ある人がこんなことを起こすのか」

 

と世間は思うでしょう。

 

でもそれは自動的に起こる仕組みなので、ある一定ラインまで行ってしまうと、それはどうすることも出来ずに必ず起きてしまう現象なのです。

 

だからこそ十種の祓いがあるのです。

十種は罪・穢れに対しての対処法として、その種(根本原因)にある問題を解決する有効な優秀な薬なのです。

 

人としての性質や感情、それに伴う結果はすべて十の結果として現れます。

 

次回は十種に関係する「たかま」の説明と、十種神器を神武に渡した饒速日(ニギハヤヒ)の血筋の秘密について書いて行こうと思います。

 

今後もしばらくは十種絡みが続きますが、途中で発見がありましたら他のテーマも挟むかもしれませんがよろしくお願いいたします爆  笑

 

22日の講座の内容は、「十種の六から七へ行こう!!」的なセミナーで、面白いですのでお勧めしますよ~ひらめき電球爆  笑