9月に入っても、まだまだ残暑が続いているが、
夕方になるかならないかの時間から、虫の音 (ね) が聞こえてくる。
こちらは結構田舎なので、夜ともなれば、にぎやかなくらいに秋の虫の大合唱を聞くことができる。
あれはコオロギ、これはスズムシと聞き分けるのも楽しい。
秋の虫といえば、
『虫のこえ』という童謡がある。
子供の頃に歌ったことがある人も多いのではないだろうか。
この歌は、もとは文部省唱歌で、
明治43年 (1910年) に『尋常小学読本唱歌』(音楽教科書) に掲載されたのが初出。
当時の表記は『蟲のこゑ』。
『虫のこえ』も他の唱歌同樣、明治政府が欧米に負けない児童の音楽教育の普及をめざした経緯から、
当時の東京音楽学校 (現 東京芸大音楽学部) の教授たちを中心に集められた編纂委員が、合議制で制作にあたっていた。
したがって、作詞・作曲者名は非公表とされた。
100年以上前から児童たちに歌われてきた『虫のこえ』は、
1998年告知の『小学校学習指導要領』で第2学年の歌唱共通教材とされ、
現在も小学生たちに歌い継がれている。
なお、前述のような理由で当初、作詞者と作曲者の名前は伏せられていたが、
後年、研究者により、作詞者は詩人で童謡作詞家の林柳波 (はやし りゅうは)、
作曲者は東京音楽学校教授で作曲家の井上武士 (いのうえ たけし) と特定されている。
『虫のこえ』
文部省唱歌
(作詞∶林柳波 作曲∶井上武士)
(一)
あれマツムシが 鳴いている
チンチロ チンチロ チンチロリン
あれスズムシも 鳴き出した
リンリン リンリン リインリン
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫の声
(二)
キリキリキリキリ コオロギや
ガチャガチャ ガチャガチャ クツワムシ
あとからウマオイ 追いついて
チョンチョンチョンチョン スイッチョン
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫の声
(現代仮名遣いに変更済)
実は、初出の歌詞は若干違っていた。
二番の “コオロギ” は “キリギリス” だった。
だから、その鳴き声を “キリキリ” と表現して韻を踏んでいたのだ。
ところが、歌詞にあるキリギリスはコオロギを指す古語であり、
“キリキリ” という擬音もコオロギの鳴き声を表現しているとして、
1932年の『新訂尋常小学唱歌』では歌詞を “キリギリス” から “コオロギ” に改めた。
(キリギリスは “ギーッチョン” という鳴き方)
このエピソードが示すように、
昔はコオロギをキリギリスと呼んでいた。
清少納言が書いた『枕草子』“あはれなるもの“ の段に次のような一文がある。
“九月つごもり、十月朔日の程に、唯あるかなきかに聞きつけたる蟋蟀 (きりぎりす) の声”
(現代漢字・仮名遣いに変更済)
【現代語訳】
“九月の末日、十月一日の頃に、ただあるか無いかほどに聞くことができたキリギリスの鳴き声 (がしみじみとしている)”
清少納言は平安時代の人。
当時は旧暦なので “九月の末日〜十月一日” といえば、現在なら10月下旬か11月上旬にあたる。
キリギリスは真夏に鳴くので、この時期に清少納言がかすかに聞いたのは、
コオロギの鳴き声だったと考えられている。
また、江戸時代に松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅で訪れた加賀国の小松で詠んだ句
“むざんやな 甲 (かぶと) の下の きりぎりす”
この句は、篠原の合戦で討たれた斎藤実盛の甲冑が奉納されている多太神社で、
哀しい伝承のある甲冑の下で秋の虫が鳴く情景を詠んだもの。
芭蕉が多太神社を訪れたのは旧暦の7月26日、現在の暦では9月10日頃。
この句に出てくるキリギリスも、コオロギだったと言われている。
こういった学術的な考証を交えて作られた『虫のこえ』。
一見 (一聞?) 子供向けだが、決して子供を舐めていない。
新しい時代の音楽を作ろうと奮闘した明治の文化人たちの意気込みを感じる。
ちなみに『枕草子』には、コオロギのことであるキリギリスのほか、マツムシやスズムシも出てくる。
紫式部の『源氏物語』にもマツムシは出てくる。
秋の虫はその鳴き声から、昔も人々に愛されていたようだ。
ところが、この時代のマツムシはスズムシのことで、
スズムシがマツムシだったという説がある。
時代とともに虫の名前が入れ替わってしまったというのだが、
これについては、話が大変ややこしくなるので詳細は割愛したい。
そんなことを知るよしもなく、虫たちは鳴いている。
今夜も秋の虫ちちが奏でる音色に耳を傾けてみよう。
※現在リリースされている音源には、
二番の歌詞が初出の “キリギリス“ のものと、新訂版の “コオロギ” のものの2種類が存在する。