蘇州夜曲 | サト_fleetの港

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広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


“日本ポップスの父” といわれる服部良一。
彼をモデルにした人物が朝ドラに登場していることもあり、
今あらためて注目されている。

  
 ※服部良一


服部良一は、明治40年 (1907年) に大阪市に生まれた。
幼少期から音楽の才能を発揮して地元の少年音楽隊に所属したのをはじめ、
大正15年 (1926年) には、大阪フィルハーモニック・オーケストラで第2フルートを担当。
ここで服部は、指揮者の亡命ウクライナ人音楽家エマヌエル・メッテルに見出されて4年間指導を受ける。

昭和8年 (1933年) に上京すると、人形町のダンスホールでバンドリーダーを務めるなどした後、
昭和11年 (1936年)、日本コロムビアの専属作曲家となる。
コロムビアでは、当時シャンソン歌手として知られていた淡谷のり子の声を聞いて
「彼女に日本のブルースを歌わせたい」
と作曲した『別れのブルース』(作詞は藤浦洸) が昭和12年 (1937年) の大ヒット曲となり、
淡谷をスターダムにのし上げるとともに、服部に一流作曲家の仲間入りをさせた。

『別れのブルース』のあとも、服部はジャズ・ブルースをベースにした曲づくりに励み、
戦前・戦中・戦後にかけて数々のヒット曲を生み出すことになる。
『湖畔の宿』(作詞:佐藤惣之助、歌:高峰三枝子)、
『東京ブギウギ』(作詞:鈴木勝、歌:笠置シズ子)、
『青い山脈』(作詞:西條八十、歌:藤山一郎・奈良光枝)、
『銀座カンカン娘』(作詞:佐伯孝夫、歌:高峰秀子) 、
等々・・・
それらは、いずれも時代を代表する名曲となっている。


数多い服部良一ナンバーの中に『蘇州夜曲』(作詞:西條八十) がある。
『蘇州夜曲』は、昭和15年 (1940年) に公開されて大ヒットした東宝映画『支那の夜』の劇中歌で、
映画の中で、ヒロインの李香蘭 (りこうらん)※注釈1 が歌っていた。
映画の中では李香蘭が歌っているが、
日本コロムビアから発売された『蘇州夜曲』のレコードは、渡辺はま子と霧島昇のデュエットになっていて、映画同様大ヒットした。

※李香蘭


ここで『蘇州夜曲』を語る前に、それが歌われている映画『支那の夜』について若干の説明を加えなければならない。
『支那の夜』は、もともとは昭和13年 (1938年) に発売された渡辺はま子の歌だったが、
曲のヒットにより東宝が映画化した。

映画の舞台は当時の上海。
日本と中国の戦いは中国全土に拡大し、
“東洋のパリ” と呼ばれた国際都市上海も、戦争が色濃く影を落としていた。
ここで、長谷川一夫演じる日本人船員の長谷と、李香蘭演じる中国人娘桂蘭のラブストーリーが展開する。
当初、桂蘭は長谷に窮地を救われたにも関わらず、日本人に激しい敵意を見せる。
桂蘭の両親は、日本軍と中国軍の戦闘の巻き添えになって死んだのだ。※注釈2
長谷は抱擁力のある男で、時には優しく時には厳しく桂蘭に接する。
やがて桂蘭の警戒心も解け、二人に恋が芽生えるが、
実は桂蘭は抗日組織の元活動家だった。
映画の後半は、銃撃戦もある緊迫したシーンが展開し、長谷の身は危険にさらされる。
果たして、長谷と桂蘭の恋の行方は?
あらすじは、ざっと以上のようなもの。

※映画『支那の夜』より
長谷川一夫と李香蘭


この物語は、上海の共同租界を中心に描かれている。
租界とは外国人居留地で、行政自治権と治外法権を持つ。
上海にはフランスの租界と、イギリス、アメリカ、日本などの居留地をまとめた共同租界があった。
映画の中でも、街には英語の看板があふれ、中国の歌とアメリカのジャズが混在して流れる。
ロンドンにあるような2階建てバスが走り、バグパイプを演奏しながらスコットランド兵が行進したり、和装の日本人が歩いていたりする。
当時の共同租界の様子がよく描写されている。

※上海の共同租界
日本人が居住した虹口 (ホンキュ)
地区はこの北部にあった。


租界の中心部には、デパートやホテルなどの西欧建築が建ち並び、
主人公も日本人が経営するホテルを定宿にしている。
そのホテルは宿泊するだけでなく、租界に住む日本人のサロンのようになっているようだ。
そこには、本国と変わらぬ生活があった。
いや、物資の統制が始まっていた日本国内より豊かだったかもしれない。
酒、タバコ、コーヒーなどの嗜好品から、舶来の時計、宝石、ドレス等、贅沢品もふんだんにあった。

一方、抗日組織のアジトがあるダウンタウンは、
質素な身なりの中国人が行き交い、猥雑で混沌とした雰囲気が漂う。
欧米や日本の租界との差が際立つ。

※映画『支那の夜』より


この映画は長谷が日本を、桂蘭が中国を体現していて、日本が中国融合の民意を取り込む目的で作られた国策映画だという意見があるが、私は違うと思う。
制作に国や軍は関わっていないし、劇中に日本軍も一切登場しない。
それは、東宝が海軍の全面協力で制作した同じ上海を舞台にした映画『上海陸戦隊』(1939年) と比べれば明らかだ。
『上海陸戦隊』は、第二次上海事変に出動した海軍特別陸戦隊をセミドキュメンタリータッチで描いており、
ストーリーも概ね日本の正当性を強調する軍部の主張に沿っていた。

※映画『上海陸戦隊』より


『支那の夜』の方は第二次上海事変の1〜2年後を描いているが、
上海ロケで撮ったシーンで爆撃の跡とみられる廃墟が出てきたり、
抗日組織のメンバーの台詞に、日本軍が拷問を常套手段にしていることを示唆する部分があったりと、戦争の酷 (むご) さを隠していない。
むしろ、反戦映画ではないかと思わせるほどだ。
東宝としては、ハリウッド映画ばりのスケールの大きなラブストーリーを描きたかっただけだと思う。
そのためか、主演の長谷川一夫は、劇中でハンフリー・ボガートのように帽子を被り、頻繁にタバコをくゆらせる。
なお、この映画には、服部良一の妹である元タカラジェンヌの服部富子※注釈3 も出演している。


さて、前置きが長くなってしまったが、
劇中歌の『蘇州夜曲』は、長谷と桂蘭が蘇州の町を訪れるシーンで、桂蘭役の李香蘭が歌う形で流れる。
(蘇州は上海の西に隣接する古都で、水郷としても知られる)
西欧音楽の影響を受けた服部には珍しく、この歌は中国音楽風の静かなメロディーになっている。
それは繊細で美しくもあるが、もの悲しくもある。
恋の歌なのだが、映画に描かれたように、
戦争で反目し合う民族感情に揺れる愛を表現しているからだろうか。
ある意味、悲恋の歌なのかもしれない。

戦後もこの歌を歌った歌手は多く、
美空ひばり、奥田民生、石川さゆり、桑田佳祐、平原綾香、小田和正、高畑充希ほか多数のアーティストがジャンルを超えてカバーしている。
『蘇州夜曲』こそ、時代を越えて生き続ける不朽の名曲なのかもしれない。







【注釈】
1.  第一次上海事変 (1932年)、第二次上海事変 (1937年) と、上海の利権をめぐって日本軍は二度にわたって中国軍と戦闘を交えた。
市街戦を含む戦闘は両軍に多くの戦死傷者を出したが、巻き添えになった民間人の犠牲も多く国際問題になった。
この後、戦火は中国大陸全土に拡大した (支那事変=日中戦争)。
※上海市街に展開する日本海軍陸戦隊

2. 本名 山口淑子 (日本人)。
父親が満鉄に務めていた関係で満洲に育ち、親しい中国人から付けられた中国名を名乗ってそれが芸名となった。
興行的に中国人女優と偽って日中両国で活躍したが、戦後は本名で芸能活動を続け、
昭和49年 (1974年) に参議院選に出馬して当選、3期連続参議院議員を務めた。

3. 服部富子は歌手で女優。
昭和13年 (1938年) にテイチクレコードから出した『満州娘』が大ヒットした。
ちなみに、服部良一の息子克久と孫隆之はともに作曲家。