鬼畜米英 | サト_fleetの港

サト_fleetの港

ブログで取り上げる話題はノンセクションです。
広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。

今年の12月8日で、真珠湾攻撃から80年になる。
昭和16年 (1941年) のこの日、
日本軍がハワイ真珠湾 (パールハーバー) のアメリカ太平洋艦隊を奇襲して太平洋戦争が始まった。



これにより日本は、それ以前から続いていた中国との戦いに加え、
アメリカ、イギリス、オランダ※注釈1 などとも戦うことになった。
しかし、考えてみれば、
日本にとってアメリカやイギリスは、決して昔からの敵ではなかった。

日露戦争 (1904年) の際は、日英同盟に基づきイギリスからロシアに圧力をかけてもらったり、
アメリカの斡旋により、ポーツマスで講和会議が開かれた結果、日本有利の形で戦争を終わらせることができた。
第一次世界大戦 (1914年―1918年) では、日本もイギリスやアメリカとともに連合国側に立ってドイツと戦った。

それから20年ほどで袂 (たもと) を分かって大戦争を始めるのだから、
国際情勢とは、各国の思惑がからんで目まぐるしく変わるものだと痛感する。


1930年代後半から、
アメリカは、中国大陸での軍事活動を活発化させる日本を警戒して、石油や鉄などの鉱物資源の対日輸出を禁止する制裁措置をとっていた。
日本は当初、外交交渉によって事態を解決しようとしたが、
アメリカが交換条件として、日本の中国大陸からの撤兵を強く要求したため、交渉は決裂した。

このため日本は、広く南方方面に陸海軍部隊を展開し、
欧米列強の植民地を奪取して、その豊富な地下資源を獲得しようとしたのだった。



真珠湾攻撃が “だまし討ち” だとするアメリカでは、攻撃のあった直後から怒りを込めて
“リメンバー・パールハーバー” や “キル・ジャップ” 
といった言葉が飛び交っていた。

※真珠湾攻撃を伝えるアメリカの号外。

※“リメンバー・パールハーバー” の
タイトルが付いたニュース映画。

雑誌『LIFE』(1941年12月22日号)
掲載された記事にも “リメンバー・
パールハーバー” の文字。

※“リメンバー・パールハーバー” 
という歌まで作られた。


こういった傾向は日本でも同様で、
開戦と同時に日本国内では、
アメリカ、イギリスに対する国民の敵愾心を煽るため、数々のスローガンが作られた。
その中で最も有名なのが 
“鬼畜米英” (きちくべいえい)  
である。

アメリカやイギリスは、鬼や畜生に等しいというこの言葉は、
よく映画やドラマの中にも出てくるので、ご存知の方も多いと思う。

では、
最近の例を見てみよう。


■連続テレビ小説
『カムカムエヴリバディ』(2021年後期) 

安子 (上白石萌音さん) の嫁ぎ先で、
息子二人を召集されて精神的に不安定な義母 美都里 (YOUさん) が、
アメリカ軍の空襲を伝えるラジオに向かって「鬼畜米英!」と絶叫するシーン。


※『カムカムエヴリバディ』第16回より。


■連続テレビ小説
『花子とアン』(2014年前期) 

英文学の翻訳家 花子 (吉高由里子さん) の家に押しかけた国防婦人会のメンバー雪乃 (壇蜜さん) が、
花子の蔵書を「鬼畜米英の本」と非難するシーン。


※『花子とアン』第143回より。


YOUさんや壇蜜さんの口から「鬼畜米英」という言葉を聞くとは思わなかったが、
それはさておき、
鬼畜米英という言葉は
太平洋戦争中、アメリカやイギリスを卑しめるプロパガンダの一環として広く使われた。

※“鬼畜米英” の語を冠した書籍。
(大日本産業報国会編)


太平洋戦争も後半になってくると、
日本軍の主たる敵はアメリカ軍に絞られてきたため、
“鬼畜米英” のほか、“鬼畜米国” “米鬼” などの使われ方もした。
そして、
日本軍の敗色が濃くなるにつれ、
さらに直接的な表現でアメリカを罵るようになっていく。

※“鬼畜米国” の見出し (右下) が躍る
『アサヒグラフ』(昭和19年3月1日号)。

現代だったら絶対に大出版社が活字
にしないようなフレーズも。
(『主婦の友』昭和19年新年号)


たしかに、
アメリカ軍の無差別空襲によって、日本の多数の民間人が死んだことを考えれば、※注釈2
アメリカは鬼畜と言われても仕方ないかもしれない。
だが、戦地で捕虜になった日本兵や保護された民間人に対する対応は、
少なくとも、日本軍の連合軍捕虜に対するそれよりは、はるかに紳士的で手厚かった。


日本では、太平洋戦争以前から続いていた中国との戦いにおいても、
対中国スローガンとして
“暴支膺懲” (ぼうしようちょう)
という言葉が使われた。

これは、昭和12年7月に起こった盧溝橋事件の頃から頻繁に使われ始めた。
意味は、“横暴な中国を懲らしめろ” というものである。
同事件は、北京郊外の盧溝橋付近で演習中の日本軍部隊に、中国側から射撃があったと伝えられている。

※現在の盧溝橋。
(かつてマルコ・ポーロ訪れ、西欧
ではマルコ・ポーロ橋と呼ばれる)


また、
それ以降、中国に駐留する日本軍に対するテロが頻発し、北京近郊では在留邦人多数が虐殺される通州事件※注釈3 が発生した。
そのことが報じられると、日本国内の “暴支膺懲” の声が一気に高まった。

この風潮に後押しされる形で、
日本は、在留邦人保護や中国における権益を確保する名目で、さらに大規模な派兵を行い、
戦火は中国大陸全土に拡大していった。
後に発生した日本軍の南京虐殺事件などは、通州事件の報復の要素があったとの説もある。

これは、中国側から見れば侵略行為であり、
中国の人々は、日本軍や日本人のことを、
“日本鬼子” (リーベングイズ)
と呼んで蔑 (さげす) み、憎悪し、徹底抗戦で対抗した。
もはやこうなると、
憎しみの連鎖、暴力の応酬である。

中国大陸の戦いは長期化、泥沼化し、
それがやがて、太平洋戦争につながっていく。
そして日本は、壊滅的敗北を迎えるのである。



時は移り現代、
もはや、「リメンバー・パールハーバー!」「鬼畜米英!」と罵り合う時代ではなくなったが、
相手がどこの国や勢力であれ、
今後、このような言葉がスローガンで使われる事態にならないよう祈りたい。

やっぱり、平和はいい。



【注釈】
1. オランダは1940年にドイツ軍に占領されたが、オランダ領インドシナ (現在のインドネシア) などの植民地が残っており、軍隊が駐留していた。

2. B29爆撃機などによるアメリカ軍の日本本土空襲では、資料によって差があるものの民間人30~50万人が死亡したとされる。

3. 北京の東30kmほどのところにある通州で起きた事件。
日本が占領地の治安維持のため育成した中国人保安部隊が反乱を起こし、
日本人居留地を襲って、日本守備隊と女性や子供を含む民間人200名以上を、言語に絶する手口で虐殺した。
終戦直後に満州の通化で、抑留中の日本人数千名が共産軍に虐殺された通化事件と、名前が似ているので混同されやすい。


【おことわり】
本ブログで使用しました写真は、
国立国会図書館デジタルコレクション、探検コムなどの関連サイトより引用させていただきました。