アメリカ本土攻撃 | サト_fleetの港

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広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


アメリカと中国の関係がにわかに悪化している。

トランプ大統領は、新型コロナウイルスによる被害を、中国の責任と断定して報復に出る気配だ。

アメリカの新型コロナウイルス肺炎による死者は8万5千人に達し(日本時間5月15日時点)、ベトナム戦争の戦死者5万8千人をはるかに超えている。
アメリカがベトナム戦争に参戦していたのは、1961年から1973年までの12年間だが、
新型コロナウイルスの感染流行はここ3ヵ月ほどのことだ。
しかも、ベトナム戦争ではアメリカ本土が戦場になることはなかった。

トランプ大統領にしてみれば、
アメリカ国内の新型コロナウイルスの感染拡大は、中国から生物兵器(細菌・ウイルス兵器)で攻撃されたに等しい深刻で甚大な被害と感じているのだろう。

※ベトナム戦争でのアメリカ軍。


この状況について、
トランプ大統領は先日のコメントで
「真珠湾攻撃や9.11テロよりひどい」
と憤っていたが、
引き合いに出した日本軍の真珠湾攻撃は本土ではなくハワイだったし、9.11は国家間の戦争ではなくテロだった。

歴史上、アメリカ本土他国の軍隊から本格的に攻撃されたのは、米英戦争(1812-1815年)だといわれている。
この戦争で、ニューオリンズや首都ワシントンがイギリス軍の攻撃を受けたことから、
これが、外国軍による初のアメリカ本土攻撃とされているのだ。

とはいえ、
あれはアメリカがイギリスの植民地から独立して間もなくで、まだ領土も東海岸など北米の一部に限定されていた頃の話。
北米大陸中西部の先住民の住む広大な土地や、イギリス領カナダに領土を拡張しようとしたアメリカと、それを阻止しようとしたイギリスの戦いなので、
他国からの攻撃というより、北米大陸統一を目指すアメリカの、日本でいう戦国時代のような戦いのイメージだったと思う。

※米英戦争の激戦地メリーランド州
のフォート・マクヘンリー。
(アメリカ国家 “星条旗” 誕生の地)


では、厳密な意味でのアメリカ本土攻撃(侵攻)は過去において行われたことがあるのだろうか。
実は、あまり知られていないが、
太平洋戦争中、日本海軍の潜水艦が、アメリカ西海岸を攻撃したことがある。

昭和16年(1941年)12月8日の真珠湾攻撃により開始された太平洋戦争の初頭、
日本海軍の伊号潜水艦約10隻が、アメリカ西海岸沖の太平洋において、通商破壊作戦に従事していた。
その主要任務は、航行する商船を攻撃してアメリカ沿岸の海上輸送路を混乱させることにあった。
(翌年上旬までに貨物船やタンカーなど合わせて10隻を撃沈ないし大破させ、その総トン数は約6万5千トンにおよんだ)
 
それに加えて、
これらの潜水艦が、アメリカ本土(陸上)を攻撃することもあったのだ。

※日本軍潜水艦による攻撃対象地域。
(アメリカ西海岸)


昭和17年(1942年)2月23日の日没後、
通商破壊作戦にあたっていた日本軍潜水艦のうち『伊17』が、浮上してカリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド製油所に艦砲射撃を行った。
私は、これが実質的な外国正規軍によるアメリカ本土への初攻撃だったと考える。

『伊17』の14センチ砲から発射された17発の砲弾は、目標からそれるか命中しても不発弾だったため、さしたる損害を与えることはできなかったが、
この攻撃がアメリカ政府や軍および市民に与えた影響は大きかった。

※カリフォルニア州サンタバーバラ砲撃の図
(海軍の従軍画家 御厨純一の絵)
この出来事をモチーフに制作されたのが
スピルバーグの映画『1941』である。


日本軍の攻撃に気付いたアメリカ軍は、ただちに緊急配備についた。
アメリカ西海岸一帯で灯火管制が行われ、ラジオ放送も休止された。

翌24日夜にはこの警戒体制はいったん解除されたが、
25日午前1時過ぎ、今度はアメリカ陸軍の防空レーダーが、ロサンゼルス西方から飛来する日本軍機と思われる多数の飛行物体を探知した。

この赤く光る数十個の飛行物体は、午前3時頃にはロサンゼルス周辺で目視できるまでに接近し、空襲警報のサイレンが鳴り響いた。
多くの兵士や市民が目撃する中、沿岸砲兵隊は対空射撃を開始。
この様子は、CBSなどのラジオ局により緊急放送された。

対空射撃はサーチライトを照射して午前4時過ぎまで続けられ、
発射された高射砲弾は1500発におよんだ。
アメリカ陸軍航空隊のP40戦闘機も迎撃に飛び立ったが、日本軍機と思われる飛行物体を捉えることはできなかった。

やがてこの飛行物体はレーダーからも人々の視界からも消え去った。
この騒動で、ロサンゼルス市内では、高射砲弾の破片に当たって市民3人が死亡したほか、
落下した高射砲弾の破片が、多数の住宅や自動車に被害を与えた。
騒ぎに驚いて心臓マヒを起こしたことによる死者も3人出た。

※当日の混乱を伝えるロサンゼルスタイムズ。


しかし、この期間に日本軍の航空機がアメリカ西海岸上空を飛行した記録はなく、
日本軍機と思われた謎の飛行物体の正体は、観測気球を見誤ったのだろうとか、戦後にはUFOだったのではないかといった憶測まで飛び交った。
いずれにしろ、
最初の『伊17』によるサンタバーバラの製油所攻撃が、
開戦以来、日本軍が攻めて来るのではないかと怯えていたアメリカの人々をパニックに陥れたことは間違いなかった。


日本軍潜水艦によるアメリカ西海岸への攻撃は、この後も断続的に行われた。 
同年6月20日、潜水艦『伊26』がカナダのバンクーバー島エステバン岬にあるカナダ軍無線基地を砲撃。
翌21日には『伊25』がオレゴン州アストリアのフォート・スティーブンス陸軍基地を砲撃。
いずれも、着弾地点がずれるなどして被害はほとんどなかった。 

※伊号潜水艦の14センチ砲。


また、9月9日と29日には、
『伊25』に搭載された水上機(零式小型水上偵察機)により、オレゴン州ブランコ岬の森林地帯への焼夷弾攻撃が実施され、小規模な山火事を発生させた。
これは、後にアメリカ軍が日本本土に行った徹底的な戦略爆撃に比べれば微々たるものであるが、
紛れもなく、アメリカ本土に対して実施された日本軍の初空襲であった。
(最初にして最後になった)

※水上機を発進させる潜水艦『伊25』。
(想像図)

※零式小型水上偵察機。
(潜水艦搭載用に開発された水上機で
『伊25』にも搭載されていた)


アメリカ軍は、完全に戦局が優勢に転じた後も、日本軍のアメリカ本土侵攻に対する警戒体制を解除しなかった。
それは、アメリカの全沿岸部での哨戒・防空活動の強化、サンフランシスコやサンディエゴなど重要港湾への機雷敷設や防潜網の設置などのほか、
西海岸各都市での防空壕設置と避難訓練の実施といった念の入れようだった。

また、これらの都市では、映画館やナイトクラブの夜間営業を禁止し、市民への防毒マスクの配布なども行われた。
(このあたりは、コロナウイルス感染防止のため、一部業種の営業自粛を要請したり、国民にマスクを配った某国のやり方が似ている気がする)


たしかに、敵の侵攻に備えて徹底した対策を講じるのは大事なことだと思う。
だが、
日本軍潜水艦による西海岸攻撃によるアメリカ側の損害は軽微で死者も出ていない。
一方、先述の “幻の日本軍機来襲” に対するパニックでは、市民に6人の死者を出している。
皮肉なことに、
パニックの被害の方が、実際の攻撃による被害より大きいのである。

“正しく恐れる” という言葉がある通り、
戦争でもコロナウイルス対策でも、恐怖心からくるデマや誤認でパニックになることだけは、絶対に避けねばならない。
何事も冷静に対処することが、被害を最小限に食い止めることにつながる。

日本軍潜水艦によるアメリカ本土初攻撃は、
そのことを証明する貴重な例ではないだろうか。