デザイン化された物語 | サト_fleetの港

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ブログで取り上げる話題はノンセクションです。
広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


呉服の文様に、吉祥文様という縁起のよい文様があるように、

日本の伝統的な文様や柄 (がら) には、いろいろな意味が込められている。

これは、日本古来のデザイン全般にいえることのようだ。 

たとえば、花札の絵柄。
花札は その名の通り、花や植物の絵が描かれており、その組み合わせで点数が決められている。
最終的に、自分の持っている札 (カード) と相手の札の優劣を比べて勝敗が決まるわけだが、
それゆえ、各札の絵柄は 他の札と明確に識別でき、また印象に残るデザインとなっている。
これは、最初のものから徐々に時代を経て、その時々の文物を取り入れながら進化してきたと思われる。

その中の一つ “柳に小野道風” の札。



平安時代の貴族 小野道風 (おののとうふう) と柳と蛙が描かれたこの図。
ご存知の方も多いと思うが、これは、小野道風にまつわる あるエピソードを描いている。

小野道風は “三蹟” と呼ばれた藤原佐理や藤原行成らと並び称される書道の達人だったが、スランプに陥った時もあったようだ。

ある雨の日、

落ち込んでいた道風が、しだれ柳の枝に飛びつこうと何度も必死にジャンプを繰り返す蛙を見て、
自らの努力の足りなさを恥じ、再び書の精進に励んだという逸話が残っている。
それをモチーフにしたのが、この花札の絵なのである。

また、別の花札の絵にこんなのがある。



八橋 (やつはし) と菖蒲 (実際は カキツバタ) の図。
これは、有名な在原業平 (ありわらのなりひら) の作と伝えられる伊勢物語の中のエピソードに由来している。

そのエピソードは こうだ。
業平がモデルと思われる都落ちする貴族の一行が、三河の八橋の地にさしかかった際、
水辺に群生する杜若 (カキツバタ) を見て、都に残してきた愛しい人を想って和歌を詠んだ。
この有名な伊勢物語の “東下り” の1シーンがモチーフになっている。

この同じ場面を、尾形光琳が描くと こうなる。

※八橋図屏風 (部分)


また、
同じ土地を、葛飾北斎が描くと こうなる。

※諸国名橋奇覧   三河八橋の古図


光琳や北斎の時代 (江戸時代) には、この八橋は もうなかったといわれているので、
二人とも、古くから絵のモチーフとされてきた三河八橋を想像して描いたようだ。
当時の日本の絵や版画は、実際の風景を写実的に描いたものではなく、古典や言い伝えに題材をとった想像上のものが多かった。
“歌枕” のような一つの伝統的なデザインがあって、それをモチーフにして絵を描く絵師の系統が主流だったようだ。

これがさらに変化・発達したものとして、花札の絵柄の中にも、昔の物語を図案化し、一つのパターンにしたものが存在するのであろう。
何気ない昔のデザインを見て、そこに秘められた いにしえの物語に想いを馳せるのも楽しいではないか。