“あいつが 噂の紋次郎” ~『木枯し紋次郎』概論 ① ~ | サト_fleetの港

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広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


まぶかに被った三度笠は、

雨と風にさらされて黒っぽく変色している。

紺色の道中合羽は、泥水でもあびたようなシミが広がり、塵と埃を吸いとって細い縞(しま)は、かすかにその名残りを留めているにすぎない。



汚れて雑巾のようになっている手甲(てっこう)と脚絆(きゃはん)。



腰に急角度で落とし込んでいる長脇差の鞘(さや)は錆朱色で、
鉄環と鉄鐺(こじり)で固めてある。

大きい鍔(つば)がズシリと重そうで、これだけが身なりに相応しくない値打ち物の感じである。 



そして、口にくわえた長楊枝をヒューと鳴らすと、
それは、木枯らしの音のように、もの哀しく響くのであった。

その渡世人の名は、
木枯し紋次郎。

       


しかし、紋次郎は自ら “木枯し紋次郎” と名乗ることはない。

「ひと様に名乗れるような名前なんぞ、持ち合わせておりやせん」
などと言うのが常だが、
正式に名乗らなければならない場では、
「上州無宿 紋次郎と申しやす」
と言う。

紋次郎は、上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれたが、
貧しさのあまり、実の親に間引き(口減らしに子供を殺すこと)されそうになったところを、あやうく姉に救われる。

この不幸な生い立ちのせいか、紋次郎は十歳の時に家を飛び出し、無宿渡世の世界に入った。
無宿渡世とは、特定の親分衆の下に属することなく、裏街道を渡り歩くアウトローの世界であり、最低限の渡世の掟以外は、無法と非情が支配する世界である。

そんな無宿渡世を生き抜く紋次郎は、基本的に誰も信用しないし、誰にも頼らない。
頼れるものは ただ一つ、おのれの腕と腰のドス(長脇差し)のみである。



一人旅の紋次郎は、身の回りの たいがいのことは自分で行う。

裁縫も お手のもの。



また、あてのない旅にも関わらず、
飯を食うのが、えらく早い。



汁も おかずも飯碗にぶっ込み、箸でかき混ぜると、一気に口に流し込む。
これで、紋次郎の一回の食事は終わりである。



紋次郎が、いつしか すご腕の渡世人として知られるようになると、加勢を依頼してくる者が現れるが、
紋次郎は一切 受け付けない。

       


「あっしには、関わりのねえこって」

虚無感の漂う表情で そう答えると、
足早に その場を去っていく。

そんな、渡世の義理に とらわれないクールな紋次郎だが、
血も涙もない冷血漢というわけではなく、つい関わってしまうこともある。

どんな場合かというと、

不本意ながら作ってしまった義理を返さねばならない時。



死んでしまった相手との生前の約束を守ろうとする時。



自分の過去を見るような不憫な子供を救わねばならないと思った時。
などである。



だが、関わった先に待ち受けているのは、どす黒い陰謀や罠の数々。

紋次郎の腕を利用しようとする者や、名の知れた渡世人である紋次郎を倒して、自らの名を上げようとする者たち…

そんな時、
紋次郎は、心の底から沸き上がる怒りを込めて、腰のドスを抜くのである。

       


挑みかかってくる敵に対して、
紋次郎の 情無用の刃(やいば)が襲いかかる。



闘いに勝っても、
紋次郎の心が晴れることはない。

そして、
紋次郎は また、
あてのない旅を続ける。

孤独をいやして  さすらう旅か
愛を求めて  さまよう旅か

後ろ姿が  哭 (な) いている



あいつが  木枯し紋次郎。






※以上、動画は『木枯し紋次郎』第1シーズン第3話「峠に哭いた甲州路」より。 

注)下の動画タイトルが「新木枯し紋次郎ED」となっているが、誤りで、正しくは “第1シーズン”(1972-1973年 フジテレビ版) の『木枯し紋次郎』からのもの。
『新木枯し紋次郎』は、1977-1978年テレビ東京で放送したもの。