発表会を通して感じたのは、 「子どもだけの意見で進める難しさ」でした。 子どもたち自身も、戸惑っているように見えました。 主体性の土台が育っている子どもたちなら良いのかもしれません。 でも、これまで集団の中で一斉保育を経験してきた子どもたちに、突然「自分たちの好きなようにしていいよ」と言っても、難しい部分があるように感じました。

 “好きなようにする” が、 「嫌なことはしない」に繋がってしまう怖さもあると思います。 これまで園の取り組みを通して感じたのは、 “嫌なことをしない”

“好きなことだけする”=主体性 ではないということでした。 もちろん、NOと言える力は大切です。

 でも、NOと言えるためには、自分の気持ちを支える強さや、安心できる土台が必要ではないでしょうか。 良し悪しを考える力、 失敗から学ぶ経験、 そして、 「失敗しても大丈夫だよ」 「ちゃんと側で見守っているよ」 そう言ってもらえる愛情の土台があってこそ、主体性保育に繋がるのではないかと思うのです。 まず土台を作り、その上で自由や選択肢を広げていく。 それでも十分、主体性保育と言えるのではないか。 そんなモヤモヤを抱えていました。

 そして、だんだんと保育士という仕事そのもが嫌になってきました。 上との意見の違いが大きい中で、違和感を伝えながら働き続けること。 それに加えて人手不足。 気づけば、心も体も疲れていました。

 「もういいか。好きに自由にさせていればいいなら、その方が楽かもしれない」 そんなふうに思ってしまう自分もいました。 “こんなふうに育ってほしい”と願いながら保育をするより、 言われた通りに動くだけの方が楽になってしまう。 そうやって、今度は保育士側のやる気、主体性が失われていくのを感じました。 質の高い保育が難しくなっていくのは、当然なのかもしれません。 本当は、すべての子どもに丁寧に寄り添いたい。 でも現実は、人手も時間も足りません。 保護者の期待も年々高くなり、長時間保育の中で、保育園に求められる役割は増える一方です。 以前、先輩保育士がこんなことを言っていました。 「毎日120%で働いて、家に帰る頃には力が残っていない。でも、自分の子どものために、また80%、90%を振り絞るんよ」 その言葉が、今も忘れられません。 保育士は、毎日どこまで力を使い続けなければいけないのでしょうか。 新しい保育を取り入れること自体が悪いわけではありません。 モデルケースも、理想もあると思います。 でも、人手不足の現場で、本当にその保育が成り立つのか。 まずは現場を見てほしい。 そう強く感じています。