ある芸能人が昔、障がいのある人をいじめたと雑誌のインタビューで話していた。
それが今になって批判され、その芸能人は謝罪したけど、ネットの批判的な声はおさまっていないという。
この芸能人が、東京オリンピックの開会式の、クリエイティブチームの一人なんだそうで。
そんな人がオリンピックに関わるのはどうなの? ってことらしい。
これが、ヤフーニュースの記事になっていたり、
EXITりんたろー「小山田圭吾いじめ問題」に「石を投げるのが正しいのか」(SmartFLASH)
ネット番組『ABEMA prime』にとりあげられて、
EXITがコメントして、そのコメントしたことも含めてネットニュースになったりしています。
兼近大樹、小山田圭吾のいじめ過去炎上に持論「過去を含めて今に繋がって...」(モデルプレス)
私は10代のときいじめられたことがあるので、こういうニュースは見聞きしただけで気分が悪い。
この件に関してブログに書こうと思ったので、ちょっと検索してみたら、
この芸能人がしたことは、いじめというより、暴行と言ったほうが適切だと思いました。
(「いじめ」という言葉は、子どもがふざけ半分でやったような、軽いものだと思わせる言葉でもある)
この芸能人の名前を検索したら、1ページ目に出てきたのは全部、この件に関すること。
で、ここから拡大解釈。いや、拡大解釈になってないかも。
違う話になりますが。
過去になにかしてしまって、テレビで見なくなる芸能人っているじゃないですか。
ネットで批判的なことを言われている人は、つまり、嫌われている。嫌われてる人を、視聴者はテレビで見たいと思うのか。
だったら、番組に出さないほうがいい。そして、テレビから消える。こんな感じでしょうか。
「本人が悪い」「自業自得」「反省してない」
だいたい、このような感じの批判的な声をネットで見ます。
確かにそうです。
皆さん、すごい怒ってますけど、でも、それって自分にそこまで関係のあることなんでしょうか?
私自身、この芸能人がしたことをニュースで知って、こうしてブログに書いて、まるで自分のことみたいに扱ってるわけです。
でもこれって、感情的になって、そのニュースと距離感がとれてないなーとも思うのです。
別に、この芸能人を擁護したいわけじゃないですよ。
おそらく、この人がオリンピックのクリエイティブチームを辞めると言ったら、少しは状況が沈静化すると思う。
私個人としては、「辞めたら?」って思う。(言い方が他人事)
でも、なんていうか……、最近、みんな「許さない!」って思ったら、ずーっとそれを言い続けるな、って。
なにかしてしまった芸能人が「したこと」が、言い訳ができない、社会的に許されないことであればあるほど、ネットの批判的な声は出続ける。
人に批判されてもしょうがないことを一回でもしたら、ずーっと責められ続ける世の中って、辛いな。
許す、水に流す、というのがない。
そんな空気感がある世の中って、きっついなー。
と思うのです。
あと、過去のことだから、今はもういいじゃない、って言いたいわけでもないですよ。
大事なのは、ちゃんと反省したり、悪いことをしたという自覚があるか、変われたのか、ってことではないかと。
大前提として、人が嫌がるようなことはしなきゃいい、っていうのはありますけどね。
人の心を傷つけて、楽しんで笑っているような人間にだけはなりたくないものです。