『近づいてはいけない木』 坂井綾花
私が住んでいる東京の、とある山の中に、「近づいてはいけない」と言われている一本の木がある。
子どもの頃、おじいちゃんに聞いたことがある。
「ねえ、なんでその木に近づいちゃいけないの?」
「ああ、その木は普通の木じゃないんだよ。いまからずーっと昔、100年以上前から生きている、妖怪の木で」
「妖怪の木?」
「そう。あの木に近づいたらダメだ。ケガをする」
「なんで近づいたらケガするの?」
当時、私は6歳。おじいちゃんと話すのが好きだった。
小学生のとき、学校の行事でその山に登り、頂上まで行ったことがある。
おじいちゃんは変わった人だった。ときどき、自分で考えた話をしてくれることがあった。まだ幼かった私は素直に信じこみ、本当に妖怪の木があると思っていた。
あとで考えてみると、それってただのつくり話だな、とすぐわかるような話だ。そんなに作り話としてのクオリティが高かったわけではない。
妖怪の木。近づくとケガをするから、近づいてはいけない。
なんでそんな作り話をしたのか。
なんで近づいたらケガをするの? と聞いたあと、おじいちゃんに言われたことを、私はもうおぼえていない。
あれから10年経ち、おじいちゃんはいま、大学病院に入院している。耳が遠くなり、物忘れがひどくなった。でも、私のことは孫だとわかっている。会話だって、普通にできる。
でも、心配している。この前お母さんが、電話で誰かと話しているのを聞いてしまった。
「おじいちゃん、良くならないかもしれない」
お母さんが、「おじいちゃんのお見舞いに行ってきて」と言ったのは、たぶん、そういうことなのだろう。
大学病院の敷地内に、桜の木があった。もう花はない。葉っぱが光に透けて、きれいな緑色をしていた。
桜って、葉桜になってもこんなにきれいなものなのか。
おじいちゃんが入院している部屋は、大部屋だろうか。それとも個室か。
個室だったら、ちょっと覚悟したほうがいいかもしれない。
昔読んだ本に書いてあった。『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』で、作者のリリーさんが父親に言われていた。個室に入ったら、もう長くはない、と。
救急車のサイレンが聞こえてきた。
病院って、なんとなくストレスを感じる。そこにいるだけで元気がなくなるというか。元気じゃない人が集まっているから、だろうか。
おじいちゃんが入院していたのは、二人部屋だった。
二人。これはどう判断したらいいのか。
ドアをノックして、スライド式の白いドアを左に動かすと、おじいちゃんはベッドに横たわっていて、顔をこっちに向けた。
「ああ」
嬉しそうな顔だった。
良かった、元気そうで。
でも、顔色が少し、白っぽいような。
「だいじょうぶ?」
「だいじょうぶ。そんなにすぐには死なないよ」
返す言葉がなかった。私、そんなに深刻な顔してたのか。
「おじいちゃん。だいぶ前のことなんだけど、木に近づくなって私に言ったの、おぼえてる?」
「……なに?」
聞こえなかった。
「昔、木に近づくな、って私に言ったの。おぼえてる?」
声を大きくして、ゆっくり話した。
「ああ……、そんなこと言ったなぁ」
思いだしてくれた。
「妖怪なんていないんでしょ。なんであんなこと言ったの?」
おじいちゃんは、どこか遠くを見ている眼をしていた。
「もう、ずいぶん昔のことだなぁ。あの木の根元に、埋めたんだよ」
「……」
初めて聞く話だった。
「埋めたって、なにを?」
「昔、戦死した友達がいてなぁ。そいつの持っていた腕時計を形見にもらったんだよ。でも、ずっと持っているのは辛かったから、どこかに埋めてやろうと思って。それで、あの桜の木の下に埋めたんだよ」
「そうなんだ……」
「あいつは帰れなかったからね」
帰れなかった。
その人は、戦死してしまったのか。
おじいちゃんはうつむいていた。少しだけ、沈黙が流れた。
「あそこなら、誰も来ないだろうし、そんなに遠くないから、行きたいときにすぐに行けるだろうって。でも、おじいちゃん、あの山の持ち主になにも言ってないんだよ」
「そういうのって、ダメなの?」
「いま言ったことは、誰にも言うんじゃないよ」
そう言って、おじいちゃんは笑った。
「いいんじゃないの? 腕時計1コぐらい」
私もつられて笑った。
妖怪の正体が、10年経ってようやく判明した。
おじいちゃんは、よくしゃべり、よく笑った。私が来たから、元気が出た、と言って。
お見舞いに行った私のほうが、元気をもらってしまった。元気にさせたかったのは、私のほうなのに。
帰りぎわ、葉桜になった桜の木を見上げた。
この木、ずっとここにあるんだろうな。この場所で何人も病院に入っていく人たちを見つめ続けて。妖怪はいるかどうかわからないけど、なにかしら魂は宿っているんじゃないか。
なにかに願って、願いを叶えてほしい気持ちでいっぱいだった。
おじいちゃんが早く元気になりますように。心の中で、強く願った。
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西野さんのブログを読んで、そこから発想したものです。
(考えるきっかけなど、くわしくは、この記事参照)
爆撃機 → 爆撃する木 → 近づいたら危ない木 → ハリーポッターに出てくる、攻撃してくる木 となり、
木になにかある → そういえば、桜、もう葉桜だなー と、時期的に桜の木を思いだし、いろいろ考えてました。
こういう文章久しぶりに書いたけど、やっぱり、久しぶりだからダメですね。
運動して鍛えないと筋肉がつかないのと同じように、普段から書いてないと、文章力ってダメになります。
その西野さんの最新作、『チックタック 約束の時計台』が、アマゾンでランキング1位ですよ。すごい。
文章力のない私なんて足元にも及ばない。
あと、絵も描けないしね。
画力は、ときどきブログに載せてるこれなんかを見ていただければ、言わずもがなです。
天と地、なんて表現じゃ足りないですね。宇宙と地面。