この国の精神 昭和歌謡にみる大衆の精神―エピローグ― | 秋 隆三のブログ

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昭和21年 坂口安吾は戦後荒廃のなかで「堕落論」を発表した。混沌とした世情に堕落を見、堕落から人が再生する様を予感した。現代人の思想、精神とは何か。これまで営々と築いてきた思想、精神を振り返りながら考える。

この国の精神 昭和歌謡にみる大衆の精神―エピローグ―

秋 隆三

 

  昭和歌謡曲に随分と長い時間がかかった。まだまだ足りない。膨大な数の歌謡曲である。一体、世界の国、民族で、日本の歌謡曲と呼べるような音楽スタイルのものがどれほどあるのだろうか。

  スペインのフラメンコ等は、歌謡曲ではなく民謡である。日本であれば津軽じょんがら節や、追分等と同じような分類であろう。

  1800年代初頭に完成するヨーロッパ楽曲、つまり、モーツアルト、ベートーベンに代表される作曲家によって成熟・完成した音楽技術、12音階、和声、記譜法が、明治文明開化とともに輸入され、江戸時代の長唄・小唄、明治期の浪曲、民謡等と融合しつつ、昭和の大衆社会への移行とともに出現したのが歌謡曲ではないかと考えられる。

  欧米では、オルテガの言う大衆社会は日本より数十年早く出現している。フランスのシャンソン、同じ語源をもつイタリアのカンツオーネ等は、その典型的な例である。これら以外にもポルトガルのファドがある。

  古くは、吟遊詩人が自作の詩に曲を付けて歌っていたものと思われるが、上記いずれの国の歌謡曲にも独特の曲調と詩を引き立てるコブシが見られる。コブシなどはないという専門家なるものもいるかもしれないが、詩という言葉には、必ずイントネーションがあり、微妙な装飾性が備わっているものである。言葉のリズムと抑揚が旋律を生み出す。

 

  昭和歌謡曲は、まさに昭和に入ってから創作された日本独自の楽曲と言えよう。中山晋平という作曲家がいる。昭和3年に小学校教員を退職し、日本ビクターの専属作曲家となって、有名な「波浮の港」を作りヒットする。翌年には「東京行進曲」が発表されている。この昭和初期には、古賀政男、古関裕而等の作曲家が相次いで出現し、日本の昭和歌謡曲を洗練し、成熟させていくが、作詞家の活躍があってこそとも言える。明治以来、昭和にかけて、日本文学における詩人の活動はめざましいものがあった。

 

<オルテガと大衆社会学>

 

  さて、オルテガの「大衆の反逆」にインスパイアされて、昭和歌謡に挑んできた。何ともまとまりのないものになってしまったが、大衆が嗜好するもの等は、オルテガの言うように「波のまにまに漂っている」に過ぎないのである。

  ホセ・オルテガ・イ・ガセットは、明治16年(1883年)にスペインの高名なジャーナリストの息子として、スペイン・マドリードで生まれ、昭和30年(1955年)に72歳で没している。第一次世界大戦前のドイツに2年間留学し、カント哲学、フッサールの現象学等を研究したと言われる。19歳で学士号、21歳で博士号を取得している。現代とは、大学制度が異なるとは言え、一人の天才と言えよう。

  オルテガは、「大衆の反逆」に見られるように、自らの思想を体系的・論理的に説明しようとはしていない。思想というものを理性だけで説明することは不可能であり、感性(情動)と理性の相互作用と考えていたのではないかと思われる。理性には限界があり行きつく先は無限だとするカントの純粋理性批判、フッサールの主観哲学・認識哲学に通ずるものであるが、オルテガは、真理を追求する哲学ではなく、浮き草の如き今を生きる人の思想に着目した。「生」きるということは、現実問題なのである。過去でもなく未来でもない。だからといって、「人は何故生きるか」という真理を必要としないわけではない。人が生き抜くためには、思想が必要なのだと言うのである。それも、自由で民主的な社会に生きる大衆が重要なのだと。

 

  オルテガが、「大衆の反逆」をまとめた時代は、1920年代後半である。第一次世界大戦が終わり、ロシア革命・ボルシェビキの台頭・ソ連共産党独裁政権の誕生、ドイツナチス党の躍進、それこそヨーロッパ全体が揺れ動いていた。この時代のヨーロッパを、E・H・カーは、「危機の20年」と呼んだ。

  さて、オルテガが生まれた1880年頃とは、イギリスはヴィクトリア朝であり、エジプトの軍事占拠、アイルランド農業恐慌・国民同盟発足、スーダン戦争等、現代にまで影響を及ぼす植民地問題が吹き出している。フランスは、第3共和制時代であるが、パリ・コンミューン後、王政復古の失敗・共和制の復活と混乱するが、もっぱら国内法の整備に集中している。

  1898年には、米西(アメリカとスペインのメキシコ湾での戦争)戦争が勃発し、スペインはキューバ・フィリピン・プエルトリコを失っている。この戦争によりキューバとフィリピンは独立に向けた紛争の時代を迎える。スペインは、この戦争を契機に王政は衰退し、1909年にはカタルーニャ(バルセロナ)で「悲劇の一週間」と呼ばれる労働争議が発生する。1931年にはスペイン革命により共和政国家となる。

 

  こういった歴史を見るたびに感ずることだが、先人達はよくもこのような激動の中を生き抜いたものだと思う一方、戦争や紛争の当事者以外の人達にとっては、どこかで何かやっている程度の認識であって通常の生活にはほとんど影響がなかったとも思えるのである。勿論、後年、長い時間を経過して一般人にも何らかの影響、例えば社会思想・制度、経済、科学技術等を通して影響を及ぼすことになるのだが。

ウクライナ紛争に続いてイスラエル紛争が発生した。これらの地域以外にも紛争の可能性の高い地域は、この日本の近くにもある。我々の日常生活とはほとんど無関係なところで殺し合いをしている。今の我々の世界認識と変わらない状況が第一次世界大戦後のヨーロッパ大衆にもあったことは確実である。ついこの間、千万人とも言われる戦死者を出した戦争があったにも係わらず、大衆の認識とはこの程度のものではなかったか。オルテガは、このことに気がついた。気がついてみると、何とも恐るべきことである。さらに恐ろしいことは、19世紀社会のような少数の支配者による国家ではなく、大衆支配社会でかつ、人類の理想とも言える自由主義的民主主義国家こそが最大の危険国家であることである。

 

  オルテガは、ナチズムを最も危険視し、警鐘を鳴らし続けていたが、「大衆の反逆」が出版されて2年後、ドイツではヒトラー率いるナチ党が第1党に選出された。ドイツ国民は、民主主義という多数決方式によりナチ党の議会議員を選出したのである。首班指名を控えた1932年7月、ヒトラーは次のような演説をした。

 

  「(権力者は)国家が覚醒に向かうことを恐れながら、彼ら(権力者)は民衆を立場の異なる人々に対しての敵対心や優越感を持たせるように仕向けていった。都会が田舎を見下し、給与所得者は公僕を見下し、手作業をする者は頭脳を使う者を見下した。ババリア人(ドイツ南部の人々)はプロイセン人(ポーランド周辺の人々)を見下し、カトリック教徒はプロテスタント教徒を見下した。見下される側もまた、自分たちを見下す側を同様に見下していた。

 ・・・・・我が人種は国内で活力を使い果たしてしまった。今の外の世界に残っているのは空想のみである。文化的良心、法治国家、世界の良心、会議に出席する大使、国際連盟、第二インターナショナル、第三インターナショナル、プロレタリアートの団結…このような空想による希望のみが残った。世界も我々をこの空想に基づき扱っているのだ。

 ・・・・国家が階級や地位、職業によって分断されることになってしまった。このような事態の積み重ねによって、輝かしい経済の未来を約束していたはずの我が国の権力者による政策は、完全に失敗に終わったのである。

 ・・・・・全てのドイツ人が、同じ目的に向かい、運命を共にできる共同体をもう一度この国に誕生させることこそが我々の願いなのだ。」

      (引用元 https://imasenze.hatenablog.com/entry/2018/01/22/112507

 

  国家分断論、空想的世界論、運命共同体論・・・現代社会のことではない、90年前のドイツのことである。

  ジャーナリズムが盛んに取り上げる欧米における分断社会論、地球温暖化論・AI社会論にみる空想的世界論、ネット社会に対応すべき新たな共同体論、これらは現代最先端の社会議論である。どの議論をとってもニュースに表れるのは根拠の薄いものである。

 

  オルテガは、ヒトラーと同時代の社会人について、次のように書いている。

  「・・・・あらゆる時代とあらゆる民族の「貴族」に特徴的な傾向が、今日の大衆人の中に芽生えつつあることを示すことができよう。たとえば、勝負事やスポーツを人生の主要な仕事にしたがる傾向とか、自分の肉体への感心・・・とか、女性との関係におけるロマンティシズムの欠如とか、知識人を楽しみの相手にしておきながら、心の底では知識人を尊敬せず、召使いや警吏に彼等を鞭打つように命ずるとか、自由な議論よりも絶対的な権威の元での生活を好む、等々といったことである。」

 

  現代は、以上のことが大衆人に芽生え始めているのではなく、大衆人に完全に定着し、これらのことなしに大衆人の「生」は存在しないところにまで行き着いている。

 

  ウクライナ戦争をみれば一目瞭然である。プーチンの演説と政権のプロバガンダはヒトラーを想起させ、権威に漬かりきりのロシア国民においておやである。ウクライナのゼレンスキーはどうかと言えば、自国で武器の生産さえできないのにどうやって戦争をするというのだ。戦争の覚悟があるのならば、ヒトラーが言ったように、まずは運命共同体とともに武器の生産に邁進しなくてはならない。ウクライナ国民にしても同様である。

  世界のジャーナリズムの論調は、武力による侵略は許さないというものであるが、武力なしの侵略というものはそもそも存在しないのである。

  今回のパレスチナ紛争に至っては、もはやなにをか言わんやである。元来、イスラエルとパレスチナは、同一の地域の住民である。3千年前から住民同士であったようだ。あえて民族と言わないのは、ユダヤ民族とは遙か昔はユダ族のことであったようだが、ユダヤ教の信者をユダヤ人と呼ぶようになった。現代では先祖がユダヤ教の信者であった場合にもユダヤ人と呼んでいるようである。

  イスラエルは政教分離であるが、憲法上は国教が定められており、福音ルーテル教会である。ルーテルとはルターのことであり、プロテスタントである。しかし、国民の70%以上は、ユダヤ教信者である。

  イスラエル国家というものは完全な分断国家と考えた方が現在の紛争について理解しやすい。パレスチナ人、あるいはパレスチナ人の居住地域をイスラエルと融合すると、建前である政教分離政策を実行せざるを得なくなる。分断社会の混乱の極みとなるだろう。ユダヤ人の国家という暗黙の理想が崩壊するのである。

 

  こういった戦争の解決策はあるのだろうか。オルテガが言うように、歴史的教訓、既存の手法・技術では解決しえない新たな問題であり、試行錯誤以外に手はなさそうである。

  オルテガは、人類は理想的な政策手法を獲得したかに見えて、実は、とてつもなく複雑怪奇な「生」に突入し、精神・思想という知的生命体が元来、進歩・進化させなければならない分野が退化・後退するのではないかと危惧した。オルテガの大衆社会論が発表されて90年を経て、このことが現実問題となってきたのである。

  「大衆の反逆」は、様々な視点から大衆を観察している。この大衆社会論を議論するには、オルテガが書いたと同じだけのページが必要だろう。「大衆の反逆」の最後は、「国家」と「世界」についてであるが、この項については、この昭和の大衆精神とは別に考えることにし、終わりにオルテガの言葉を引用することにする。

 

  「人間の生は、望むと望まざるとにかかわらず、つねに未来の何かに従事しているのである。だからこそ、生きるということは、つねに休むことも憩うこともない行為である。なぜ人々は、あらゆる行為は、一つの未来の実現であることに気づかなかったのだろうか。

・・・・・・・・・つまり、人間にとっては、未来と関係していないものは全て無意味だといえるのである。」

 

2023/11/09