この国の精神  武士道(4) -ウクライナ & インフレ & 温暖化- | 秋 隆三のブログ

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昭和21年 坂口安吾は戦後荒廃のなかで「堕落論」を発表した。混沌とした世情に堕落を見、堕落から人が再生する様を予感した。現代人の思想、精神とは何か。これまで営々と築いてきた思想、精神を振り返りながら考える。

この国の精神  武士道(4) -ウクライナ & インフレ & 温暖化-

秋 隆三

 

<ウクライナ戦争>

 

  ウクライナが北東部で優勢である一方、ロシアは、部分動員とかで30万人を徴兵しているが、逃げ出す国民が相当数に上っている。徴兵しても渡す武器がない、装備がないという話もある。ドネツク戦線で、ロシア兵が何人戦死したのか全く情報が入らない。ウクライナ側からも情報が入ってこない。これだけ大規模な戦争にもかかわらず、メジャーなメディアに何も情報がないという実に不思議な現象がおきている。テレビの報道番組には、毎回同じ顔ぶれの専門家なるものが登場するが、彼等もほとんど情報を持っていない。専門家すら情報が得られないのである。現代の戦争とはこういうものかもしれない。

  戦闘状況の情報を一切外部に漏らさない。情報が漏れると、フェイクニュース等様々な情報戦に利用されるからである。

 

  そうかと思えば、核戦争の可能性が報じられている。ロシアがウクライナで核を使えば、チェルノブイリ原発事故の事例のように、爆発直後は、地球の自転の影響で西側の北欧、ポーランド、ドイツ方向が汚染され、その後偏西風にのってアルタイ山脈の南側からヒマラヤ北部の中国一帯が汚染され、日本にも到達するだろう。直接的には、核が投下された地域は戦争どころではなくなる。ロシアが使うかどうかは戦況で決まり、使われるまでは誰もわからないのである。戦況がわからなければ、核の可能性さえ予測できない。

 

  フェークニュースであれ何であれ、戦況の実態を報道することは、政治的にも極めて重要である。民主主義国家は、国民が戦況を知ることを何よりも優先する必要がある。勿論、機密の作戦もあるが、その作戦の遂行結果は、成功であれ失敗であれ国民に知らせることは重要である。戦争には、余りにも秘密が多すぎるため、民主主義国家では戦争ができないというのが本当のところだろう。

 

  ノルドストリームのガスパイプラインが爆破されたらしい。ロシアがやったということらしいが、どう考えてもロシアが自らの金庫を破壊するわけがない。しかし、ロシアがあえてカードを切った可能性もある。米国だ、ポーランドだ、等々、いろいろな噂が飛び交っている。結果として、ドイツは、ロシアからのガス供給が確実に止まることになった。ロシアからのガスパイプラインは、大陸経由のものもあるので完全に止まるということにはならないが、どの程度の影響があるのかはわからないし、そういう報道は一切ない。

 

  ガス漏れによるメタンガスの放出量は、1億5千万立米(あるいはトン)に達するという報道があるが、単位がトンなら、ものすごい量である。温暖化ガスとしてはCO2の28倍とも言われているから、二酸化炭素に換算すると40億トン/CO2を超える可能性がある。何とアメリカの1年分、日本の4年分の排出量に相当するではないか。ガス体積とすれば、それほどの量ではない。

 

  クリミア大橋が爆破された。誰がやったか解らないが、プーチンは、ウクライナのテロ行為だと断定した。爆破したトラックは、ロシア側から来ているので、ウクライナがやったとは必ずしも言えない。ウクライナが自爆テロをやるとはとても思えないのである。

  この爆破について、どうも理解に苦しむ点がある。第1点は、爆発直後、つまり現地時間で午前6時過ぎの爆発からわずか2~3時間後に三つの画像がネット上に公開されたことである。どうしてこんなに速く動画がアップされたのか。動画のうち、ロシア側から録画された燃料貨物車両が燃えている映像は、まあ納得できるが、道路上の爆発画面と、橋の監視カメラの映像は、あまりにもタイミングが良すぎる。爆発があることをあらかじめ知っていたとしか思えない。第2点は、爆発の映像である。爆発後の崩落した橋には、爆発の痕跡、つまり焼け跡や穴などが全くないのである。トラックのあった場所が白く残っており、あれほどの爆発にもかかわらず、トラックの真下には何の損傷もない。さらに、爆発後の火花や煙の吹き出しが、橋の下から巻き上がるように発生していることも不思議である。橋の上でトラックが爆発したのであれば橋の下から煙が巻き上がるような現象は発生しない。さらに隣の道路のガードレールが爆発側に曲がっている。第3点は、爆発直前の燃料輸送貨物列車が、鉄橋の上で止まっていることである。映像を少しづつ止めてみると確認できる。橋の上の自動車は少し移動するが列車は全く移動しない。つまり、爆発を待っているかのように列車が停止しているのである。

  ネット上では、トラックではなく小型船による爆破であるという情報も流れているが、トラック爆弾ではないことはどうも確かなようだ。

  ロシア側の自作自演(ロシア内部の右翼強行派等)、ロシア内部の反ロシア勢力によるテロ行為といったところが妥当なところではないかと思われるが、撮影の状況、画像の公開スピード等を考えると、ロシア側の自作自演説が有力となるがいかがであろう。

  ここまでくると、もはやプーチンの権力維持は、困難ではないかと思われる。権力内部から崩壊が始まっていると思われるからである。

 

  ウクライナ東南部の戦況は、このところ遅々として進まない。ウクライナ軍は、何かを待っているのではないだろうか。欧米からの軍事支援物質だろう。来週後半には、必要兵器がウクライナに到着するとともに、8月頃から実施されていた兵士訓練も終わる頃なので、多分、ザポリージア方面から大規模な戦闘が開始される可能性が高い。ウクライナ軍が勝つためには、マリウポリを奪還して、ロシア軍を南北に分断する必要がある。11月中旬までは、目が離せない状況が続く。

 

<インフレ>

 

  欧米のエネルギーコストの上昇によるインフレが問題となっている。

  欧米の中央銀行は、エネルギーコストプッシュ、コロナパンデミックによるサプライチェーンの停滞とベーシックインカムによる需要増等々を要因とするインフレを、政策金利の引き上げ等の金融政策で押さえ込もうとしているが、こんなことは経済学の教科書にもでてこない。第二次世界大戦後の日本において、産業基盤の破壊に伴う絶対的供給力の低下と需要増による急激な需給ギャップの上昇によるインフレに対して、金融引き締めという政策手法をとったのはドッジである(ドッジ・ライン)。財政の健全化には寄与したかもしれないが、インフレから急激なデフレに陥り戦後最大の不況となった。ドッジは、新自由主義経済の信奉者である。これらの状況については日本銀行の古いレポートで紹介されている。このドッジ・ラインに対して当時の大蔵省、日銀は、ディス・インフレ対策として積極的金融緩和策に転換するる。結果としては、積極的金融緩和策と朝鮮戦争の戦争特需が重なり経済バランスが回復することになる。

  昭和22年頃まではハイパーインフレであるが、この時には、国債の発行と日銀による国債の買い入れ(発行額70%超)、傾斜金融と呼ばれる石炭・製鉄などの基盤産業への復興赤字融資、物価統制(米、紙等の統制経済)であったが、インフレを押さえ込むことはできなかった。しかし、この当時の国債は、インフレの結果、借金はゼロになる。絶対的供給力不足を短期的に解消することは、到底不可能なのである。

  コストプッシュ型の極端なインフレに対する短期的処方箋はない。それが証拠に、このインフレに対する処方について、世界中の経済学者は、無言でありひたすら隠れまくっている。FRBの高金利政策は、過熱した需要を押さえ込むのだそうだが、エネルギー需要の過熱を押さえ込むとは何を意味しているのか。これも温暖化対策を強行に推し進めようとする欧米政治手法なのではないかと疑いたくなる。我が日本銀行だけが、経済手法として正しい判断をしていると思うがいかがか。現代資本主義社会において、コストプッシュ型のインフレを短期的に解消するために金融引き締め策を実施するなどは、愚策である。短期的な政策としては、石油、ガスの増産以外に方法はない。アメリカの石油生産量を今後10年間程度増産し、そのための財政政策がとれるかにかかっているが、バイデンや民主党リベラル左派にはできそうもない。

  我が日本のインフレも3%台に上がりそうだ。賃金上昇の絶好の機会が来た。日銀は、現状の政策を崩さない方が良い。観光産業の復興はほどほどにして、生産基盤の再整備・企業の国内回帰等の中・長期的な積極的公共事業・財政投資を早急に計画する必要がある。それが、インフレ・デフレといった経済変動に対処する唯一の方法であることは歴史が示している。2%台のちょうどいいインフレ等といった都合の良いインフレ経済など存在しないということは、経済の歴史が示す真理である。経済推移は、2%~10%のインフレを揺れながら進行している方がいいのである。インフレであれば、50年も経てば、長期国債は消えてなくなるのだから。今回のインフレにより、これまでの貨幣論を含むマクロ経済理論は間違いであり、あまりにも狭い範囲でしかモデル化していなっかったことがばれてしまった。結論から言えば財政均衡はインフレ状況でしか達成できないということである。アメリカの現在のインフレ等は、実質4%程度でしかない(過去20年間3%以上のインフレ状況だった)。日本もできるだけ速い時期に、賃金を上げてインフレを少し加速する必要がある。できればインフレ率を4%~5%にもっていく必要がある。需給ギャップをプラス3%程度まで上げる事、つまり、積極的金融緩和と財政出動であり、年金支給額の引き上げである。

 

<温暖化問題>

 

  ウクライナ戦争がはじまってから、欧米の温暖化問題に関するニュースは、ほとんど見られなくなった。パリ会議の結果は、どうなっているのだ。それどころではないのだろう。ヨーロッパのエネルギー価格の高騰はものすごい。ガスの大半、石油の半分程度を、ロシアに依存していたのだから、利用不可能とわかれば、市場からスポットで購入しなければならない。スポット価格が高くなるのは当然だ。温暖化問題どころではない。ガス価格が20倍以上等は、常識外であるし、こんな状態は明らかに政治責任である。2014年のクリミア併合以後、ウクライナ戦争の危険性は、常態化していた。ドイツなどは何もせず、むしろノルドストリームを推進して、気候変動だ、CO2削減だ、と叫んでいたのが政治の実態である。欧米だけではない、我が日本の政治なども同じである。今回のエネルギー高騰とインフレの原因は、政治にある。いつなんどき、世界中が、気狂独裁者の暴挙によって破綻に向かうか、誰もわからない。だからこそ、まともな国家は、常に準備が必要なのだ。

 

  ところで、温暖化問題について、最近、1990年代に発表されたいくつかの論文を読んだ。CO2が地球温暖化の原因なのかについて、研究者が疑問をもって真剣に取り組んだ唯一の時代と言って良い。現代は、そんな研究すらできないし、研究費もない。

  1998年に槌田氏が発表した論文「CO2 温暖化脅威説は世紀の暴論-寒冷化と経済行為による森林と農地の喪失こそ大問題-」は、エビデンスを上げて、温暖化ではなく寒冷化に対する対策を提唱している。この論文において、最初に取り上げたのが地球気温の変化と二酸化炭素濃度との関係である。1958年からのハワイ・マウナケア観測所のC.D.Keeling グループの観測結果によれば、気温が上昇した後に二酸化炭素濃度が上昇するという関係が1988年までのデータで見られるとしている。気温といっても海面温度の上昇が原因である。海の表層水における植物プランクトンの光合成に利用されるCO2の供給源が大気中からなのか、深海からなのかが重要なファクターである。南半球では、明らかに深海水と表層水が循環していると考えられるとしており、その証拠は、北半球では大気中のCO2濃度が季節的に変化するが、南半球では季節変化がないという事実が示しているとしている。

  この論文の後、東京大学の研究者により「地球温暖化懐疑論批判」なる論文が公開されている。

CO2が温暖化の要因であるとする根拠は、地球シミュレータという数理モデルによる予測結果を基にしている。数理モデルというのは、原因と結果の因果関係を数式化して過去のデータにより当てはまり状況を検証して確からしさを判定する方法である。勿論、単純な線形モデルから有限要素法等々までシミュレータの手法は沢山ある。何故か、このシミュレータの詳細な構造は公開されていない(ドイツのマックスプランク、東京大学等)。いずれにしても、大気中のCO2濃度と気温との関係式であるから、採用しているデータの期間が問題となる。気温に影響すると思われる様々な因子の観測が始まったのは、せいぜいこの50年といったところだから、シミュレートするまでもなくCO2濃度と気温上昇は明らかに相関しているので、数理モデルでは必ずCO2濃度変数の係数値が高くなる。この数理モデルで予測すれば人為的なCO2排出量が増加すれば、過去の年平均CO2濃度以上の排出量があれば、必ず気温は上昇することになる。そこでだ、歴史上の中世(西暦700年頃から1300年頃)高温期をシミュレートしたら果たしてどうなるのかが見物だが、観測データがないので計算できないという。シミュレータの確からしさというのは、想定される全ての条件、あるいは明確な条件下の基で現象と一致することである。限られた観測あるいは推定データであっても、この中世高温期をシミュレートできれば、まあ何とか使えると言えよう。つまり、このシミュレータでは、どんなに精度(格子の細かさ)を上げたとしても、それと結果の信頼性には何の関係もない。東北大地震のとき、福島原発の爆発による放射性物質の拡散状況についてシミュレータを利用するかどうかが議論されたが、結局、信頼性に欠けるとしてシミュレーション結果に基づく警戒勧告をしなかった。地球シミュレータに比べれば遙かに精緻であるにも係わらず政治的利用をしなかったのである。気候シミュレータを利用したIPCC報告は、どこまで信頼してよいのだろうか。

 

  1990年代の温暖化議論は、現代国際政治において極めて重要な示唆を与えてくれる。議論が長くなるのでこの続きは次回として、本論の「武士道」「葉隠の疑問」に戻ることにしよう。

 

 

<「葉隠」の疑問>

 

  「葉隠」は、奇妙奇天烈な文献であると言った。「葉隠」を読みながら気付いた点を少しまとめてみた。

 

  第1点は、この図書は、「江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物。肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた」ものとされている。確かに、この図書には、本人と筆記者には解っているようだが、状況を知らない読み手にとって意味不明な箇所が多数ある。しかし、全般的に君主の発言、初代君主の言行等、比較的詳細に記述されている部分が多く見られる。これは、記憶していることを喋って記録させるというものではない。何らかの記録文書を基に、常朝が解説していると考えられる。山本常朝は、2代藩主光茂の御傍役・御書物役であることから、藩公文書・藩主の言動記録文書、藩政に係わる決定文書等々も扱っていたに違いない。それらを持ち出すことはできないので、常朝が気になった部分をメモしていたと考えるのが妥当なところであり、純粋な口述筆記であるとするのは間違いである。

 

  第2点は、なぜこの本は秘本なのかである。いくつかの解説によれば、当時の朱子学隆盛時代に反する内容があるからだという。しかし、何度も言うように、この本の中に朱子学の片鱗も出てこないばかりか、儒教の言葉がほんの僅か引用されているに過ぎない。実は、極めて簡単明瞭なのである。「葉隠」は、初代藩主から3代藩主までの言行、藩政決定事項が語られているが、それらが全て「忠義」・「忠節」・「忠君」との関係で語られている。見方によっては、武士と言うものは忠義に生き、忠義に死すともとれるが、藩主の言動・行動にそれなりに問題のある部分も多々見られる。これは、藩主だけではなく、藩主親戚・家老・役付についても同様であり、藩士の行動についても同様に見られる。つまり、藩の恥をさらすと考えられる部分も少なくないのである。こんな本が世間に出回ることになれば、常朝は切腹ものだろう。

 

  第3点は、この本には、藩士や領民の暮らし・経済に関する話は一つだけでてくるが、全くといって良いほど出てこない。一つ出てくる話は、浪人となった藩士が、妻から食う米がないと言われ、通りがかりの税米を奪ったという話である。この話は、後段で修正されて二度も出てくる。ところで、常朝の禄高はどの程度であったのだろうか。いろいろ調べてみたが何処にも出てこない。早稲田大学の大隈重信の話の中で取り上げられていた。130石程度だったようである。下級と中級の中間というところだろう。記録をとりまとめた田代に至っては15石というから一人食うのが精一杯というところだろう。佐賀藩は、古伊万里、有田焼、鍋島焼等、陶磁器で知られた藩である。こういった経済の話は、それこそ秘中の秘でありさすがに書くことは出来なかったとも言えるが、そもそも常朝には経済は全く解らなかったというところが本当ではないだろうか。

 

  第4点は、なぜ常朝は、「忠義」・「忠節」・「忠君」を何度も何度も、同じような話を繰り返し語ったのだろうか。武士というものは「忠義」・「忠節」・「忠君」のために生き、死すと言いたかったのだろうか。まあ、それもある。浪人となった藩士の例、その原因などが随所にでてくるところをみると、正しく「忠節」を尽くすことにより、家は安泰となり、「忠義」に死すことができると考えたのではないか。正しく「忠節」を尽くすということをこれでもかこれでもかと例を挙げて説明するのである。

 

<武士道とは何か>

 

  武士道を様々な角度から見てきたが、これだけでは武士道とは一体何なのかを説明していることにはならない。ここからが私見である。

  武家・武士と言うものは、粗野・粗暴・残虐な人間達の集団なのである。戦争を好み、スキあれば敵を殺す。親子・兄弟での殺し合い等は、恐らく平安時代前期から江戸時代の始まる前までのおよそ600年間、日常茶飯事であったのだろう。武士は、まず戦争に勝つ思想が必要であった。怒り・憎しみといった感情を優占し、哀れみ・悲しみという感情をひたすら押し殺し、勝つための技術思想を磨いた。その次は、死の思想である。死は無なのである。つまり無の思想でなけば自らの死も、他人の死も理として受け入れることが出来ないのである。粗野・粗暴・残虐さのための技術思想に磨きをかけ、無の思想を仏教から受け入れる。

  ここまでに、儒教の思想は何も入ってこない。儒教の思想を必要とし始めたのは、江戸時代、それも元禄時代以後のことである。「忠」の思想は、論語にもあり、「まごころ」としている。朱子学では「上下定分の理」となる。儒学によって武士道の思想は、後付けされることになった。歌舞伎では、これでもかと武士を美化する。この美化された武士道は、下級武士にとっては極めて重宝なものとなる。武士道は、高級武士にではなく、中級以下の武士にとって藩主や高級武士、あるいは幕臣と対峙するための平等精神・思想として機能した。かくて、江戸時代中期以後、武士道は形式思想として武士に定着し、庶民は真の武士、武士道の誉れといって武士を持ち上げることで武士本来の粗野・粗暴・残虐さを削りとった。

 

  

  ここまで整理してくると、どうやら武士道の本質が少し見えてくる。粗野・粗暴・残虐で戦の話を聞くと血をたぎらせる武士というもののあるべき姿を、儒教それも陽明学やそれを基に様々に変化したわが国特有の道徳倫理学を、元禄時代の知識層が創り上げ、武士階級の内的規範として定着させることに成功した。成功の要因は、三方一両得であったからである。主家にとっては手の付けられない家臣の規律として、下級武士にとっては武士の平等精神として、庶民にとっては武士権力の道徳的規律として、それぞれに都合が良いのである。つまり、武士道という道徳律は、じつにうまく士農工商社会に予定調和を生み出すのである。武士道の本質は、武士がそのあるべき姿・理想像に如何に近づいているかをほめちぎる、いわば「ほめ殺しの思想」である。

 

  それにしても武士道とは、わかっているようでいてほとんど何もわからない日本精神の一つであると言えよう。

 

                                                       2022/10/15