この国の精神 「日本精神の研究」 安岡正篤(4) | 秋 隆三のブログ

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昭和21年 坂口安吾は戦後荒廃のなかで「堕落論」を発表した。混沌とした世情に堕落を見、堕落から人が再生する様を予感した。現代人の思想、精神とは何か。これまで営々と築いてきた思想、精神を振り返りながら考える。

この国の精神 「日本精神の研究」 安岡正篤(4)

 

 COVID-19が「デルタ株」に変異し、感染爆発になっている。何はともあれこの半年間は、私にとって心が折れそうな毎日であった。それは今も続いている。私の身体と心の半分を失ってしまった。

 

 安岡正篤の言う「日本精神」を書こうと思っても、「日本精神など、人の心の奥深さに比べれば単なる言葉の遊びにすぎないではないか」という思いがよぎり、とても書く気にはなれなかった。

 

<仁とは何か>

 

  「日本精神の研究」の全編を通して、人の「心」、「感情」の奥深さ、特に、「悲しみ」という感情の如何に深いことか等々は、全くといって触れられていない。

  安岡が言う「日本精神」とは、「世の中」のこと、すなわち、組織や社会との関係における「個」の立ち位置と心構え、日本人の道徳倫理のことである。それも、儒教、とりわけ王陽明の思想との関係について、歴史的人物の思想と行動を借りて解説している。

 

  陽明学の神髄は、「心即理」であることは、前回の解説のとおりである。「人が人生を生き抜くための心のありようを説いたものであり、良知による感情と理性の調和によって誠意・正心が得られ、そのことが予定調和としての秩序となる」というものである。

  しかし、陽明学では、「仁」についてほとんど触れられていない。「仁」は、孔子が最も重要な徳と位置づけたものであるが、「仁」は孟子が喝破したように「優しさ」の一言でかたづけられるものであり、それ以上でもそれ以下でもないのであろうか。

  「論語」ではどうだろう。論語の512短文中、「仁」について50数文が当てられている。論語の1割は「仁」についての説明であるが、「仁」とは何かという論理的な説明はない。儒教の四書全般が、哲学的究明という点においてはやや難がある。その中でも、「仁」については特に漠然としている。何年も考えてきたが、分からなかった。「人を愛することだ」と孔子は言ったが、弟子達は容易には理解できなかったのであろう。多くの弟子達が、「仁」について孔子に問うている。

  弟子の顔淵が「仁」とは何かを尋ねると、孔子は、「身を慎んで礼に立ち戻る」ことだと答え、仲弓が同じ質問をすると、「自分の望まないことは人にしない」ことだと答える。燓遅が聞くと「人を愛することだ」と答え、子張には、「恭(うやうや)しく、おおらかで、信(まこと)があり、機敏で、恵み深いことだ」と答える。

 

  孔子は、「仁」とは全徳において最高の徳だと言うが、弟子達の問いに対する答えは、仁的行動の例を示しているに過ぎず、「仁」の本質を示そうとはしない。そして、孔子は、「仁は遠くにあるものではない。自ら仁を求めれば、すぐにやってくるものだよ」と弟子達に言い聞かせる。そうかと思えば、「聖や仁などというものは、私などにはとてもとても」とも言う。

 

  孔子は、「私の思考・行動を見て仁とは何か」を自分で考えろと言っているようである。

 

  私は、この春、身と心の半分を失った。最も親しい人を失ったとき、人の悲しみというものが如何に深く、そして如何にせつないものであるか、身をもって知った。人の感情とは一体何なのだろうか。外からの刺激、入力に対応して脳が考える間もなく反応する、つまりこういう入力には喜ぶとか、怒るとかを、あれこれ思考して反応するのではない。Wikipediaによれば、「感情と思考や認知は、たとえその人が意識にのぼらせなくても密接に関係し合っている」と説明されている。無意識のうちに反応するのである。

 

  こういう感情の回路は、ほぼ4歳までに形成されるとしている。三つ子の魂百までもである。感情のなかでも不安・恐怖・怒りなどは哺乳動物全般に見られるが、人が抱く社会的不安・恐怖・怒り等とは異なり、進化過程で獲得された刺激と行動だと考えられている。感情と思考・認知については、未だに未解明な部分が多い。例えば、落語を聞いて笑う、音楽を聴いてうきうきした気分になるなどのメカニズムは良く分かっていないのである。生活文化における「情」については、同様にWikipediaでは、「他人の感情を深くくみ取り(感受性が高い)、場合によってはそれに伴った感情を態度(涙を流すなど)や行動に表すほどに心が豊かな事を「情に厚い」という」と解説している。

  最近の脳科学では、ドーパミンやオキシトシンという脳内ホルモンとその神経系が解明されつつある。ドーパミンは、快楽とかやる気にかかわるホルモンであるが、その神経系をドーパミン神経系といい中脳から大脳まで軸索が直接延びているらしい。つまり、いくつもの神経系を経由して大脳に伝わるのではなく、快楽系の感情は大脳に直接伝達されるという。無意識的認知なのである。

  怒りや、悲しみに関する伝達系は、分からないが、感情に関係する神経系(中脳)がドーパミン神経系と同様の経路をたどるとすれば、ほとんどが無意識に反応することになる。朱熹が説いた感情の論理的制御というものは不可能であり、王陽明が言うように感情と意識(考える)の繰り返し学習によってのみ制御できるとするのが正しいということであろう。哲学というものの大方は、現代脳科学の発達によって多くの間違いが指摘されつつある。古典的哲学をそのまま信じてはならないのである。

 

  感情の中でも「悲しみ」ほど、人に与える影響の大きいものはない。身体に危険を及ぼすような恐怖感は、人間だけが持っているものではないので、人が知的生命体として存在しうる最大の要因は、この「悲しみ」の感情を有していることだと、私は確信した。

 

  孔子の母親は、巫女だったと言われている。巫女と言うと、怪しげな祈祷師と思われがちだが、現代の祈祷師とは違う。葬祭全般を司る、いわば坊主と葬儀屋を兼ねた存在である。2,500年前の中国の宗教は、祖霊崇拝、陰陽五行説等が混在した土俗宗教だったと思われる。中国だけではなく、西欧、中東においても似たりよったりであろう(エジプトの太陽神、ギリシャの多神教、ユダヤ教、ゾロアスター教、インドの仏教・ヒンズー教等が同時代の世界の代表的宗教である)。儒教の「儒」とは「儒家」を意味しており、葬祭を行う集団のことである。

  孔子は、この母親に育てられ、もの心ついた頃までに多くの人の死とその悲しみに触れる母親を見ていたに違いない。孔子という人が実に情の深い人であったことは、論語にも表れている。弟子の顔淵が死んだとき、孔子は身を震わせて号泣(哭泣)している。孔子は、楽器を演奏し、音楽の素晴らしさに感動し、詩をこよなく愛した。また、おとむらいでは度々声をあげて泣き、近親者を死なせた人のそばで食事をするときにはあまり食べなかったというエピソードもある。

 

  人の悲しみを深くくみ取り、その人に寄り添うことができる優しく暖かい心、これが「仁」の神髄なのである。

  「医は仁術」と言うが、まさにこの「仁」なのである。現代の医者に仁の人などいないということを、今回、私は身をもって知った。日本の医者だけではなく世界の先進国の医者は、おそらく似たり寄ったりの不仁の奴ら、小人に成り下がったか、もしくはサイコパスばかりが医者になっているに違いない。

 

  王陽明は、恐らくこの「仁」の意味を深く考え、その結果として「心即理」を説いたに違いない。儒教の神髄は、豊かな感性、人の悲しみに深く寄り添える心を持った人が、高い知識とつきることのない学習能力によってこの「仁」(感情とその制御)を経験的に高めることであると喝破した。それが「知行合一」なのである。

 

  孟子も四端の中で、惻隠の情は「仁」の始まりだと言っている。

 

  惻隠之心、仁之端也。羞悪之心、義之端也。辞譲之心、禮之端也。是非之心、智之端也。(孟子 巻第三 六章 四端「仁義禮智」)

 

  話は逸れるが、わが国の教育制度が立身出世の具と化したことを書いたが、孔子も論語の中で、「昔は、勉強は修己のためであったが、今や人に知られるために勉強する」と嘆いている。2500年前も現代も教育の難しさに変わりはなさそうである。

 

  儒教は宗教かと言えば、そうではない。弟子の季路が、孔子に神霊について質問をすると、孔子は、「人に仕えることもできないのにどうして神霊に仕えることができよう」と答え、死とは何かという質問に対しては、「生もわからないのに、どうして死がわかるのか」と答えている。人というものほど不思議でわけのわからないものはない。

  人間の脳は極めて不完全なものである。決して完全なものになることはない。何故なら生命体であるからである。

 

  長々と、「仁」について書いてきたので、安岡正篤の「日本の精神」に戻ることにしよう。

 

<日本民族の自覚・・云々>

 

  私が、参考にした「日本精神の研究」は、昭和12年版であり、初版に加筆したものである。昭和12年は、日本が大東亜戦争に突入する4年前であり、昭和5年の満州国建国、昭和6年の満州事変と、日本は中国だけではなくアジア全域にその手を伸ばしていた。欧米の植民地と化していたアジアの開放を大義とした。

  安岡は、本の冒頭で、「果たして現代日本にこの重大なる・・一国の問題ではなくして、亜細亜の、否世界的枢機を有する・・・時局を処理するだけの腕に覚えがあるであろうか。自ら顧みて色を失うことは無いであろうか」と警告を発する。

  昭和10年代の日本の状況を下記のように嘆いている。

  「現に今の風俗好尚は余りに華奢繊細ではないか。男子に意気も張りもなく、質朴簡素の体を去って浮華軽薄を極めている。・・・・線の細く弱々しいのが現代式である。女はまた奥ゆかしいたしなみを一般に失って了って、街を通るにもあさましく感ぜられる程濃厚な作りに、締まりの無い身ごなしで、無恥無節操を曝け出して居る・・・・・」

  「放縦自堕落、肉欲的退廃、利己主義的凶暴」の極みは、令和の今に始まったことでないのである。

さらに、近代工業化・分業化の結果として人間は極めて偏った部分人に化せられ、機械化し、商品化せざるを得なくなったと言う。現代的個人は、「兎角、木を根幹枝葉に分析観察して、木の生命を味わえない、書を点画に分解して、全体の風神を逸し去って了う。彼らから観れば家庭も親子兄弟の雑然たる、功利主義的集合である。国家も主権者と領土と人民との結合より以上の何ものでも無い。英雄も凡人も要するに生物学の法則に率う自然的存在に過ぎない。かくて彼等は自然法の下につながれた動物である。生命の法悦・霊魂の歓喜は与り知る所では無い」とも言っている。

 

  まさに令和の現代とよく似ているではないか。

 

  安岡の時代感覚は、飛鳥寧楽時代から現代までの全ての時代に共通に観られる一般的時代感覚である。しかし、明治維新以後半世紀を経ると、欧米から輸入された自然科学思想、西欧哲学、デモクラシー・平等主義といった政治思想、キリスト教的倫理感が国民思想の大半に及び、それも、断片的知識のみが一人歩きをしていることに、安岡は一般的時代感覚で済まされない感慨を持った。

 

  断片的な西欧思想=観念論(デカルト、カント、ヘーゲル等)的思考、分析的思考は、親子関係、家族・社会の絆さえも壊し始めていると、安岡は言う。「今や、欧州文明諸国は爛熟の極み退廃の路を急いでいる」とし、「我が日本が実に其の勃興の原動力であると」論じる。

 

  安岡は、西欧の分析的思想が分裂的社会を生み出し、自然科学を発達させたのに対し、東洋思想が直感的で体験的であるが故に統合的社会を生み出していると感じ、考えた。勿論、多神教ギリシャに始まる西欧社会が一神教倫理社会へと変化していった理由は説明されていない。実は、西欧が一神教社会へと何故変化したかを論理的に説明したものはないと言って良いのである。あえてこの点に絞って論究すれば、ギリシャの自然科学、自然哲学、政治哲学がその起源であると言える。つまり、「何故:Why」と物事を分析し究明していくと、物事は、タマネギの皮をむくように限りなく細かな部分に分割される。しかし、我々が目にしているのは、分割された物事や事象ではない。物事や事象は、本来分割された部品で構成されていることは、ほぼ間違いではないだろう。しかし、ひとたび人間と向き合うとなるとそうはいかないのである。人間の存在や行動をいくら分析しても、人間というものは分からない。分析的に人間を知るためには、人間というものを全て知っている全知全能の存在、「神」が存在すると仮定する必要があるのである。古代の知識層(哲学者)にとっては当然の帰結であったかもしれない。

  一方、東洋では、こういった思考形態をとらなかった。孔子、老子に始まる先人の直感と体験の解釈学へと傾倒した。東洋思想が自然哲学に至らなかった原因はここにあるが、何故、分析的思考形態をとらなかったのかはわからない。孔子、老子の思想が問題なのではない。孔子は論語の中で様々に徳を説いたが、人の精神の本質については何も説明していない。つまり哲学をしていないのである。人間とその社会は、分析的なアプローチでは何も得られない、不毛であると喝破したのだろうか。

安岡は、東洋思想に哲学が欠けていることを鋭く指摘しているが、一方では、西欧化した日本社会においては、統合的である東洋思想が重要であることを説いている。

 

<如何に生くべきか>

 

  安岡は、日本民族の理想的精神は「如何に生くべきか」にあると言う。さらに、「如何に生くべきか」は、「如何に死すべきか」と同義であるとも言う。突然として「如何に生くべきか」と問いかける。儒教の神髄を説き、自律的人格の形成へと論を進めたところで、「永遠の今を愛する心」と題して、「如何に生くべきか」と問いかけるのである。

  大正末期から昭和初期の日本は、朝鮮・台湾併合後さらに一歩進めて満州国建国へ突っ走り始めた時代である。安岡は、日本人よ覚悟はあるかと呼びかける。覚悟とは「平素における死の覚悟」だと。

一見、論理的飛躍とも見えるこの展開は、極限状況にまで至った日本の時代状況と密接に関係している。

  死の覚悟をもって時代に立ち向かうという精神がなければ、この時代状況を打破することはもはや困難な状態となっていたのではないだろうか。

  安岡は、「日本人は現世的である。死を軽んずる不思議な心理を持っている民族であるとは、始終見聞する事実であるが、その根底には是の如き真理がある。我々は死を覚悟するが故にこの生を愛する。知らず露の命いかなる道の草にか落ちんと観ずるが為に、露のひぬ間の時を惜しむ」と言う。ひぬ間とは乾くまでの間ということである。生きているということ自体、今、現実のことである。明日生きているかどうかはわからない。生きているという事実は過去でも未来でも無く、今なのである。明日、否、少し先にはもしかしたら死ぬかもしれないのである。生物学的に観ても、生命体の存在そのものが奇跡に近いのだから。

 

  安岡は、今を生きるという死生観として武士道を挙げて解説を進めている。

 

  この武士道について安岡は、様々に展開しているが、今回はここまでとしよう。

 

 

  あまりにも寂しいので、YouTubeを観ていたら、妻とともに良く歌った美空ひばりが沢山あったので聞いてみた。確かにうまいが、寂しさや悲しみを癒やされることはなかった。妻が亡くなる前に、「この子の歌はうまい」と言っていた歌手がいたので聞いてみた。島津亜矢である。哀愁列車、ギター仁義、浪曲歌謡等々、実にうまい。元気がでてくる。天性の声であろうか。声量のある高音部が、うるさくないのである。少しは音楽にも素養があると思っているが、一般的にボリュームがあると音楽がうるさくなり、ほぼ雑音となる。しかし、島津亜矢の声にはそれがないのだ。パバロッティ、マリアカラス等もそうである。この人の声は、人の感情に直接響き、それも心地よい感情を抱かせる。ありがとう。少し元気がでてきました。

  ただ、演歌歌手の方に申し上げたい。技巧におぼれないように。妙に崩してみたり、リズムを外したり、気持ちが悪くなるようなビブラートをかけたり、等々はしないようにお願いします。島津亜矢さんの音程や日本語の発音の確からしさ、歌い方はまさに技巧におぼれず見事に技巧を駆使しています。経験を重ねると、技巧に走るきらいがありますが、どうぞ若いときの正確な技巧を踏襲して下さい。パバロッティは若いときも歳をとってもその歌い方にほとんど変化はありません。彼が歌った曲は、全てカバー曲です。

 

 

  コロナは劇的に感染者数を減らしている。日本だけが減少しているが、コロナの遺伝子に変化はないとのこと。本当かなと疑っているのは私だけだろうか。

 

                                                    2021/10/24