この国の精神 緊急 コロナ後の世界と日本 | 秋 隆三のブログ

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昭和21年 坂口安吾は戦後荒廃のなかで「堕落論」を発表した。混沌とした世情に堕落を見、堕落から人が再生する様を予感した。現代人の思想、精神とは何か。これまで営々と築いてきた思想、精神を振り返りながら考える。

 この国の精神 緊急 コロナ後の世界と日本

 

  コロナがこのまま収束するのか、大規模な第二波がくるのか、世界中の誰にも分からない。これだけ科学技術が発達し、バイオテクノロジーが人類を救うと言われながら、最先端をいく科学技術者の誰も分からないのである。

 

<経済活動の再開・回復問題>

 

   何はともあれ、経済活動を再開しなければ、今度は経済でヒトが死ぬことになる。今回のコロナ騒動により世界の経済が2ヶ月以上止まったことで、これまで気にもしていなかったことに気付かされた。

 

(1)中国は世界の工場

 

   マスクが一枚も手に入らない。不織布の大半が中国で生産され、マスクも中国で生産していた。自動車部品、電気・電子部品どころかネジの大半が中国で生産しているのだ。サプライチェーンというが、チェーンどころではなく、中国一極集中といって良い状況になっていた。

 

 日本の企業が、中国に進出し始めたのは、バブル経済の崩壊後、円高不況に入った1995年頃である。日本よりもドイツ、フランスの方が先に進出していたかもしれない。産業の中国移転に対して、日本企業は、当初、かなり慎重であったと思われる。自動車、電子、工作機械、部品、食品等のほとんど全ての産業が慎重な姿勢であった。ところが、今回のコロナの蓋を開けてみると、日本産業の中国依存度は驚くべきものになっていた。企業の中には依存度が50%を超えている企業さえあり、平均すれば20数%に達しているではないか。中小企業に至っては、日本には本社機能しかなく、生産部隊は全て中国という企業も珍しくない。

 

 外務省「海外在留邦人数調査統計」平成30年度要約版によれば、海外拠点数(製造・販売等の支社・工場・現地法人の数であり会社数ではない)は、平成29年度では7万5千箇所、そのうちアジアには何と70%の5万3千箇所も集中している。さらに中国だけで43%の3万2千箇所にも達している。国内企業数、300数十万社に比べれば1割にも満たないが、売上規模でみれば15%は遙かに超えるだろう。それも、部品、素材等の中核製造品及び最終製品の大半は、国外で生産されている。この国は、輸入国に成り下がっていたのだ。

 

 経済界はとうの昔に知っていたし、政府も同じである。知らなかったのは国民だけだ。勿論、どんな商品を見ても中国製がほとんどなのだから、どうなっているのだぐらいの疑いは持っていただろう。たまに、国産の表示があっても部品や材料については表示されていない。当然、海外製部品・材料が圧倒的に多く、国内で組み立てているにすぎないかもしれないのである。

 

 こんなことをしている企業が技術を磨き、国際競争に勝てる製品を作れるわけがない。生産意欲さえ感じられない。

 

 海外拠点数の増加率は、平成20年に比べると中国では1.1倍と微増であるが、米国では1.5倍、インドは実に5.9倍、タイは2.9倍と中国以外ではかなり増加している。中国以外の拠点数の増加の要因は中国の人件費が上昇したためとしているが、米国の増加率が中国よりも高くなっているので、コストを拠点数の主要増加要因とすることは難しい。

 

 自由な経済・・グローバル経済・・こそがイデオロギーを駆逐し、いずれ共産主義国家も民主主義体制へと移行するという理想主義の危うさに経済界が気付き始めた結果なのであろうか。

我が日本の経済界がそれほど民主主義を重視しているとは俄に信じがたい。利益至上主義、市場拡大成長主義に凝り固まった我が日本の経済界がおいそれとグローバル経済から転換するなどはあり得ない。

 

(2)観光産業の回復

 

 最近の報道によれば、持続化給付金の事務処理委託事業で一般社団法人のサービス某という団体が20億円を中抜きしたという。それにしても、持続化給付金の事務処理にこれほどの事業費がかかるというのは腑に落ちない。

 

 さらに、補正予算ではGoToキャンペーン事業なるものが1兆数千億円も計上されており、これがこの社団法人の構成員である電通に発注予定であるという。

 

 ほぼ100%に近く営業が不可能となっている観光産業の救済のための資金であるにも関わらず、莫大な事業費が中抜きされるこの構造こそ改善されるべきであり、経産省は知恵を絞らなければならないのではないのか。それにしても、何故、経産省が国の直轄事業として、この種の事業を実施する必要があるのか。都道府県・市町村への委託事業は不可能だったのか。等々、わからないことばかりであるが、委託事業額が多くなれば複数の下請け構造が生まれることは常識であり、そこに管理名目で手数料が発生する。この手数料収入も産業の下支えであることに違いはないが、それが、経産省官僚の利権となると問題である。

 

 バブル経済崩壊後、構造改革の名の下に、中抜き構造の解体が行われた。社団法人、財団法人など省庁官僚の天下り先諸団体を整理したのである。こういった団体が官僚の天下り先であり、給与・退職金など方外な報酬が支払われていたということもある。しかし、かつて高度経済成長時代には、通産省某次官のように無報酬で新産業振興団体のトップを務めたといった事例もあり、産官学共同団体にはそれなりの大義があった。それが、肩たたき、早期退職という官僚人事の悪習に蝕ままれて天下り構造へと変質していった。

 

 産業の継続を下支えする政策は急務であるが、給付金支給などは情報システムの作り方一つでいかようにもなるものである。バブル経済崩壊後、情報化・システム化を何もしなかった結果が緊急事態への対応を不可能にしている最大の要因である。

 

 ところで、我が国観光産業の市場規模は、年間28兆円にものぼる。このうち、インバウンドによるものが17.2%、国内観光が78.5%となっている。8割の22兆円は、実に国内観光で占められているのである。アジアからの観光客が観光業を支えているというのは嘘なのである。インバウンドによる観光市場の伸びはこの7~8年であって、年間にすれば7千億円程度の成長額である。観光業の近年の成長にのって、新規参入や経営規模を拡大した宿泊業、運輸業、飲食業、小売り業が今回のコロナショックで大きな影響を受けた。

 

 観光業が景気によって経営を左右されることは今に始まったことではない。東京オリンピック後の不況、オイルショック、バブル経済など数え上げればきりがない。そのたびに、レジャーだ観光だ自然景観だと観光振興策に知恵を絞り、国民を煽ってきた。

 

 今回の対策もカンフルにはなっても、観光業に内在する基本的な問題解決になるものではない。対中国問題の顕在化によっては、中国からの観光客の激減さえ想定される。観光産業が安定的経営を持続するためには、国民一人当り所得を増やすことが何よりも重要となる。サプライチェーンを中国に依存しているこの国で果たしてこんなことが可能だろうか。

 

<財政問題と公共事業>

 

 第一次、二次補正を合わせて50兆円を超える財政出動となった。ところで、最近の異常な株高はどうしたことなのだろう。誰が考えても不思議な現象である。専門家なるものの解説によれば、中央銀行が債権を無条件に買い取っているらしい。米国FRB、日本銀行である。日銀は、既に、上場企業数十社の筆頭株主になっているという。所謂、金融緩和策の結果である。COVID-19の第二波、三波等、長期化したらどうするのだ。

 

 日本の金融政策の失敗は、バブル経済とその崩壊、リーマンショックなどで証明されている。金融緩和策は、一時的な株安の防止、金融支援に留まり、中長期的には金融機関の首を絞めるだけで、実態経済にはほとんど影響しないということは経験済みのはずである。アベノミックスの異次元の金融緩和策は、結局膨大な金余りと株高バブルだけで、賃上げ、設備投資、インフレにはほとんど効果がなかった。つまり、需要が増えないのである。技術革新によって次々と新製品が開発され、生活の利便性が高まり、輸出が伸びている高度経済成長期では、金融緩和をしなくても金融機関は日銀から金を借りて企業・個人に融資をするので市中の通貨量は増加した。しかし、経済成長が止まると融資先がなくなるので通貨量は減少する。こういった状況で日銀が通貨量を増やしたとしても、設備投資や消費がないのだから金が余ることになり、結局、株や債権、金融商品市場だけに留まってしまう。企業は、市場で調達した資金を元に中国やアジアに投資する。この投資先が問題である。必ずしも安全資産ではなくかなりヤバイ、ジャンク債に近い金融商品にまで手を出すことになるのである。実態経済を伴わない金融政策は、実態経済さえばくちなのだから金融経済はとんでもなくばくち的にならざるを得ない。

 

 今回のCOVID-19対策として、赤字国債による財政出動を行っているが、これは国の借金であり、将来世代が払うことになるという議論が起こっている。主流派経済学者とMMT(近代通貨理論)学者は、真っ向からぶつかり合っている。MMT学者でなくても、経済学を勉強したものであれば、主流派経済学(所謂新古典派経済学)に通貨理論が存在しないことは誰もが知っている。

 

 蛇足であるが、通貨には貨幣と日本銀行券(紙幣)の二種類があり、貨幣の発行権は政府、紙幣の発行権は日本銀行にある。

 

 政府紙幣の発行については、これまでも何度か議論されている。デフレ不況に陥った場合、国債は借金になるため国債ではなく政府紙幣を発行して公共事業を実施し、需要を創出するというものである。

ちなみに日本銀行は株式会社であり、株式の過半数以上は政府が保有している。現在、日本銀行は400兆円の国債を買い取っているが、これを連結複式簿記で政府会計の貸借対照表で記述すると、政府の貸借対照表資産部に日銀資産が計上され負債額の400兆円分が消えることになる。つまり、政府が発行する国債を日銀が全て買い取ると政府負債にはならないのである。日銀が政府の子会社でなければ、会計上はこういうことにはならない。通貨の発行権が、政府と日銀とは別だとしても実質的には政府に通貨の発行権があるのと同じなのである。

 

 そもそも国債という債券を政府が発行したのは、かつての金本位制の時代に由来する。金の保有量以上に通貨を発行しないというシステムでは、例えば戦争等の資金調達において金保有量を超える通貨が必要となると、国債を発行して市中から金を集める。金本位制は、歴史的には古いが第一次世界大戦以後に中央銀行制とともに金本位制が採用され、1978年に世界的に廃止されている。

 

 通貨量のコントロール基準は何かという問題である。政府がむやみやたらに通貨発行すれば、たちまちインフレに陥る。現在は深刻なデフレ状況にあるから、デフレを脱却するためには通貨を発行して公共事業や新産業投資・研究開発投資を積極的に行って需要量を増やしてインフレを促進する必要がある。MMT学派は、インフレ率を通貨量の基準にすべきだと主張する。

 

 話は変わるが、国内需要の創出のための公共事業とは何かである。戦後復興期から経済成長期の公共事業は、災害対策、道路・港湾・空港等輸送インフラ整備、生活インフラ整備、農業対策等の経済成長の促進のための産業基盤、生活基盤整備が主体であった。しかし、少子高齢化・成熟社会における公共事業とは何かである。

 

 地球温暖化対策と称する再生可能エネルギーの推進か。頼むから止めてくれ。農村部の耕作放棄地に見られる太陽光発電の景観のひどさ。何とも不気味な風力発電塔などは現代版ドンキホーテではないか。あんなものが膨大な電力需要を安定的にまかなえるはずがない。最近の報道によれば、ドイツは水素エネルギー政策に転換することを表明したそうである。そのとおりだ。太陽光、風力発電を利用して水素を生産するのだそうだ。沿岸部の風力発電による電力を南ドイツに送電するためには膨大な送電線網を建設しなければならない。それよりも水素燃料電池車の方が遙かに効率が良い。水素は、恐らく最終的なエネルギー源になるだろう。リチウムイオン電池車などは止めるべきだ。温暖化対策に何の効果もない。

 

 災害対策も重要である。最近の暴風・豪雨災害はこれまでの災害とは異なる様相を呈している。規模が大きいだけではなく、長時間続く豪雨は、これまでの災害記録にはなかったものである。線状降水帯と呼ばれる停滞した低気圧に高湿度の空気が流れ込み、いわばシャワー状態が長時間続く豪雨である。九州北部豪雨であるが昨年の関東直撃台風においても同様の状況が見られた。山間部ではほとんどなすすべがないのが実態である。数百箇所の小面積山腹崩壊が発生する。もはやこれまでの治山技術や砂防技術ではどうにもならないのだ。どのような予防的措置に効果があるか、調査研究が必要である。

南海トラフによる大規模地震の発生は秒読み段階に入ったと言うが、対策は遅々として進まない。高知県の沿岸部を見ると住宅が密集し連続している。高さ10数mの津波にどうやって対応するというのだ。

海外生産拠点の国内回帰を進める。そんなことができるわけがない。経団連は、これからも中国と仲良くやっていくそうだ。経済界が表立って中国から工場を移転するなど言えるわけがない。

 

 話は逸れるが、田舎に住んで20数年経つたが、ガスコンロ、ボイラー、レンジフード、電子レンジ等家電品の全てが一度に駄目になった。プロパンガスは、日本の農村部では農協がプロパンガス流通をほぼ独占している。ガスコンロを通販で買い、取り付けを農協に頼もうと相談すると実に横柄に、「2万円」ですと言われた。設置は自分でできるがガス管の接続には資格がいる。30分もかからない作業費が「2万円」である。仕方がないから民間のガス会社を探して費用を聞いたら「1万円」だという。何と半額ではないか。この農協のサービスというものが、農村部の生活費を如何に圧迫しているかは、この例だけではない。勿論、全国には、良心的にやっている農協もあるだろうが、どう考えても独占化しやすい農村地域における農協の弊害は極めて大きい。産業の地方移転の前に住みやすい山村づくりのためのきめ細かな施策が必要であり、そのためには、この農村生活に深くささりこんでいる農協なるものの組織改革がまず必要になる。これも公共事業の一つである。

 

 さて、電子レンジであるが国産のH社の電子レンジを購入した。価格は数千円である。安いモノは4千円程度からあるが中国製なので少し高いが国産にした。届いて製品を見たら、中国製ではないか。それにしてもひどいデザインだ。それよりも、蓋を閉めてタイマーをセットしたら自動的に稼働する。電源のオン・オフ・中断のスイッチがないのである。人間が行う通常の操作方法とは違う。スイッチの3つぐらい省略したからといって何ほどのコスト削減になるか。あきれてしまった。それにしてもひどいデザインだ。

レンジフードも自分で取り替えた。何という重さだ。今や、ドローンを電池で飛ばせる時代である。羽もモーターも少しは考えたらどうだ。

 

 家電品のひどさはこれだけではすまないだろう。もはや、国内で家電品のデザイン、企画・設計、生産等は一切していないのではないだろうか。家電品だけではない。家具、パソコン、調理器具、文具等々、生活に必要な製品のほとんどが海外、特に中国で生産されている。これでは、工業・商業デザイン力はおろか製品の企画力さえも育たない。ソフト技術の本質は、デザイン、設計、企画構想力にある。国内で最終製品までを生産し販売しなければ、最も風上にあるデザイン力や設計力という日本人のソフト技術つまり感性を磨くことができなくなるのだ。中国製よりも3割程度高くてもいいではないか。それだけ良質でデザインも優れている国産品製造・販売のための公共事業を考えよ。

 

 この国は、ものづくりの初めからやり直すのだとという覚悟が必要になっている。日立、東芝、パナソニックやシャープはどうした。家電品なんかやる気はないか。それであれば、ベンチャービジネスしか手はない。少しはやっているようだが、それを推し進める公共事業が必要だ。

 

 コロナ後の社会・経済について、様々に議論されているが、日米中関係がそんなに短期間に変わるわけがない。しかし、経済は、リーマンショックを超えるような不況となるだろう。これまでの公共事業のような公共物の構築の枠を超えて、新たなものづくり国日本のための公共事業でなければならない。新たなものづくりのためには、新たな精神が必要である。新たなモノづくりを求める「心」にたいする投資である。それは、一面において落ちるに落ちた文化・芸術の立て直しであるかもしれない。

 

<個人はどうする>

 

 政治・経済・社会等々、社会を動かし機能させるための仕組み・システムのことは、まあ、さておいて、ヒトは、コロナ後の社会にどう向き合えば良いのだろうか。どう向き合おうと、さして変わりはないと思う。しかし、これだけは言える。どんな状況にあっても、ヒトは何かと戦い、競い合うのである。金がなく、食えなくなれば、盗みを働いても生きることを選ぶ。盗みが罪であることを知っていてもである。それができなければ死ななければならない。ヒトが死ぬことは実に簡単なことなのだ。むしろ、生きていること自体不思議なのである。人間の生体システムというものは複雑なもので、長寿などは並のことでは達成できない。

 この間、夜遅くまで起きていたら、テレビから、「ファイト!、たたかう君の歌を・・」という曲が流れてきた。昔どこかで聞いたことがあるが、歌っている女の子の声がいい。細い声だが、途中でドスがきいてくる。思わず、聞き入ってしまった。何だ、中島みゆきの「ファイト」ではないか。歌っていたのは、満島ひかりという俳優だが、全く知らなかった。早速、楽譜を手に入れ、久しぶりにギターを持ち出して歌ってみたが、20年ぶりに弾くと全く弾けなくなっていた。それでも何とか無理をして歌えるようになった。吉田拓郎もカバーしているが、こいつはうまいぞ!。

 

 「ファイト」だ。これしかない。歌でも歌って、何とかするか。

 

                                                      2020/06/15