この国の精神 緊急 パンデミックだ! 危機に対するこの国の精神 | 秋 隆三のブログ

秋 隆三のブログ

昭和21年 坂口安吾は戦後荒廃のなかで「堕落論」を発表した。混沌とした世情に堕落を見、堕落から人が再生する様を予感した。現代人の思想、精神とは何か。これまで営々と築いてきた思想、精神を振り返りながら考える。

この国の精神 緊急 パンデミックだ! 危機に対するこの国の精神

<WHOとパンデミック>

  WHOがやっとパンデミックだと宣言した。このWHOなるものは一体全体何者なのだ! どこまで科学的な調査や検証を行って感染病の判断をしているかは、はなはだ疑わしい。国際的な健康医療情報の共有機関にすぎないのではないかと思われる。これまで流行した、インフルエンザやエイズ、エボラ出血熱、SARS等のウイルス対策において、役にたったことがあるだろうか。私の知る限り何も役に立っていない。世界の感染情報を集めて、どのウイルスが危険だと最初に警告を発する等は聞いたことがない。

  こういった役に立たない国際機関が「パンデミック」だと定義したところで何も変わらない。世界各国の公式情報は、今やインターネットを通してあるいは報道機関を通して瞬時に世界に伝わる。それならば、「パンデミック」かどうかを決めるのは、世界各国の研究機関や大学の研究者がネットで意見交換をして決めればいいではないか。そうすれば、この時期ではなくもっと早い時期にパンデミックについて警告を発することができたはずである。

  「パンデミック」とは、だれも制御できない状態のことである。感染者を100%隔離したとしても、感染を防ぐことができない状態である。感染者を100%隔離しても感染を止められないとはどういう状態なのだ。例えば、ある人の感染をチェックしたが陰性で感染していないと判定されたとする。しかし、実際は、感染していないということが100%断定できないということである。1000人の感染チェックをして900人が陰性であったとしても、そのうち、何%かは実際には感染していたということだ。一方、100人の陽性者のうち仮に80人が完治したとしても、本当に完治したかどうかの判定もできないということでもある。感染の有無を100%チェックできず、さらに感染病を治す薬がないということは、とりもなおさず「制御」できないということではないのか。

  今さら、「パンデミック」などと宣言するまでもなく、中国武漢市で新型コロナウイルスの発生が確認された段階で、海外との人的交流のある全ての国で関係者の検査を行い、全てが陰性と出れば、パンデミックにはならない可能性が検査精度程度には確認できるが、もし陽性とでればもはやパンデミックは止められないことは自明の理である。

  WHOは、機能不全を露呈しその役割を果たさなかった。責任の所在を明らかにし、責任を問う必要がある。そんなWHOに日本は150億円も支援すると言っているそうである。東京オリンピックのためか? 世界の健康を金で動かそうとするこの国の精神とは何なのだ?

<日本政府の危機対応>

  新型コロナウイルスに対する日本政府の対応は、対策本部に専門家会議が設置されたのが2月16日、医療機関の「受診の目安」を国民に向けて公表したのが17日、対策本部が「基本方針」を決定したのが25日、首相が初めて記者会見を開いたのは2月29日である。ダイヤモンドプリンセス号が、横浜港に着岸したのは、これらに先立つ2月3日であった。
私が、軽井沢から東京までの新幹線に乗ったのが1月27日のことである。軽井沢は、中国からの観光客であふれかえっていた。勿論、新幹線も中国人で一杯になっているし、東京駅のえもいわれぬ土産屋やレストランも中国人だらけであった。話は逸れるが、軽井沢から新型コロナウイルスの感染者が一人も出ていないのが不思議で仕方がない。軽井沢だけではなく、東京駅や日本の観光地であればどこでも同じである。

  日本の専門家会議の議事内容は一切公表されていない。公開すべきである。感染研にはとんでもないトップがいるようで、PCR検査装置を日本独自で開発しているから、ロッシュの検査システムの導入をしないとしたとか。厚労省には技官が沢山いるはずではないのか。専門家会議の提言によって対策の基本方針が決められるとすれば、今回の新型コロナウイルスへの対応戦略は専門家会議の案ということになる。

  感染検査の問題は唯一テレ朝だけが追求している。フジテレビも日本放送も読売も産経も何も言わない。この腐れきったジャーナリズム、報道精神は、とりもなおさず日本国民の精神がいかに腐っているかを如実に示している。

  検査を医師の裁量でやらせると医療崩壊が起こるとか、検体を誰が採取するのか、ただでさえ人で不足なのに検体採取のために人員を割けないとか、あきれて物が言えないような発言が堂々とテレビ報道で流される。

  検体採取に人手が足りないのであれば、募集すればいいではないか。検体採取ぐらい医師や看護師でなくとも誰でもできる。自衛隊、機動隊、衛生士等々、1日1万人ぐらいの検体ぐらいはすぐにでもその体制を作ることができるだろう。感染の危険性があるから、防護だけではなく危険手当を出す等の応分の報酬は絶対必要である。

  医療崩壊が起こるのがそんなに心配なのか。崩壊を起こしてみろ。ただでさえ我が国は人口当りの医師が少ないのだから、医療崩壊はすぐに起きる。現場の医師や看護師の皆さんへの負担が重くなるのはまことに申し訳ないが、医療崩壊を起こさせる必要があるのだ。この国は、医師の数を現在の倍程度にしなくてはならない。いい機会ではないか。国民皆保険制度だと自慢している政府に対して、この国の医療制度が如何に脆弱かを証明しろ。

  ちなみに、肺炎による年間死亡者数は12万人に上る。月平均1万人が肺炎で死んでいる。高齢者の肺炎は、基本的に助からない。高齢者が一端重症の肺炎になると仮に改善されたとしても、延命効果は僅かでしかないのだ。肺炎初期段階で投薬効果が発揮できなければ完治は不可能である。だから、高齢者の重症肺炎患者には何もしないで放置しているのが、今の医療の現実なのだ。

  厚生省は、1月以後の肺炎死亡者について、インフルエンザ、細菌性、誤嚥性以外の原因不明の肺炎死亡者数を公表しろ。これしか、日本における新型コロナウイルス感染者数を推定する方法はない。何とも情けない政府である。

  ネットニュースのBusiness Insider Japanに、中国のSARS封じ込めを行った鍾南山氏の談話が載っていたので紹介しよう。鍾南山氏は、感染症の専門家であるが、権力者に対しても自説を展開し、命をかけても守り抜くという気迫と信念が感ぜられる人である。彼の判断の全てが正しいとは言えないが、日本の感染研や専門家委員会の副委員長などの、にやけてわけのわからないことを言っている専門家とは月とすっぽんの差である。

  鍾南山氏は、1月18日に武漢に入り20日に専門家委員会を立ち上げ、「如何に短時間に新型コロナウイルスとインフルエンザを識別すべきか」を検討したという。日本の専門家委員会委員なるものがダイヤモンドプリンセス号に調査に入ったなどの話は聞いたことがない。PCR検査だけでは、感染の時期を推定することができないことから、新型コロナウイルスの抗体検査にIgMとIgG(免疫グロブリン)を入れたそうだ。「IgM抗体が陽性を示すなら、感染して日が経っておらず、IgG抗体が陽性なら、少し前に感染したか、感染したことがある」ということが判定できることを突き止めたという。PCR検査だけではなく、抗体検査も同時におこなっていたのである。さらに、「感染した患者の体内のIgG抗体が4倍以上に増えたことが確認されると、その患者は治癒後に再び感染・発病しない」と判断したそうである。しかし、感染者が治癒後再陽性になったときに、もう一度他の人に感染させる可能性があるかについてはまだわからないとしている。

<人は危機において本性がでる>

  今現在も、新型コロナウイルスの感染検査は進んでいない。医師が必要と判断しても、相談センターなるものが検査を拒絶する。首都圏、都市圏等を中心に検査センターを千箇所~二千箇所程度設置し、1万人~2万人の検体採取要員を確保するといった体制を早急に整備しろ。

  たとえ、感染者数が増えたとしても、それによって医療崩壊になったとしても、断固として感染検査を行うべきである。それが、パンデミックを終息させる唯一の道であるからだ。

  このごく当たり前の施策さえ選択できなかった日本の精神、政府、政治家、官僚、専門家の精神は、クズ以外の何物でもない。自民党の中からさえ声があがらない。野党に至っては最悪を通り越している。危機的状況は、人の本性をあらわにする。

  孫某とかいう経営者が100万人の検査を提供すると申し出たが、医療崩壊を招くと批判されて提案を撤回し、マスク100万枚の提供に切り替えたという。何とも、情けない話だ。検査の徹底こそがパンデミックを解消する唯一の方法だという確信さえなく、世間の気を引く言動をまき散らす。ハイエナのごとく金のあるところを探し回り、企業の転売でのし上がってきた、悪しき欲望の資本主義が生み出した典型的な男である。確固たる信念、精神を持ってパンデミックに立ち向かうなどという高邁な精神等は微塵も感じられない。検査を申し出たからには、医療崩壊は覚悟の上のはずである。ならば、医療崩壊とも立ち向かう覚悟を持て。

  一国の総理大臣ともなれば、このような経営者とは一線を画すかと思えばさにあらず。東京オリンピック開催と自らの政権擁護に確執し、感染検査を行わず、感染者数の増加をまさに恣意的に隠蔽する。新規感染者数は、未だ減ることなく発生している。感染者が増加の一途をたどり、肺炎で苦しむ国民が増えるなか、総理大臣は、連日、会食・談笑、茂木外務大臣はゴルフ、小泉のクズは地元支援者とのパーティだったそうだ。

人は危機になると本性を表わすは真理である。

  ところで、最近の報道によれば、渡航した日本人の感染が確認されている。日本では感染検査をしていないため、これから日本人の渡航が厳しく制約される可能性が高くなると想定される。感染検査をして感染者数が減少に向かえば科学的にもある程度信用されるが、検査をしないで感染者数が少ない等は、何の科学的根拠にもならない。

日本医師会の診療拒否の通知

  医師は、医師法第1 9 条第1 項により、診療を拒否する「正当な事由」なしに、診療を拒否することができないと定められている。これを医師の「応招義務」という。日本医師会の3月11日の全国都道府県医師会に対する通知には、驚くべき内容が記載されていた。病院や医院のドアの外に、下記のような張り紙を出すように指導しているのだ。
  新型コロナウイルスの感染が疑われる場合は、当院は診療しないといっているのと同じである。病気で病院に行く患者が、何が原因かわかるはずがない。だから病院に来たのではないのか。日本医師会の通知は、明らかに医師法違反を指導している。それよりも何よりも、医療の精神を放棄したと言える。

 



<新型コロナウイルスの恐怖>

新型コロナウイルスが何者かが少しづつ分かってきたようである。

新型コロナウイルスの感染の仕組みは二種類存在する。

  一つは人の細胞の表面に存在するACE2(アンジオテンシン変換酵素2)受容体を経由して細胞内に侵入する仕組みである。新型コロナウイルスの表面にはスパイクタンパクと呼ばれる突起状の、つまり鍵に相当するタンパクがあり、これが人の細胞の表面に存在するACE2という受容体(碇)にはまり込むができる。受容体と結合すると通常は、タンパク質の情報、つまり細胞に情報が伝達されて活性化する。バインディングプロテインの機能として説明される現象である。ところがウイルスの場合には、はまり込んだウイルスを細胞が取り込む。コロナウイルスの特徴であり、SARS以来よく知られている。このACE2受容体は、若い健常者には比較的少ないが、高齢者ほど多くなると言われている。そのため、60歳以上の高齢者が感染すると重症化しやすいというのである。

  しかし、この新型コロナウイルスにはもう一つ、人の細胞に侵入する仕組みがあることが発見された。それがHIVに似た変異を発見したという報告である。この侵入の仕組みは、人には必ず存在するタンパク質分解酵素の一つであるフーリンという酵素を利用して細胞に侵入する。ちなみに、フーリンという酵素は、末梢性の免疫寛容に重要な役割を果たしている。この酵素は、新型コロナウイルスの表面にあるスパイクタンパクを分解して、直接細胞とウイルスを接触させる役割を果たす。そのため細胞は容易に新型コロナウイルスを取り込んでしまう。フーリンの量は、基本的には年齢に関係なく存在し、成長期・若年層で多いため、若いから新型コロナウイルスにかかりにくいということにはならない。

 この二種類の侵入方法のうちどちらの感染力が強いかと言えば、ACE2受容体の方が感染力が強いかもしれない。しかし、ウイルスの曝露量が多くなると、若い人ではHIVの感染と同じ経路をたどることになり、肺炎だけではなく、免疫不全、多臓器不全という重篤な症状になる可能性が考えられるが、まだ明らかにはなっていない。

  新型コロナウイルスの変異についても少し分かってきたようだ。遺伝子配列タイプの多変量解析の信頼性を確保するにはサンプル数が少なすぎる。


<くさいものには蓋をする 見たくない物は見ないというこの国の精神>

 感染検査を恣意的に実施しない日本政府、診療拒否を公言する医師会、厚生労働省・感染研に対して意見さえ言えない専門家なる知的集団、そしてこの不条理・不合理に対して物言わぬ国民とジャーナリズム、この国の精神とは何なのだ。

 無性に腹が立つのは私一人か。

 感情を抑制し、理性的に判断すればするほど腹が立つ。

 くさいものには蓋をするのは、この国の伝統的精神である。この国民的精神が、第二次世界大戦を引き起こし、国家をどん底にまで落とした。だから、政治家がこれをやり始めたら、全体主義に陥るのだ。腐っていれば取り除き、新鮮な状態にするのか政治ではないのか。社会全体が腐れきる直前の状況に陥った。政府・官僚組織の腐れ状況は、もはや表面だけにとどまらず内部深くにまで達している。

 70歳を過ぎた老夫婦が、酒池肉林のクルーズ船旅行だ、ナイル川クルーズ旅行だと金を使う。「後は野となれ山となれ」とやりたいことをやるという気持ちは分かる。日本人だけではない。アメリカ人などは典型的な人種だ。あのディズニーランドというわけのわからない気狂いじみた遊び場を作り出す人間達なのだから。
 それにしてもだ、70歳を過ぎて金があるなら、自然豊かな田舎に行って静かにいい本を読み、いい音楽を聞いて、残りの人生に一筋の光明を見つける気にはならないのか。この国が滅ぶのは、少子化が原因ではない。65歳以上の年寄りの精神である。国家が滅ぶのは、若い人に原因があるのではないのだ。年寄りが如何に自らの精神と向き合い、より高みを目指しているかにかかっている。経済などは二の次なのである。

                                                       2020/03/15