堕落論2018  恐怖の思想-地球温暖化の恐怖 1- | 秋 隆三のブログ

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昭和21年 坂口安吾は戦後荒廃のなかで「堕落論」を発表した。混沌とした世情に堕落を見、堕落から人が再生する様を予感した。現代人の思想、精神とは何か。これまで営々と築いてきた思想、精神を振り返りながら考える。

                 堕落論2018  恐怖の思想-地球温暖化の恐怖 1-
                                                                                    秋 隆三
 
  マイクル・クライトンという作家をご存知だろうか。映画「ジュラシック・パーク」の原作者、テレビドラマ「ER緊急救急室」の脚本家と言えばおわかりだろう。クライトンが2004年に発表した「恐怖の存在」という小説がある。環境テロリストの暗躍とその謎の究明をテーマにしたサスペンスで、結構面白い。この本の下巻387ページに「作者からのメッセージ」という一節がもうけられている。クライトンは、この本を書くために、3年間、環境問題の関連書を大量に読み込んだという。私も、1990年から環境問題に足を踏み入れた。1997年12月には、京都でCOP3が開かれ京都議定書が採択されたから、2000年前後は、地球温暖化問題が世界的なテーマとして浮上した時代である。
 クライトンの小説「恐怖の存在」は、地球温暖化という誰もその真実を究明できない問題に我々はどのように向き合うべきかを問うた。「自由にものが言えない」時代の到来である。
 この「自由にものが言えない」という風潮は、私感であるが2000年前後から始まったと思われる。1989年のベルリンの壁の崩壊、その後のソ連共産主義体制の終焉により、自由主義経済が最善のものであり、資本主義の勝利だという主張。そして到来した環境至上主義の時代である。今や、世界的に「自由にものが言えない」は、当たり前になりつつある。自由主義はどこにいった。
 
 クライトンの「作者からのメッセージ」を要約すると次のようなものである。
<地球温暖化問題について>
 ○二酸化炭素の増加は、人間の活動にその原因がある。
 ○地球の気候は、小氷期(1850年頃に終わった)以後、温暖化に向かっていて、現在もその過程に
     ある。
 ○現在の温暖化が、自然現象なのか、人間の活動によるものなのか、誰もわからない。
 ○これから温暖化がどれだけ進むか誰もわからない。
 ○温暖化は人間の陸地の利用によるものだ。
 ○気象モデルにより政策を決定する前にモデルの検証に時間をかけた方が良い-10年か20年-
<化石燃料について>
 ○200年間「資源枯渇が目前に迫っている」と言っているが、このような警告に惑わされ、信じている
     人間は少し変だ。
 ○資源枯渇が人間の様々な計算に根深く浸透していることは確かだ。
 ○温暖化問題がなくても、化石燃料から別のエネルギーへの切替は、来世紀には進むだろう。
 ○2100年の人口は、現在よりも減っており、22世紀にはもっと豊かになり、より多くのエネルギーを
     消費し、ずっと豊かな自然を満喫している。
 ○こういった問題を心配する必要はない。
<安全について>
 ○安全に対する現在のこだわりは、ヒステリーに近い。
 ○このこだわりは、資源の浪費であり、人間の精神を萎縮させる。
 ○最悪の場合、全体主義に通じかねない。この点を啓蒙する必要がある。
<環境問題について>
 ○持続可能な開発や予防措置等の環境基本方針は、先進諸国の経済的優位性を維持し、発展途上
     国に近代帝国主義の尻ぬぐいをさせるものだと結論する。
 ○予防措置は自己矛盾だ。予防措置を適切に運用した場合、予防措置自体を実行できなくなる。
 ○環境問題に対する人々の純粋な善意が蝕まれている。偏見、意図的な考えの歪曲、もっともらしい
  理由付け、きれいごとでごまかした私利追求、意図したとおりに進まないこと等があるため。
 ○世界は変化している。しかし、イデオロギーと狂信者は変わらない。
 ○科学はすさまじい変革の中にあり、進化と生態環境に関する考え方は大きく変わったが、いまなお
  環境活動家は、1970年代の知見と論法にこだわっている。
 ○自然保護の方法はまったくわかっていない。フィールド研究の形跡は見当たらない。足を引っ張っ
  ているのは環境保護団体だ。デヴェロッパーといい勝負だ。違いは強欲か無知かという点だけだ。
 ○生態系を訴訟で管理することは不可能。
 ○自然環境ほど政治的なものはない。環境を安定的に管理するためには、全てのステークホルダー
  の参加を認めなければならない。
 ○政策研究には、研究者が公平中立を維持し、ひもつきでない資金を使える仕組みが必要。
 ○公正で偏りのない研究成果を許容する出資者など、この世には存在しない。
 ○環境の開発者には、環境保護団体、政府機関、大企業が含まれる。これらの全てが等しくスネに
  傷を持つ身だ。
 
 地球温暖化問題は、政治、経済、社会、環境、科学技術という、いわば人間の活動の全ての分野が引き起こしている問題であり、その構造は極めて複雑である。行き着く先は、「進歩とは何か」という思想的・哲学的問題となる。そこへ行く前に、まず、地球温暖化問題とは何かから始めよう。
 
☆地球温暖化問題とは何か☆
 
 地球温暖化が問題となるのは、1988年にIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が設立された以後であると考えられる。温暖化ガスに関する学術的研究は、1930年代には既に研究論文が発表されているので、二酸化炭素やメタンガスの温暖化効果は、既知のものであった。政治的に大きく取り上げられるのは、1992年のリオ会議(地球サミット)で採択され1994年に発行された気候変動枠組条約以後のことであると思われる。具体的な削減目標が設定されたのは、2007年の京都会議(COP3:第三回気候変動枠組条約締約国会議)である(京都議定書)。以来、以来2017年のボン会議まで23回(COP23)開催されている。環境問題に関する国際連合の取組は、少し複雑であり、公害、生物多様性、湿地の保存等多岐にわたっている。環境問題をこれだけ細分化し、誰が何をしようとしているのかが非常にわかりにくい。ここらへんにも、環境問題を政治的・経済的に利用しようという意図が感じ取れる。
 さて、それではこのような国際的な問題として取り上げられる地球温暖化問題とは何かである。大まかに次のように整理されよう。
 
 (1)大気中の二酸化炭素濃度の上昇は人為的なものか?
 
 産業革命以後、化石燃料の消費量が急激に増加した。と同時に工業化の発展・経済成長、農業革命等により人口、化石燃料の消費量が急激に増加した。人口増加、経済成長により農地開発、都市開発、森林減少が進み、これらが原因で大気組成の二酸化炭素濃度が上昇した。以上のことはほぼ確かであるが、二酸化炭素排出量には構造的な問題があるのではないのだろうか。二酸化炭素排出量と大気中の二酸化炭素濃度との関係を見てみよう。
  ①世界の二酸化炭素濃度の推移を、電気事業連合会が公開しているグラフ(図-1)で見てみよ   う。
              図-1 二酸化炭素濃度、排出量の推移(電気事業連合会HPより引用)
 
    産業革命以後の1900年頃の二酸化炭素濃度は300ppm程度であったが、第二次世界大戦以後急激に増加し、2006年には382ppmにまで上昇した。2018年の最近の発表で400ppmに達したと報告されている。化石燃料の消費量及び二酸化炭素排出量は、第二次世界大戦後に急激に増加した。このグラフをみると、化石燃料の消費に伴う二酸化炭素の排出量の増加と大気中の二酸化炭素濃度の増加には明らかに関係性が見られる(相関がある)。
    ②人口増加についても図-2で見てみよう。2050年、2100年の人口は推計値である。
    1800年代の人口は10億人程度であったが、第二次世界大戦以後急激に増加し、現在では70億人と約200年で7倍となった。最近の発表では、今世紀末には112億人になると予想されている。
                                 図-2 世界の人口
 
  ③以上の三種類のデータをみると、「人口の増加によって化石燃料の消費量が増加し、それと同時に化石燃料に起因する二酸化炭素排出量が増加した。その結果として大気中の二酸化炭素濃度が増加した」と解釈することができる。しかし、本当にそうなのだろうか。つまり、人口の増加が原因なのだろうか。化石燃料の消費増大の要因は、単純に人口増加だったのか。
   これらの単純なデータだけからでは判断は難しいが、推理の方法はある。図-3は、これまでのグラフを人口1億人当たりの二酸化炭素排出量と二酸化炭素濃度に置き換えたものである。グラフから数値を読み取っているので相当な誤差があることはご容赦願いたい。
 
               図-3 人口1億人当たりの二酸化炭素濃度及び化石燃料からの排出量
 
    化石燃料に起因する人口1億人当たりの二酸化炭素排出量は、1850年と比較すると2000年には12倍以上となっているが、大気中の二酸化炭素濃度は、2000年には1850年の1/3程度に減少している。化石燃料由来の二酸化炭素排出量は、人口の増加速度以上に増加しているらしい。特に、第二次世界大戦以後現在までの人口1億人当たりの排出量はかなりの速度で増加している。一方、人口1億人当たりの大気中二酸化炭素濃度は、1850年以後一貫して減少である。二酸化炭素排出量が増加し、大気中濃度が減少しているということは何を意味しているのだろうか。考えられる要因は一つだけである。化石燃料使用量が人口の増加に比例して増加していないことが図-3という結果の原因と考えられる。つまり、人口増加に見合うだけの化石燃料を使用していれば、大気中の二酸化炭素濃度もそれに比例して増加しなければならないが、そうはなっていないことによる。図-3のような静的な分析では、ここら辺の状況を把握することは難しい。そこで、動的、つまり時間の変化量で分析してみよう。図-4は、50年間の変化量として、年間二酸化炭素排出量、二酸化炭素濃度、人口の各増加量を基に、増加人口1億人に対する排出量、濃度の増加量をグラフ化したものである。
 
        図-4 人口1億人の増加に対するCO2排出量、CO2濃度の増加量
 
    図-4のグラフから、二酸化炭素排出量の50年毎の人口1億人当たり増加量は増加傾向を示すが、二酸化炭素濃度の増加量は、1950年までは同様に増加傾向を示すが、1950年以後は減少に転じている。このことは、排出量増加分の増加率が、1900年は1850年の2.4倍、1950年は1900年の1.7倍、2000年は1950年の1.5倍と、排出量の増加率が鈍化しているのに対して、人口増加量増加率は、1950年は1900年の1.6倍、2000年は1950年の4倍と極端に増加した。このことが、図-4の人口1億人当たり二酸化炭素濃度が1950年以後減少となる原因である。
    化石燃料の消費量が鈍化している要因は、イノベーションによって燃料の消費効率が高まっていることが挙げられるが、それ以外に人口増加の背景も要因となっていると考えられる。人口増加の構造に問題がありそうである。1950年までは、排出量の増加と二酸化炭素濃度は、ほぼ連動して増加している。このことは、産業革命以後、1950年までは、主に工業先進国で人口が増加していたと考えられる。ところが、1950年以後は、発展途上国、低開発国で人口が増加し、化石燃料の主たる消費国である先進国での人口増加はあまりなかったのではないかと推測できる。先進国は、化石燃料を使って生産した商品を低開発国に輸出する。低開発国は、先進国から開発支援を受けて豊かになり、栄養状態が向上して人口が増加する。人口増加の構造は1950年を境に変化したと考えられる。グローバリズムという資本主義の拡大は、人口構造に影響を及ぼし、化石燃料の消費構造にも影響を及ぼした。人口増加と経済成長に関するグローバルな研究が必要である。
 
  (2)化石燃料由来の二酸化炭素排出量はどの程度大気中に残留するのか?
 
 化石燃料由来の二酸化炭素排出量の全てが大気の二酸化炭素濃度に反映されるわけではない。海水に吸収され、海水循環をとおして地球内部に入り分解される。二酸化炭素排出量のうち大気中にとどまる割合は、50%以下だと言われている。
 そこで、1900年から2000年までの100年間の二酸化炭素濃度の上昇分に相当する二酸化炭素重量は、その間の石油消費量のどの程度に相当するかを試算した。算出方法は、気体の状態方程式(高校化学程度の知識)と簡単な数学だけである。問題を単純化するために、下記のような条件で計算することとした。
      <試算条件と結果>
    ☆図-1のデータを利用し、二酸化炭素濃度の増加分を下記のように算出する。
       1900年の二酸化炭素濃度:300ppm
              2000年の二酸化炭素濃度:400ppm
                1900年に比べて2000年には100ppm増加したとして、増加分の二酸化炭素重量を算
        出する。
          ○二酸化炭素が大気中に拡散する場合の標高は、最低で5千m、最高で1万m。        
      ○大気圧は二酸化炭素の拡散層厚5千mの場合、平均800hPa、1万mの場合、
        平均600hPa。
      ○二酸化炭素の拡散層厚が5千mの場合、平均温度は絶対温度273度、1万mの場合は
        258度(地球表面の平均気温は15度C)。
      ○算出結果(二酸化炭素の増加分100ppmの重量)
        拡散層厚5千mの場合:約3千億t
                        1万mの場合:約4千7百億t
                                   平均すると約4千億t
    ☆図-1のグラフから化石燃料由来の二酸化炭素排出量について1900年から2000年まで
    の排出量の総量を算出する。
      ○グラフから1900年、1950年、2000年の数値を読み取って単純グラフ化して算出。
      ○1900年~2000年二酸化炭素排出量の合計は、約9千百億t。
    
    以上の試算結果を考察すると下記のとおりである。
    ☆1900年から2000年までの二酸化炭素濃度は100ppm上昇し、この増加分の二酸化炭     
      素重量は約4千億tである。
    ☆1900年から2000年までに化石燃料に由来する二酸化炭素排出量増加分は
      約9千百億tである。
    ☆1900年から2000年までに地球上で排出された二酸化炭素の約42%が大気中に残留し、
      残りの58%は海水等に吸収されたかあるいは森林・植物の光合成により吸収されたと推測
      される。
    
 化石燃料に依存したエネルギー利用を、仮に1950年ベースにまで落としたとしても、大気中の二酸化炭素濃度は確実に上昇する。2000年現在(400ppmとして)、大気中には、約1兆6千億tの二酸化炭素が残留しており、自然条件化では新たな二酸化炭素の排出量をゼロにしない限り、二酸化炭素濃度が減少するとは考えにくい。仮に、化石燃料の使用量をゼロとした場合、二酸化炭素濃度を1900年ベースの300ppm程度まで落とすには、どれほどの年数が必要かという試算はどこにも見当たらない。試算してみよう。1900年から2000年まで大気中の二酸化炭素は4千億t増加した。海水等に吸収された二酸化炭素は、排出量増加分からこの4千億tを差し引いた5千百億tである。100年間で吸収したので100で割ると、年間51億t吸収可能である。大気中の二酸化炭素増加分の4千億tが年間51億tづつ吸収されるとすれば、約80年となる。今後、化石燃料の使用量をゼロとしても、1900年の二酸化炭素濃度にまで落とすためには80年を要することになる。ということは現状の二酸化炭素濃度を維持するためには、毎年の化石燃料使用量を二酸化炭素排出量51億tベースとなる1950年代にまで落とさなければならない。現在の使用量を80%減少させるということになるだろう。二酸化炭素の吸収のメカニズムは未だわからない点が多く、こんな単純な計算では無理かもしれないが、現代のグローバルな経済状況をみると、二酸化炭素濃度を現状ベースで維持することなど到底不可能である。二酸化炭素濃度は、化石燃料の消費を止めない限り増加し続ける。これがティッピング・ポイントということである。もはや、パリ条約ごときの二酸化炭素排出量抑制策では、大気中の二酸化炭素濃度を低下させることなどは不可能なところまできたということだ。
 それにしても、IPCCや環境省というのは地球温暖化について何とももどかしい表現しか使っていない。研究者の論文やレポートにしてもそうだ。高校レベルの数学、簡略化すれば中学レベルの化学と数学の知識で、化石燃料の消費量が二酸化炭素濃度に及ぼす影響を推定することができるにも関わらず、専門的用語、わけのわからない都合の良いグラフをひけらかして、環境問題の専門家が言うのだからまかせておけという。傲慢である。これこそが、知性の堕落なのである。
 
 (3)地球は温暖化しているのだろうか?
 
 さて、大気中の二酸化炭素濃度は、400ppmを超えていると推定されるが、それではこのことが原因で地球全体が温暖化しているのだろうか。地球の平均気温の変化を、図-5のグラフで見てみよう。
このグラフは、気象庁が公開しているものであり、地球の年平均気温(陸域における地表付近の気温と海面水温の平均)の偏差を示している。赤線は、直線で回帰したものであり、100年間で0.73℃上昇したことを示している。
  このグラフからわかることは以下の三点だけである。
  ①1900年以後、確かに、地球の年平均気温は、上昇傾向を示している。
 ②しかし、何故か、1950年前後から30年間だけは、ほぼ変化のない安定した期間を示している。
  1950年前後は、前述のように化石燃料の消費量が増大する変曲点に当たっている。
 ③1915年頃から1935年頃までの20年間は、一定率で上昇している。

 
 以上のことと二酸化炭素濃度の上昇との関係は、このグラフだけでがわからない。
                         図-5 気象庁が公開している地球の年平均気温
 
 そこで、二酸化炭素濃度と年平均気温との関係のグラフを探した。図-6のグラフは、小川氏(名古屋大学名誉教授)が作成した、二酸化炭素濃度、年平均気温偏差、太陽活動との関係のグラフである。このグラフをみる限り、1985年頃までは、二酸化炭素濃度と年平均気温との関係は、無関係である。むしろ、太陽活動と年平均気温との関係が見られる。1985年から2003年頃までの期間は、二酸化炭素濃度と年平均気温に関係がありそうであるが、2003年以後の年平均気温の低下は、太陽活動の低下と関係しているように見える。
                              図-6  小川氏作成の地球気温変化
 
 どうも、地球の気温は、この程度の二酸化炭素濃度の変化ではあまり大きな影響を受けないのではないかとも考えられる。

 図-7を見ていただきたい。このグラフは、ドームふじ基地(南極の4つの基地の一つであり氷床コアの調査地である)の分析結果を「東北大学大学院理学研究科大気海洋変動観測研究センター」のHPで公開していたものを引用した。過去35万年の氷床コアを分析すると、10万年~13万年の周期で温暖期となり、その間は氷期になっている。南極で温暖期と氷期の温度差は、15℃である。このことは、氷期には地球の年平均気温は0℃であったことになるから、ものすごく寒かったはずである。温暖期はせいぜい2万年程度しか続かず、急激に氷期に移行している。温暖期と氷期の変わり目は極めて短期間に起こっていることがよくわかる。このグラフから、現在の温暖期は既に終わっており、あと2~3千年(数百年後かもしれない)には、地球はものすごく寒くなるとも見て取れる。

 

                              図-7 南極ドームふじ基地の氷床コアの分析結果

 
 大気中の二酸化炭素濃度もメタン濃度も同時に上昇しているが、よくみるとやや気温の上昇の方が先行している。つまり、地球気温が上昇し始めると少し遅れて(数百年程度か?)二酸化炭素やメタンの濃度が上昇し始めることを示している。また、いずれの温暖期にも、二酸化炭素の濃度は300ppm程度がピークになっている。この二酸化炭素濃度は、南極の濃度であるから、地球全体の濃度、あるいは北半球の濃度となると、かなり高くなると考えられる。ひょっとしたら倍近くになるかもしれない。
 さらにもう一つグラフをみてみよう。図-8のグラフは、国立極地研究所が公開しているグラフである。グリーンランドの氷床コアの分析結果である。
              図-8 グリーンランドの氷床コアの分析結果による地球温度の変化
 
  一番下のグラフは過去4000年の変化を示したものだが、紀元前2000年頃から1000年頃までの3000年間は、かなり高温であった。1000年頃から現在まで小氷期に近い低温期であったが、最近はやや高温期に入っている。それでも1300年前(奈良時代頃)の高温期に比べたらかなり低い。
 公開されているデータからみると、地球気温の変化を100年程度の短期的変動で推定することは難しいことがわかる。勿論、統計的な気象観測というものが確立したのは、せいぜい50年前ぐらいだから、それ以外は、全て推定やシミュレーション、氷床コアの分析に依らざるをえない。大気中の二酸化炭素濃度が高くなったから、地球気温が上昇したという因果関係を説明することは、極めて難しいことが、これだけのデータでもよくわかる。地球シミュレーションによれば因果関係が認められると説明する研究者がいるが、二変数間の相関を基にしたシミュレーションは信用できない。気候変動に関連する変数の数は、膨大なものであり、その関係は極めて複雑である。数学では三体問題(三変数間相互に関係がある場合)が解けないのは常識である。科学技術の恐怖はここにもある。
 
  地球温暖化と二酸化炭素濃度についてまとめてみよう
 
 さて、ここで、冒頭で取り上げた、マイクル・クライトンからのメッセージに戻ってみよう。まず、地球温暖化問題であるが、二酸化炭素等の温暖化ガスの排出量が増加してはいるが、これが原因で地球が温暖化していると断定するためには科学的根拠に乏しく、現段階では因果関係があるとした議論は正しくない。誰にもわからない。しかし、陸域の偏った土地利用(大都市への人口集中と化石燃料の大量消費)がもたらす様々な局地的気候変動は増加すると考えられる。氷床コアの分析等によっても、地球が寒冷化に向かうと考える方が妥当である。これも21世紀末に寒冷化するわけではない。数百年から数千年の間に急速に寒冷化するのではないだろうか。寒冷化の原因についても解明されていない。 二酸化炭素濃度が上昇するスピードは、現在の化石燃料消費量水準で推移するとした場合、年間2ppm程度のスピードで上昇する。しかし、酸素濃度は目立って減少しない。大気中の二酸化炭素量に比べて酸素量が圧倒的に多いためである。100年後には、二酸化炭素濃度は600ppmに達していることになるが、この程度の濃度では人体への影響はない。喫煙者の血中二酸化炭素濃度はこんなものではないだろう。さらに、大都市部の居住者の血中濃度も相当に高いはずである。問題は、エネルギー全体の利用量が、都市部を中心に急激に増加することだ。ヒートアイランド現象の影響である。地球がその前に一時的に寒冷化すると、大気中の二酸化炭素濃度は最大100ppmほど減少すると考えられるが、二酸化炭素濃度が500ppm以下に下がるとは考えにくい。化石燃料由来の二酸化炭素排出量を完全にゼロにするための方策があったとしても、使用エネルギー量が減少しない限り、地球は局地的に暖め続けられ、熱放射は増大する。二酸化炭素濃度が1000ppmになったとしても健康不安は少ないと言われている。当面、二酸化炭素濃度による問題はないと考える方が妥当である。
 
 地球温暖化と二酸化炭素濃度の増加は別問題なのか?
 
 以上のように、現段階では別問題であると考えた方が科学的である。地球温暖化というよりは、気候変動の問題である。今回のような記録的豪雨は勿論、大規模山火事、干ばつ等、世界で局地的に発生する気候変動は、予測さえ困難である。今回の記録的豪雨などは一週間前には予報さえ出ていなかった。気候シミュレータは、どうなっているのだ。アメリカの大規模山火事にしても予測さえ困難である。二酸化炭素濃度の増加と地球温暖化を結びつけ、さらには局地的気候変動にまで関連づけ、地球規模での対策をとろうとする背景には一体何が存在するのだろうか。
 今や、地球温暖化問題に異を唱えれば異端者である。それを考えれば、「もったいない学会」等はがっばっている方だ。IPCCは、二酸化炭素排出量を今世紀末にはゼロにすると言っているそうである。どんなエネルギーをもってそれを可能にするのか。そんなものは、科学的にまだ発見されていない。科学者からは、何の異論もあがっていない。そうであった、学者、研究者は、既に堕落しているのであった。地球温暖化問題、二酸化炭素問題は、誰も何も言えないという社会を地球規模で作り出した。かつての優生学と同じである。劣等な人間は、断種してしまえ。劣等人種は、皆殺しである。当時の巨大資本・企業はこぞって優生学を支持した。地球温暖化問題、二酸化炭素問題は、ナチのホロコーストの思想が、形を変えて出現したのである。グローバル企業が競って地球温暖化問題を取り上げているのも、当時と同じである。ナチと同じようにドイツ、イギリスを中心とした、優生学的思想の系譜だ。第二次世界大戦後、その思想は消滅したと考えられていたが、思想の根底は消えていなかった。

 
 地球温暖化問題の根は深いところにある。地球温暖化問題の第二弾は、資源枯渇問題に触れてみよう。ここにも恐怖が存在する。
                                                 2018年7月8日