堕落論2018 森友問題とは何か? -官僚制の堕落- | 秋 隆三のブログ

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昭和21年 坂口安吾は戦後荒廃のなかで「堕落論」を発表した。混沌とした世情に堕落を見、堕落から人が再生する様を予感した。現代人の思想、精神とは何か。これまで営々と築いてきた思想、精神を振り返りながら考える。

                堕落論2018 森友問題とは何か?-官僚制の堕落-
                                    秋 隆三
 去年から国会と言えば森友問題である。森友問題に何の興味もないが、もういい加減にしたらどうだと言いたくなるのは私一人だろうか。大阪地検が捜査をしているのだから、地検の捜査結果を見てはどうだ。野党にとっては絶好の政局到来だろうが、国民からすれば何ともちまちました民主主義ではないか。
 森友問題は、国有地の売却に安倍政権が関与した疑いがあるという点から始まった。安倍総理夫人というのも何とも訳のわからない人物である。一国の総理夫人ともなれば、もはや私人とは言いがたいにもかかわらず、一介の私立小学校の名誉職につく等は言語道断である。それも、極右的教育思想にかぶれた小学校にである。森友というのは、元々は珠算塾の創立者であったらしく、珠算教育では名の知れた人物のようである。教育勅語を子供達に暗記させるというのだから、時代錯誤どころではない。一朝ことあらば、天皇のために死ねという。それこそ堕落論の出だしを地でいっているようなものだ。
 
なぜ国有地の売値を9億円から150万円まで値下げしたのか?
 
 ところで、森友学園に売却された国有地の市場価格はどの程度のものだったのだろうか。ネットの情報によれば、不動産鑑定評価額は9億5千6百万円(2,658坪程度、坪当たり36万円)だが、実際の売却額は、150万円(坪当たり564円)だった。なんと、地下のゴミの処分費が8億2千万円、以前に処理したゴミ処分費が1億3千万円であったため、この両方のゴミ処分費の合計額が評価額から差し引かれて、150万円で売却となったものである。2011年には大阪音楽大学が7億円で入札したそうだが、近畿財務局が安すぎるとして落札できなかった経緯がある。大阪国際空港に隣接し、騒音指定地域になっている土地だから、とても良い土地だとは言えない代物である。それにしてもだ、坪564円なら私だって買っておいてもいいかなと思う。ドッグランにしても十分元手はとれそうだ。
  9億6千万円の土地を150万円まで値下げした理由がゴミ処分費に8億2千万円+1億3千万円かかるというのがよくわからない。国土交通省の試算だそうだ。鉛やヒ素が大量に含まれているのであればわかるが、どれほどの環境影響物質なのか等は何も報道されていない。そもそも、騒音にプラスして公害物質が大量に含まれる土地で小学校を経営するなどは論外ではないか。
 いずれにしても、売買価格がなぜこれほど安くなるかは大きな疑問である。報道情報によれば、当初は深さ3mまでのゴミ処理であったが、9.9mまでボーリングしたらボーリングの刃の先端にゴミが付着していたため、深さ10mまでのゴミ処理としたとのことである。深さ10mで2,700坪の汚染土壌の処理と再埋め立てなら、常識で考えても坪50万円程度はかかることになる。汚染土壌の深度は、今もってわからない。
 
国政調査権(国会証人喚問)の欺瞞
 
  前理財局長に対する証人喚問が行われたが、訴追の恐れがあるので話せないで終わりである。証言拒否は偽証には当たらない。さらに、「記憶にない」も証拠がない限り偽証ではない。国政調査権(証人喚問)なる制度は何の効果もないというのが一般的感想である。国会ショーのクライマックスといったところか。それにしても、大阪地検の捜査結果が出るのが遅すぎる。
 国政調査権というものは、野党の少数意見を広く国民に知らしめるためのツールである。そうだとすれば、野党はもっとこの権利を有効に使わなければならない。政治家の対応の何と下手くそなことか。政治家が証人喚問の壇上で証人に証言を求めるにはそれなりのテクニックが必要だ。当初は、国有地の売却に関する安倍総理周辺の疑惑だったが、現在は、理財局の公文書改ざんへと変化した。森友問題が国民にとってわかりづらいのは、何が問題なのか、何が法律に違反しているのか、何が不道徳で悪なのかがよくわからないことである。
 
森友問題の本質とは何か?
 
  そもそも、森友問題の本質とは何かである。
 第一点は、国有地が不当に安く売却されたことである。前述のように実質150万円で売却されたとすれば、安く売らなければならなかった理由があるはずである。仮に、安倍総理夫人の関与あるいは関連するものの何らかの圧力があったとしても、手続き、決済は財務省理財局によってなされたことであり、理財局内部において手続き上の不正があったことになる。大阪地検の捜査もこの点に集中するであろうことは容易に予想される。
 第二点は、安倍総理夫人及び関連政治家の関与の程度の問題である。金銭の授受等があったとすれば、大阪地検の捜査範囲であるが、そういうことがなくかつ政治家の圧力と言えるほどのものがなかったとした場合の問題は何かである。仮にも一国の総理夫人が関与していたのだから、法的に問題はないとしても、政治倫理・道徳においては最低の行為と言えるのではないか。反省し、今後は注意しますだけでは納得できる問題ではない。何らかのけじめがなければ、一国のリーダーとして現政権を維持することは難しいと考えられる。
 第三点は、決済文書の改ざん問題である。国有地の売却に関して手続き上の書類が改ざんされたことは、公文書管理法違反だとするものである。財務省における組織管理の問題である。公文書もワープロで作成される。ご存じのようにワープロで文書を作成する場合には何度も修正を入れることになるので、修正の都度保存することはできない。また、校正記録を残すことはできるがこれも最終的には反映させて履歴を消してしまう。公文書といってもどの時点をもって公文書とするかは容易ではない。米国の公文書管理機構と比較した日本の貧弱な機構について論じられる。米国の公文書管理記録局(公文書館)に保存される公文書は、各省庁の手を離れた文書を一元化して管理しているものであり、日本にも同様の組織があるが規模は比較にならないほど小さい。各省庁で保管管理するよりも効率的であるので、このシステムを活用すれば良いが、公文書館で保存されていない公文書は存在しないことになる。仮に、公文書管理が米国並みのシステムで管理されたとした場合、今回のような公文書改ざん問題は発生しないかというと、それは別である。公文書館に改ざん後の文書を送っていたら、改ざん問題にはならないではないからだ。理財局内部で再度決済し直したとしても、それは内部手続きの問題であって公文書として保存管理する前のものであり、そういった文書は全て破棄したで終わりである。つまり、文書作成と修正は常に発生するのが当たり前なのだから、最終的に保存管理される文書が公文書であると定義すれば、今回の事件は公文書改ざんと見なすことは難しい。財務省という官僚の中の官僚が、二人の自殺者を出すほどの事件ではあるまい。
 第四点は、官僚制度の問題である。政府組織というものは社会主義体制であると、堕落論2017でも論じた。官僚制度は、ギリシャ時代の昔から、民主主義であろうと共産主義であろうと絶対王政であろうとその本質に違いはない。ソクラテスは「国家」の中で、哲人政治こそが理想の政治と説いた。政治家が賢者であることを必須とする政治思想である。しかし、国政を実行するのは役人だから、役人こそが賢者、哲人でなければならない。孔子は、儒教思想による政治の実践を求めて全国諸侯を訪ね歩いて一生を終えた。それは、豊富な知識と高い教養を持ち徳を身につけた仁の人による政治こそが理想の政治と説いたのである。ソクラテスは孔子よりも100年ほど後の人であるが、社会や人間の理想像というものはこの時代に全て論じきられたのかもしれない。勿論、人権については、近代言論の産物ではあるが。官僚制の研究は、20世紀初頭のドイツ人経済学者、マックス・ウエーバーに始まる。階級的で硬直的な組織機構、社会主義的体制は世界共通であり、まさにグローバルなシステムである。こういった特性を持つのは、法治制度における行政組織では当たり前である。行政組織の活動は法律によって定められ、機能の多くは許認可に関わるから、許認可決済の手順に従ったピラミッド型の組織機構となる。情報化が進み、民主主義が国民に浸透した現代においても、この官僚組織に替わるシステムを作り出すことはできない。作り出せないという表現は間違っている。システムを変えるような切羽詰まった状況にはならないと言った方が適切である。
 
森友問題、加計学園問題などはうんざりだ!
 
 この堕落論2018を書き始めたのは、3月半ばのことだった。連日の森友ニュースにうんざりしつつ、この問題の本質はどこにあるかを考えた。考えれば考えるほどうんざりするのである。加計学園問題についても同様だ。愛媛県の一地方が、地方再生に目を付けたのが認可されない獣医学部の新設だった。アジアから留学生を集められるのだ。少子化にあって学校新設がビジネスになるわけがないのは誰でもわかる話だが、あえて挑戦した。国際的には、かなり可能性が高いビジネスになるかもしれないからだ。グローバルビジネスの中で、獣医、歯科医、医師の養成は、マーケットは小さいが高度な医療技術を有する日本にとっては結構おいしいビジネスになるかもしれない。つまり、グローバルな市場で、日本がリードできる分野は、ニッチな市場なのである。あらゆる工学分野、農学分野、観光学などのサービス分野等での人材養成産業は、どの分野をとっても労働市場は小さいがアジアでは有望な市場なのである。文部省の硬直した慣習を打ち破るには、これしか手がなかったのか。多分、これしかなかったのである。野党の追及の意味、目的が曖昧で、うんざりしていた。大所高所から、攻め込むことができない。未成熟な民主主義というべきか、堕落した民主主義というべきか。一つのビジネスチャンスが、なだれ的にビジネスを生み出すかもしれないのに、その芽をつむのである。こういうのは、通常、政権与党が仕掛けるか、官僚組織や検察が仕掛けたりするものだ。加計学園問題には、何となくこういうにおいがするがどうだろうか。
 
官僚制を廃止する方策はないのか?
 
 官僚制はすぐ堕落する。再発防止、綱紀粛正・・・。言葉は並ぶが、時間がたつと忘れてしまう。社会主義体制は、堕落するのだ。堕落しない理想的な組織であるべきであり、正義こそが使命だとして組織管理をすると必ず堕落するのである。資本主義的組織、企業組織は、元来、堕落を内包している。元々、企業は堕落した組織なのである。移り気な市場,金と欲望の堕落社会を生き残るには、衣の下に堕落を抱き込んでいなければならない。企業にとって堕落こそが鎧であり武器である。
 公僕を理想とする組織が、21世紀の資本主義社会に存続すること自体が異常である。官僚制を廃止せよ。廃止できずとも、官僚機構の階級制を廃止せよ。官僚制に内在する腐敗、怠慢、傲慢を、自らの組織内で正し、罰する仕組みを作らなくてはならない。組織内からの告発制度を作り、警察・検察などの従来の司法制度とは異なる国家組織内の司法制度を作れ。公文書管理などに森友問題みたいなちまちました手続きを入れるな。
 このためには何をするべきか。まず、法律改正、新法の発議は数年間停止せよ。規制緩和、旧法の廃止だけを国会審議とすべきである。これによって、官僚の仕事は、現法の執行だけである。暇な部所は廃止・統合せよ。当然、政治家も暇になる。政治家、公務員の給与は高すぎる。恐らく、先進国をみてもこれだけ高い給与を払っている国は他にない。公務員採用試験を現在の階級的試験から、一律の試験に変更せよ。中卒であろうと高卒であろうと大卒・院卒であろうと、試験は一本である。次は、終身雇用の廃止である。EUのように期間契約にすることである。期間契約制度を採用するからこそ、新法や法に準ずる規則等の変更を定期的に一定期間停止する制度が必要になる。
 これだけ法律が整備されているのだから、5年程度法律改正などはなくても何の支障もない。これだけで官僚制は終わる。堺屋師匠の言うように官僚制こそが日本のガンなのかもしれない。
                                                                                  2018年4月20日