たばこ店。茨城県東茨城郡大洗町磯浜町161。2005(平成17)年12月13日
大洗港を通る主要道路は県道2号で、その辺りでは「サンビーチ通り」といっている。その内陸側に県道2号の旧道と思われる「東町(ひがしちょう)商店会」の商店街の通りがある。商店街は「大洗鳥居下」交差点から西の三叉路までの800mと思われる。すでに閉店した店も多いが、写真のような出桁造りの商店が点々とあって、かつての県道の面影を伝えている。
写真は商店街のまん中辺り、茨城交通バスの「沼屋前」バス停がある四つ角にある昔ながらの商店。バス停の「沼屋」は商店名だろうか。写真のたばこ店は、今は販売機もなく閉店したようだ。「塩小売所」と「たばこ小賣所」のホーロー看板が右の柱に掛かっていたから食料品店か酒屋だったのかも知れない。
鮒忠東上野店。台東区東上野5-7。2008(平成20)年9月5日
当ブログ前回の元八百屋と同じ四つ角の東北角。2018年には隣の長屋と共に取り壊され、「リビオレゾン上野」(2019年11月築、15階建47戸)というマンションが建った。鮒忠はそこに入っている。
「鮒忠」が浅草千束町に店を構えて鰻屋を始めたのが1946(昭和21)年9月で、冬場のつなぎに売った焼き鳥も当たったという。1960(昭和35)年には、支店は35店になっていて、東上野店もそのなかにあったと思われる。建物は戦後のものかとも思われるのだが、昭和22年の航空写真では、角で折れ曲がった看板建築にした壁が認められる。
鮒忠に続く三軒長屋と家内工業所のような1軒。東上野5-7。2008(平成20)年3月2日
元八百屋。台東区東上野5-6。2008(平成20)年3月2日
増田たばこ店のある台東保健所前交差点を南にいった次の信号のある交差点。右奥に行くと浅草通りの東上野三交差点に出る。現在は写っている建物は、2012年頃に完成した「東上野5丁目ビル」という東京メトロ関連の会社などが入るビルに建て替わって、1棟も残っていない。
1986年の地図では写真左のビルが「上野職員クラブ」(1969年の地図では「帝都高速度交通上野寮」)、その裏に「帝都高速度交通営団」のビルがある。
角の家は、1969年の地図に「八百□」(肝心の3文字目が読めない)。木の台が置いてあるが、八百屋だった名残らしい。その右は、1986年の地図では「紅葉堂」と「宝ステンレス」。
追記(2023.07.21)
八百屋が営業中の写真があったので公開します。撮影日は2003(平成15)年10月24日。
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増田たばこ店。台東区東上野4-18。2008(平成20)年3月2日
JR上野駅の東の昭和通りから東へ入って150m、台東保健所前交差点角に残っている戦前築の家並み。台東保健所は写真右奥のビル。1997(平成9)年6月の完成で、それ以前は昭和通り沿い下谷1-2に「下谷保健所」があった。台東保健所が建つ前は、看板建築の六軒長屋、裏側にもやはり六軒長屋があった。その当時の写真の交差点は「東上野四」。
増田たばこ店の建物は、片流れ屋根の三軒長屋の通り側を看板建築にしたもの。建物左の家は、1966(昭和41)年の地図に「戸田とうふ店」で載っている。下の写真、通りの東側には「台東石材店」があるが、2014年には閉店したようだ。その右の家は、1966(昭和41)年の地図では「みどり薬局」。
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三保園ホテル。静岡県静岡市三保2108。2014(平成26)年11月28日
清水灯台に隣接するところにある大型の旅館だったが、2021年3月31日で閉館した。新型コロナで客数が激減したためだが、施設の老巧化ということもあるらしい。再開するときは建物を建て直すことを考えているのかもしれない。
三保園ホテルを経営しているのは「富士レックス株式会社」という1946年12月創業の会社。三保園ホテルの開業は1947(昭和22)年7月。写真の「新館」は1963(昭和38)年9月の開館。旧館は新館の裏手にある「別館のスペイン館」がそれらしいが、1946年開館時の建物かどうかは不明。
旅館にとって温泉はなんとしても欲しいわけで、2006(平成18)年に地下1159mから汲み上げた地下水を「源泉かけ流しの天然温泉-天女の湯 三保羽衣温泉」として客を誘致した。2013年に富士山が世界遺産になり、三保の松原がその構成要素に指定されると、客数も伸びたようだ。食事もカニ食べ放題などで1泊1.5万位の料金と、ホテル側の努力もなかなかのものだ。ぼくが泊まった2014年では「まぐろ尽くし」のメニューだった。
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門柱。静岡県静岡市清水区三保2110
2014(平成26)年11月28日
清水灯台のある海岸に「清水三保海浜公園」があり、そこに「甲飛豫科練之像」が建っている。その記念碑案内板によると、「甲飛豫科練」とは海軍航空隊の「甲種飛行予科練習生」のこと。昭和19年9月1日、清水航空隊が三保に開設され、予科練生14、15、16期生2700名がそこで訓練に励んだ。『ウィキペディア>清水海軍航隊』によると、第19連合航空隊に編入されたが、半年後の昭和20年3月1日に横須賀鎮守府隷下第20連合航空隊に転籍している。翌4月には上・水中特攻訓練に教程変更。6月30日に解隊。10ヵ月の存在だったわけだ。飛行機の訓練はなかったという。解隊後、生徒は他の突撃隊に行かされた。
甲飛豫科練之像が建立されたのは1985(昭和60)年8月で、建立者は「清水海軍航空隊所属/第14、15、16期海軍甲種飛行予科練習生一同/清水海軍航空隊清空会関係者一同」となっている。清水航空隊の施設は像のある海岸の背後の一帯にあったと思われる。「1947年頃の空中写真」に東西に長い家屋が30棟ほど写っていて、航空隊の宿舎かと思う。現在、そのうちの最も南にあった棟が残っているようだ。また、半島の内浜側に残っている特攻兵器震洋の掩体壕は清水航空隊の遺跡である。
『清水海軍航空隊』の甲飛豫科練之像の写真は、道路の脇に建っている。その場所は三保半島を横断する三保灯台通りの「飛翔寮」の門の前に違いない。いつ三保海浜公園に移転したのだろう。
写真の門は豫科練之像の道路の向かい側、「焼肉センター」の横にあるもの。豫科練之像の間近にあるので、清水航空隊と関連付けたくなるわけで、また、「三保飛行場」の存在がなんとなく清水航空隊へ考えが及んでしまう、ということもある。普通に考えれば民家の裏門である。
清水灯台
静岡県静岡市清水区三保2109
2014(平成26)年11月28日
清水灯台(三保灯台)は三保の松原の「羽衣の松」から2.5km程北にある。付け根から北へ延びる三保半島が西へ曲がる所で、清水港へ向かう船はみなこの灯台に向かって進むことになる。灯台のある半島の曲がり角は「吹合ノ岬」という地名がある。
清水町(現静岡市清水区)は、町の発展は清水港に寄る、ということで明治後期から国にも働きかけて清水港の整備を進め、その関連で灯台の建設にも熱心だったようだ。清水灯台は1912(明治45)年3月1日点灯式が行われた。逓信省航路標識管理所の設計施工で、日本初のRC造の灯台。高さ約18mで八角形平面をした割と小さな灯台だ。
2009(平成21)年2月に経済産業省の「近代化産業遺産」に指定され、2010(平成22)年11月には、「土木学会推奨遺産」の認定を受けている。そして2022(令和4)年9月に国の重要文化財に指定された。
『清水区情報誌イノセント>平成24年3月しみず灯台』によると、建設当初の光源は「石油白熱灯」(石油を燃やすものだろうか?)、大正6年に電灯化された。光源を回転させる装置は、ワイヤの先に重りを付けたものが落ちる力を使っていたが、昭和29年に電動化した。灯台守はいろいろと忙しかったようだ。1995(平成7)年3月に無人化された。灯台の横に官舎があり、灯台守は家族でそこで暮らしたようだ。絵はがきに見られる官舎は、洋風の平屋の民家である。取り壊すこともなかったように思うが、勝手に住む人が出てくるのを恐れるのだろう。
杉原畳店。静岡県静岡市清水区巴町8。2014年11月27日
当ブログ前回の「斉藤ふとん店」1枚目写真の左奥の家並みで、商店が並んでいる。右から、「杉原畳店、元(スナック?)、平屋の民家、仕舞た屋?、清水堂文具店、岡田屋(わさび漬)」。
杉原畳店は建物には看板がなくなっていて営業しているのか心配だが、2016年11月のストリートビューでは店先が覗けて、機械があり職人さんの姿が写っている。2018年に建物は取り壊されてしまって、現在も空き地のまま。街灯の「杉浦畳店」の看板は今もついたままだ。
「岡田屋」は看板に「静岡名産わさび漬/製造直売 老舗 岡田屋」とある。JR清水駅前に「岡田屋本店」、浜田町に「浜田町店」があるらしい。2023年3月のSVでは看板が外されていて閉店してしまったらしい。観光客はもちろん、人通りもあまりないような通りで、致し方なかったのかも知れない。
岡田屋わさび漬店。巴町8。2014年11月27日
斉藤ふとん店。静岡県静岡市清水区巴町8。2014年11月27日
写真手前の通りは、清水区役所の南から西へ走っている県道407号静岡草薙清水線。右へ行くとすぐ巴川に架かる千歳橋で、写真右に静鉄バスの「巴町千歳橋」バス停がある。県道沿いに廃業した商店があり、信号のある交差点を南に入った2軒目の家が「斉藤ふとん店」。
ふとん店の建物は切妻造の平側を看板建築にしていて、戦後まもなくの建築と思うが、修理改造をしないまま来たような感じだ。壁や2階手すりの看板の文字(精綿 蒲團)が旧字。店舗の裏に別棟であるのが作業場と思われる。ネットには同じ住所で「斉藤精綿工場」という事業所が出てきた。
ストリートビュー(2023年3月)を見たら、店の中はなにもなくなって「貸駐車場」の看板が出ていた。