大場理容店
茨城県東茨城郡大洗町磯浜町670
2005(平成17)年12月13日
曲がり松商店会の西端で、山戸呉服店の向かい側。写真右のビルが「通り町商店会」との交差点に面している。大場理容店はこの辺りではあまり見かけない洋風にした看板建築で、割と凝ったデザインで、「理髪」の看板が右から書きなので戦前に建てられたものと思ってしまうが、どうなのだろう。現在は2階の窓がアルミサッシのものに改修され、壁が少し明るく塗り直された。
ストリートビューでこの辺りを眺めると、1960年代に建てられたか改修されたと思われる店舗が幾つも見られる。「山戸呉服店(明治18年創業、洋品店)」「年宝菓子店(手作り飴、かるめ焼き)」「スルガヤ薬局(明治初期創業)」「江口又新堂(文具、書籍、薬)」など。
江口又新堂は蔵造りの家の前に店舗を増築したものらしい。スルガヤ薬局は2016年頃に建て直されてしまった。旧店舗は正面左四分の三の幅で狭いベランダを設け、ベランダの奥は6分割した、窓と店名を書いた壁、角に屋根の庇を支えるような細い柱。建物横の1階の上の梁のような部分には、黒い豆タイルが貼られていて、正面との角にはアールがとってあった。
手の字屋染張店。台東区東上野5-5。1991(平成3)年6月30日
鮒忠東上野店の交差点から東へ行った通りで、写真右奥は浅草通りの下谷神社前交差点に出る。1986(昭和61)年の住宅地図(セイコー社)では、右角から左へ「手の字屋/染谷、梅村、沼津屋、ウエストインパート14上野」。1966(昭和41)年の地図では角の家が「染張/召手の字屋」。2018年に取り壊される前は、建物右のショーウインドーが取り外され、欄間に「シャンテール サロン・ド・ベア」の看板がついていた。
現在は、写真の木造の3棟が「Brillia上野プレイス」(2020年9月築、14階建39戸)というマンションに建て替わった。
写真左のマンションの隣には「下谷税務署」があった。ストリートビューの2010.01に見られる3階建のビルがそれらしい。2013.07では更地になっている。1991(平成3)年7月に「東京上野税務署」に名称変更しているから、そのときに東上野から池之端に移ったのだろうか。
町田本院。台東区東上野5-6
上:2008(平成20)年9月5日
左:1989(平成元)年7月23日
鮒忠東上野店の交差点を東へ行った南側。空襲の被害を受けなかった地域なので、古い木造家屋は戦前からある建物だ。1986(昭和61)年の住宅地図では上の写真右から「光電舎(右の駐車場)、森設備、中田アパート、町田本院、荒川ビル(1階に長寿庵)」。手元にある1966(昭和41)年の地図では「KK光電舎東京営業所、山室商店、町田医院、立川/花島、やぶそば」。
ストリートビューで見ると、2019年5月には町田本院と荒川ビルが解体されたところで、2020年3月では町田本院の右の建物がなくなって駐車場になっている。現在は跡地に建物が建つこともなく、駐車場と自転車置き場になっている。
陰山美容室。台東区東上野5-13。1991(平成3)年6月30日
「鮒忠東上野店」の北の裏通り。「陰山美容室」は美容室の看板も床屋のポールも出ていないので、窓は開いているがすでに廃業していたのかも知れない。現在は半分は空き地、半分は3階建の住宅になっている。ということは、1階の軒(のき、庇)が共有しているので、二軒長屋だろうか。
写真左の家はモルタル壁の看板建築で、トタン張りの横を見ると出桁造りかと見える。その家の左は「小松屋・馬橋豆腐店」で、正面は看板建築。この2軒は戦前からある家だろう。看板建築の部分がそう古そうに見えないので、戦後の改修なのかも知れない。
芳屋印刷第一工場。台東区東上野5-22。2008(平成20)年3月2日
清洲橋通りの裏通りで、手前の路地を右(東)へ抜けると清洲橋通りの上野小学校(旧清島小学校)のすぐ北に出る。路地との角の看板建築は住居になっているようだ。外壁がきれいで戦後の建築のようにも見えるが、改修してのものかも知れない。
写真奥は2階が後退した三軒長屋。建物左が平屋になっているが、元は四軒長屋だったのだろうか。2013年のストリートビューではガラス戸に「芳屋印刷第一工場」と読め、その一社で使っていたようだ。2015年頃取り壊され、2020年8月に「minn東上野」というアパート型ホテル(8階建8室)が建って開業した。
北から撮影。2013年8月3日
丸共寝具店。横浜市中区野毛町2-89。2010(平成22)年4月10日
県道218号(桜木東戸塚線・平戸桜木道路)の野毛二交差点。写真左に野毛中央通り、写真右に行くと柳通りの入り口で、その間に1950年頃に建てられたと思われる店舗の建物が並んで残っていた。今は丸共が「クラスミライ横浜」(2023年4月築。6階建)という貸事務所、濱や地所はそのままで、その右は「イニシア横浜桜木町」(2020年2月築。10階建119戸)というマンションに替わっている。
写真の店は左から、「丸共寝具店、濱や地所、茶所しんり、一京屋たばこ店、中華 三幸苑、かめや寿司店」。
「丸共寝具店(スリープショップ丸共)」は、『タウンニュース>野毛の寝具店「丸共」95年の歴史に幕2018.05.17』によると、1923(大正12)年11月、「かさぶろう」という商人が野毛で布団店を開いたのが始まり。「その後、行商から貸布団や打ち返しの全盛の時代をへて、高級羽毛布団などを扱う寝具専門店として今日に至る」という。2018年7月末に野毛店は閉店した。鶴ヶ峰本店が営業している。
建物が残ってしまった「濱や地所」は、『はまれぽ>野毛で篭城…2019.01.21』によると、2007年頃に入居してきた。それ以前も30年ほど不動産屋だったという。さらにその前は、建物の壁の上部に「疊」の字のレリーフがあることから畳屋だったと思われる。
「しんり」と「一京屋」は建て替わったマンションの1階に移った。
1963年(昭和38年)創業という「三幸苑」は野毛3丁目に移っている。
「かめや」は食べログの投稿記事によると、1935(昭和30)頃に居酒屋として開店、昭和25年に鮨屋になったという老舗。再開発を機に廃業したのかも知れない。
コロンビア。横浜市中区野毛町2-94。2010(平成22)年4月10日
「ジャズ喫茶ちぐさ」は2007(平成19)年1月に、野毛町1-23にあった店がビル建設のため閉店していたが、2012(平成24)年3月に写真のコロンビアの建物で再開した。建物は築70年というから1950(昭和25)年頃に建てられたものらしい。現在は「ジャズミュージアム・ちぐさ」として建直しの最中。
ちぐさの創業は1933(昭和8)年で、当時20歳だった吉田衛による。吉田氏がジャズとどのようにて結びついたのか気になる。『 CHIGUSA Records>「ちぐさ」の親父 吉田衛 横浜昔ばなし』によると、吉田氏は1913(大正2)年生まれ、山下町の生まれ育ちで父親は輸出物の荷造業。社交ダンスに魅了されて、まずはチャブ屋、ダンスホールが出来るとそこに通い、そこで演奏される音楽が好きになった。ぼくには昭和10年頃に、日本ではジャズがどれほど一般的になっていたのか、さっぱり分からない。ルイ・アームストロングやデューク・エリントンなら日本でも知られていたのかもしれない。じきに、「敵性音楽」になって聞くことはまかりならん、となってしまう。最近の中国も同じようなことをしている。他人のことと笑っていらないと思う。
吉田氏は兵役から戻ると、1947(昭和23)年にちぐさを再開する。日本でもベニー・グッドマンが人気になるが、吉田氏はなにを聴いていたのだろう。とにかくジャズの歴史をリアルタイムで体験してきた人ではないだろうか。
もみぢ菓子司舗。横浜市中区野毛町2-64。2010(平成22)年4月10日
村田家の、野毛柳通りの向かいにある一軒家の日本建築の和菓子店。野毛の飲食店街でこの建物はなかなかのオーラを放っている。1946(昭和21)年の創業だから、そのときに建ったのだろうか? バラックから始まって何年かしてからこの店舗を建てたのかも知れない。本町小学校の生徒が作った「もみぢさんのせんでんポスター」が楽しい。それによって、店主が「にしむらさん」で、趣味は釣り、ドラヤキは白あんの方が好き、などと分かる。「1961年から」の次が読めない。
もみぢの右は「ちんちくりん」という居酒屋。2015年に現在の「jin-bay」という立ち飲み屋に替わり、その時に内装や正面の外観を改修している。右にあった入り口を左に替え、そこにあった窓を2階に移したようである。「サンドイッチ各種 アイスクリーム 珈琲60」の文字は元は1階にあった。コーヒーが60円というと1960年代だろうか。
村田家。横浜市中区野毛町2-65。2010(平成22)年4月10日
魚料理の老舗として野毛町では有名な店。定食のメニューが豊富で、それが夜でも注文できるとか。店の外観から予想できるような値段なのだが、近頃は外観に反して高い値段の店もけっこうある。この店は安心である。
『はまれぽ>野毛の街の歴史について教えて!』によると、村田家は1945(昭和20)年、ふぐ料理店として開業したらしい。当時の店主は戦中、下関の「春帆楼」で修行した人で、神奈川県のふぐ料理免許制度を導入するのに奔走し、他の店の指導もした。
戦前は伊勢佐木町にあって、接収によって野毛町に移ったという。その伊勢佐木町の村田家という米屋の名前を引き継いだのが店名の由来という。
村田家のHPには「創業60年」とあり、そうすると1963(昭和38)年頃になる。これはどう考えればいいのだろう?
建物は木造平屋で、昭和20年代のものに見える。今や周囲に木造平屋の建物はまずないだろう。正面はモルタル壁の四角い外観だが、2013(平成25)年末に「改築」されて、モルタル壁はなくなり、下見板の壁は新しくなった。外観が変わらないように改修したように思える。