理髪店。横浜市中区花咲町3-87
2003(平成15)年2月8日
音楽通りの本町小学校の向かい側にあった、事務所と理髪店の建物。ストリートビューでは2009年以前に取り壊されて駐車場になっている。理髪店の看板に店名が書かれているようだが、画像が粗くて読めない。左の建物はすでに空家のようだが、割と立派なファザードだ。洋食屋か喫茶店でもおかしくないような気もする。木造2階建で一昔前のビルのような外観にするのは珍しいと思う。
Ⅰ枚目写真右に「音楽通り」の表示板を付けた街灯が写っている。この街灯は音楽通りに並んでいたものだが、2017年頃撤去されてしまった。
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治屋書店。横浜市中区花咲町2-78。2003(平成15)年2月8日
桜木町駅の西に、線路に沿って南北に通っている幹線道路が新横浜通り。その花咲町(はなさきちょう)二丁目交差点から紅葉橋の裏通りになるのが「音楽通り」で、商店街になっている。掃部山公園の南に隣接するところにある県立音楽堂への往き来に通る道、というのが由来。
音楽通りの中央辺りに本町(ほんちょう)小学校があるが、治屋(はるや)書店はその向かい側にある。現在は「Orange Concept」というレストランに替わっているが、建物は現存している。Orange Conceptの開店は2010年12月。2009年のストリートビューでは、「にこにこランド(保育園?)」なので、書店の廃業はそれ以前だ。戦前築の看板建築のように見えるが、戦災で焼失した地区らしいので、戦後まもなくの建築かと思われる。
神谷氷室、有限会社山形縫製。千代田区神田須田町2-1。2008(平成20)年3月18日
万世橋際の「肉の万世秋葉原本店」の裏手。この街区は中央線の高架に沿って、南を靖国通りに顔を出したごく小さい範囲で、現在はビルが4棟並んでいる他は、北の裏通りに面して神谷氷室の木造店舗があるだけ。
山形縫製のビルは縦長の小さい窓が並んでいるのを見るとRC造だろう。4階は増築されたものに思える。ストリートビューを見ると、2013~17年に取り壊されて今も3台分のコインパークになっている。
昭和30年頃の火保図では、この街区(神田須田町2-1)にある8軒のうち7軒が「ラシャ屋」で1軒が「ボタンS」。山形縫製は「昭和ラシャ」、神谷氷室は「松矢ラシャ」になっている。それが1969(昭和44)年の地図では、店は続いているらしいのに「ラシャ」の文字がなくなって単に「○○商店」となっているのが多い。「昭和ラシャ」は「昭和裁断」で、「神谷氷室」が載っている。隣接する3、5、19番地には「羅紗店」の文字が点々とみられるが、ラシャ屋の衰退が始まっているように感じる。
池田屋ラシャ店。千代田区神田須田町1-8
2003(平成15)年3月23日
神田須田町は、戦後から1960年代にかけて「ラシャ(羅紗)屋」といった、紳士服の生地の店が建並び、「神田羅紗屋街」とも言われた。交通博物館の向かい側にあった池田屋もその一軒で、裏地やボタンなどを扱う卸問屋だった。その営業期間が不明で、撮影時では「柏山邸」である。また戦前の商売がなんであったかも不明。
建物は見たとおりの銅板葺看板建築。大正末に建てられた。3階は屋根裏部屋であることを主張するマンサード屋根という傾いた壁。その傾きが左右対称でないのは、押し入れを増築したため。1階が店舗で、2階は居間と台所、3階は寝室が2室(続・東京銭湯お遍路>看板建築。)。
2012(平成24)年10月に取り壊される際、内部が公開されてそのときのレポートがネットで見られる。
かんだやぶそば。千代田区神田淡路町2-10。1985(昭和60)年7月7日
「かんだやぶそば(神田藪蕎麦)」は、東京の蕎麦屋といえば真っ先に上がる有名店だが、それだけに昼食にちょっと入るという店ではない。おつまみを前にして酒を飲んだ締めに蕎麦を食べて出てくる、という感じだろうか。とはいっても蕎麦だけ食べても一向に構わないわけだが、腹を満たそうなどとは思わない方がいいようだ。
「連雀町藪蕎麦」として1880(明治13)年に創業した。1923(大正12)年、関東大震災で店舗が焼失した後、同年12月に再建されたのが写真の建物。連雀町の地名が消えたのは1933(昭和8)年で、それからは「神田藪蕎麦」と改称した。
2013(平成25)年2月19日、火災が発生し建物は半焼する。翌年10月、鉄骨構造平屋(一部2階建)の店舗を改築して営業を再開した。焼け残った、釣り行燈や看板はそのまま使用しているという。
東運電機ビル。千代田区外神田3-2。2010(平成22)年10月2日
右奥へ延びるのが「秋葉原ジャンク通り」で、中央通りの西の裏通りになる。その一帯がパソコン関連の部品を扱う店が多いのでジャンク通りとなったが、飲食店もけっこうある。ジャンク通りの南よりの四つ角に面して「東運電機ビル」という古そうなビルがあり、さらに横丁側にもう2棟の古いビルが並んでいる。いずれも戦後まもなく建てられたと思われる小さなビルで、横丁側のビルは「巴ビル」と「遠藤ビル」。
東運電機ビルは2012年8月に「野郎ラーメン」が開店した。その時壁を黄色に塗り替えている。
巴ビルは今はテナントは替わったが、やはりガールズカフェ等の広告で埋まっていてビルのファサードが見えない。「1962年2月築、RC5階建」としてある不動産サイトがあった。
遠藤ビルは3棟のなかでは最も古そうである。1950年代の建築ではないか。
遠藤ビル、巴ビル。外神田3-2。2010(平成22)年10月2日
S家住宅(kufuku±)。千代田区外神田4-11
2013(平成25)年7月14日
蔵前橋通りの外神田五丁目交差点(地下鉄銀座線末広町駅)と山手線ガードの間の横町を南に入ったところにある出桁造の民家。戦前築の建物としていい外観だが、空襲で焼き払われた地区なので、戦後まもなく建てられたものだろう。1947(昭和22)年の航空写真ではまだ建っていないようなので1950年頃の建築だろうか。
1階の左右端に戸袋があり、その間は8枚のガラス戸なので、内側は広い土間かと思う。『ヒトサラMagazine>KUFUKU±』によると、「青果・乾物問屋兼住居」だったという。正面の大きな梁を見ても、かなり凝った造りかと想像できる。家主はこの家に相当な思い入れがあるようで、建替えなどは考えず、商売を辞めても建物の保守には気を遣っていたという。
2019年5月に、内部の様子をなるべく生かすように改装して「KUFUKU± (暮富食)」というフレンチレストランが開店した。ランチでも予約が必要という人気店だとか。
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神田青果市場跡。千代田区外神田4-14。1996(平成8)年4月27日
写真手前の広場は、秋葉原駅を電気街口改札から北へ出たところで、現在はUDXビルが建っている辺りのようだ。写真奥の低層ビルは、神田市場の最も北にあった建物。
神田青果市場が太田市場に移ったのは1989(平成元)年5月。それから7年経って、売場・買荷保管所などは解体されて敷地の北の事務所棟?が残されているが「広大な敷地を利用して大型駐車場やバスケットコートとして供用された(『 livedoor Blogアキバ>神田青果市場 秋葉原での業務開始と再移転』)」という時期。
写真の青果市場の建物は1970年頃に建てられたものと思える。『X>三日画師』に、通り側から撮影した写真が見られる。
八百松菓子店。茨城県東茨城郡大洗町磯浜町790。2005(平成17)年12月13日
「通り町商店会」の通りは、八百松菓子店の辺りでは東西に通っているが、写真右(東)へ少し行くと北東の方向に曲がり、「祝町いささかりんりん通り」につながっている。八百松菓子店から西へ60mで信号のある交差点で、そこから西は「永町(ながちょう)商店街」になる。
八百松は(たぶん栗原時計店も)切妻造の家の平側に増築された店舗のようだ。ストリートビューを見ると2011年にはすでに廃業している。栗原時計店は2018年に閉店した。2020年頃に奥の建物と共に取り壊されて、今も駐車場のまま。
八百松の向かい側にも「太田屋」という和菓子屋あったようだが、2014年には住宅に建て替わっている。